公爵令息は過去を振り返る
「ごきげんよう、カイル様。お加減はいかが?」
一週間後、私はアルベルトと共にシューライト公爵家の別邸に、カイルのお見舞いに訪れた。
部屋に入るとカイルとナタリアがいて、二人とも元気そうで安心する。
特にカイルは最後に見たときは青白い顔して今にも死にそうな勢いだったから、今元気そうに椅子に座っている姿にほっとした。
この1週間の間にはたくさんの事があったからね。こうして落ち着いて話せるだけで嬉しい。
「殿下、先日は大変なご迷惑をおかけしました」
「気にするな。お前のせいじゃない。俺の責任だ」
挨拶がすんで私達も椅子に座ると、早速カイルが話題を切り出した。神妙な顔の謝罪を受けたアルベルトは気にするなと軽く手を振る。
カイルが何に謝っているかというと、それは、私たちがカイルのお見舞いに訪れるまでに1週間も時間が空いたことにも関係がある。
あの日、全てが終わったあとに1番大変だったのは事後処理だった。
ハイレインやヒロインも、私達も、どちらの側もこの件をあまり表沙汰にしたくないことで思惑が一致したためそこで足の引っ張り合いが起きなかったことだけが救いである。ハイレインは、アルベルトにお願いして稽古をつけてもらっていたと主張。駆けつけたルイスたちに先導されて誰にも見つからないようにこっそりと会場近くに戻った私は、まずカイルとナタリアを裏門に案内して馬車にこっそり乗せると家に返した。
そのあと化粧室に駆け込んで乱れた髪や服装を直してから何事も無かったかのように会場に戻ったので、公式には私たちはあの場にいなかったことになっている。
それはハイレイン側も同じでどんな手を使ったのかリランとアッシュは身を隠し、その場にいなかったことにした。
そのためこの件は、私とカイルの父などアルベルト側の圧力、また、ハイレイン側の圧力なども加わった結果、アルベルトとハイレインのやんちゃの結果として片付けられたのだが、それにしては激しい争いの跡に、裏では様々な憶測が飛んだ。
ま、そりゃそうだよね。政敵の間柄の兄弟が仲良く訓練だなんて誰も信じない。しかもデビュタントの夜に。訳が分からなさすぎる。
しかし様々な圧力が多方面からかかった結果、表立って疑問を呈することが出来るものは誰もいない。
まあでも、だからといって何もお咎めなしということはなかった。当たり前だけどね。
アルベルトもハイレインも、デビュタントの夜に抜け出して勝手に訓練場を使ってなにかしていたことに皇帝陛下に大目玉をくらい、1週間の謹慎処分を言い渡された。
今日はようやくアルベルトの謹慎処分が解かれたので、やっとカイルのお見舞いにこれたというわけである。
ついでにカイルがなぜ謝っているかと言うと、なにも事情を知らない彼は、自分が突然おかしくなって暴れたからあんなことになったのに、それをアルベルトが庇って謹慎処分をうけたと思っているからだ。
いやぁ、全ての元凶はヒロインだからね、気にしなくてええんやで。
「ところで、殿下。セリーナ嬢。単刀直入に言いますが、お聞きしたいことがいくつかございます」
「ああ、だろうな。あの日何があったかについてだろう」
「はい。お二人共、何かをご存知のようでしたので……」
そう切り出してきたカイルはどこか縋るような表情をしていた。まあそれもそうだろう。カイルからしてみたら突然自分が豹変してありえないことをしていたのだから。少しでも何か知りたいはずだ。
それについてはここに来るまでの間でアルベルトと話し合い、彼らにどこまで話すかの結論はもう出ている。
「ああ。俺たちが知っていることはこれから全て伝えよう。ここまで巻き込まれた2人には知る資格があるしな」
「ええ。ですが、それをお話する前に、あの日カイル様に何が起こったのかを貴方の目線でお話してもらえませんか?」
顔を見合わせて頷くと、アルベルトが力強くそう言いきった。私もその後に続く。
「ありがとうございます……! 分かりました。ではまず私から全てをお話しましょう」
「長くなるだろうからな。みんな楽にしてくれ。ここは誰の目もないからかしこまった口調で話す必要もない」
「お気遣いありがとうございます」
カイルは思い出すように目を閉じて語り始めた。
「あの日……あの女が現れてから俺はもう既におかしかったと思う。やたらと彼女が魅力的に見えて、気づいたらフラフラ近づいてって、あの時の他の男のように気を引くために何かをしそうになってた」
「本当にだらしない顔をしていましたわよ。私がいなかったらどうなっていたことやら」
早速横槍を入れるナタリアに苦笑しながら、カイルが彼女に礼を言う。
「ああ。感謝してる、ありがとう。
……そう、ナタリアに引っぱたかれる度に正気に戻れるというか、まあそこまでは良かったんだけど、またおかしくなったのはセリーナとあの子が話してる途中で弟が割り込んできた時だ」
「アッシュ様が?」
あの時から、もう?
「ああ。自分を庇うアッシュを見ていたあの子の目がやたらと癇に障った。どこか愛おしいものを見るような目をしていて、それを見た瞬間アッシュに対して激しい怒りを覚えてさ」
「たしかにあの時のカイル様はなんだか怖かったですわ」
ナタリアの呟きに私も同意した。たしかに普段穏やかなカイルがやけに苛立っているように感じだけど、あれは。
「あれはアッシュ様の空気を読まない言動に怒っていたのかと思っていました」
「さすがに普段はもっと冷静だよ。アッシュがああいう言語道断な振る舞いをするのは別に今回が初めてじゃないからね。ま、デビュタントの夜会みたいな大きな場でああいうことをするのは初めてだけど……」
「そういえばアッシュは今どうしているんだ? お前にボコボコにされたあとどういう扱いになったのか気になっているんだが……」
そこでふと疑問を挟んだアルベルトに私も大きく頷いた。確かにそこは気になってた。
「アイツは……。あの後俺が説教したらナイフまで出して本気で歯向かってきたから教育的指導をしたって両親には言ってあります」
「まあ。間違ってはないな……」
うん。間違ってはない。しかし今もまだ公爵に大分絞られているらしいアッシュを思うと少し不憫だった。ま、仕方ないけどね。
「えーっと、話を戻すと……、それからアッシュを叱ってた時にあの子がまた現れて、そこから俺の意識が飛んだというか自我が吹っ飛んだ気がする」
そこまで言って少し気分が悪そうに深呼吸をして間を置いたカイルは、低い声で話を続けた。
「あれは、なんていうか……言葉で説明しただけじゃ理解してもらえない気がするんだけど。たまに我に返ると自分がとんでもない行動をしていることに気づくんだ。
何者かに侵食されていくような感覚が本当に、なんというか……」
「……おぞましい?」
「そう。それだ。本当におぞましい感覚だった」
シン――とした沈黙が部屋に落ちた。
重苦しい雰囲気に、皆が神妙な顔をしている。
「……あの子がアッシュに言っただろう。そうすれば私はあなたのものだから、て。あの言葉を聞いた瞬間だったんだ。俺がおかしくなったのは」
ひゅっと息を吸って気持ちを整えるカイルにアルベルトが静かに問いかけた。
「嫉妬か?」
「ああ。嫉妬に狂って、何で俺には手に入れられないのにアッシュなんかのものになろうとしてるんだって、許せなかった。だからアッシュを排除しようと、その為には何でもやろうと思って、そんなドロドロした感情で爆発しそうだった」
やはり……。強制力の発動条件が攻略キャラではないな。
私とアルベルトが視線を交わすのをよそに、カイルは話を続けた。
「でも俺にとって本番はそこからだったんだ。殿下が現れてあの子に何か抗議したあと、俺の頭の中の何者かの意思がぐちゃぐちゃに乱れた。アッシュを排除してからあの子を手に入れるべきだっていう思考と、殿下もアッシュも色んな奴があの子を狙ってていい仲になってるから勝ち目はない、こうなったらあの子を殺して俺も死ぬしかない。あの世にさらうしかない、みたいな思考が同時に頭の中にあふれてきて……」
カイルが顔をしかめる。ナタリアがそんな彼の背中をそっとさすると、お茶の入ったカップを差し出した。
うん。ゆっくりでいいよ。
しばらく気持ちを整えていたカイルが顔を上げる。私たちは再び聞く姿勢をとった。
「俺の意思を無視して、次にどう行動すべきか、どう行動したいかを強烈な2つの意思が頭の中で争ってた。頭の中をミキサーで引っ掻き回されてる気分で、限界だった俺は途中で自我がどこかへ消えたが、我に返ったあとに記憶を探るとどうやら心中を主張してた意思が勝ったみたいだな」
まあ、それからは知っての通りだ。そう言ってカイルは肩をすくめた。
「気がついたら殿下と戦っていて、慌てて剣を下ろした瞬間猛烈な吐き気に襲われたってとこかな」
そして今に至ると。
ちなみに訓練場のど真ん中に鎮座した吐瀉物は、あそこから逃げる前にナタリアが責任をもって魔法で地中に埋めました。うん。ごめん汚い話で。
でも一応ご報告……。え? そんな報告いらない? ごめんて。
そんなことを考えていたらなぜかナタリアに睨まれた。え、なぜ? エスパーか? エスパーなのか?