悪役令嬢はたたかう
私は唇をかみしめて荒れ狂う心を静めようとする。落ち着け、私。感情に流されるのはあとでいい。今私がやるべきは……。
「だから……。こんなところで終わるわけにはいかないの」
やたら静かな声だった。はっと気づいたときには私の緩んだ拘束をはねのけたリランが俊敏な動きで立ち上がり、駆け出そうとしている。
頬に残る幾筋もの涙の後を拭いもせずに一目散に退却を図る彼女を阻んだのは、私ではなかった。
「軽いな。体が出来てない、体幹がなってない、一撃の隙も多い、重心もずれてる、勢いがない……。欠点を上げればキリがないね。街の不良相手に対等に渡り合えたからって勘違いしてた? お前なんて所詮この程度さ」
ドサッとリランの行く手を遮るように投げ捨てられたのは満身創痍のアッシュだった。カイルにボコボコにされたのか、苦しげに息をして目を閉じている。
「それで、お前はどこへ行こうとしているんだ?」
光のない目で、カイルがニッコリ微笑んだ。
「カイルくん」
「何してんの? お前はここで俺と死ぬのに。逃げるなよリラン」
軽やかな足取りで近づいてきて、リランの行く手を塞いだカイルはこともなげにそういうと、転がっていたアッシュの小刀を手に取った。
「ほんとはもっと良いのがあればよかったんだけど。あいにく俺はいま剣を持っていないし、これしかないから我慢してくれない?」
「な、なにを……」
「大丈夫、俺、頸動脈の位置知ってるから一発でスパッといけるし、痛みも少ないと思うよ」
そう言って笑いながら近づいてくるカイルから後ずさったリランが私の横まで後退してきて、ぶつかった。はっと私にも警戒したような顔で離れようとする彼女の肘を引っ張って後ろに下がらせ、私は震える手を押さえて魔導銃を構えてカイルに照準を合わせた。
そんな私にリランが驚いた顔をし、カイルは鼻で笑う。
「どけよ。そんなんで俺を止められるわけないだろ」
「カイル様。あなたは今正気ではありません。それ以上近づいたら最大出力で撃ちます」
「やれば?」
にやにやしながら歩みを止めないカイルからジリジリ後ずさりながら、私はリランを問い詰めた。
「ちょっと! どういうこと! どうにかしなさいよ! 強制力解除して!」
「そんなの私の思い通りになるわけないでしょ! アルベルトくんがあのタイミングであそこにいたことで全てが狂ってバッドエンドに突入しちゃったのよ。私にもどうにもならないわ!」
「はぁ!?肝心なときに使えない女ね!」
返ってきた答えに悪態をつく。バッドエンドがどうとか気になることを言っているが今はそれを詳しく聞いている暇はない。
パンっ!
私は歩みを止めないカイルに無警告で魔導銃を発射した。
「危ないな。目狙ってくんなよ、気の荒いお嬢様だな」
しかし高速で発射された魔力をまとった水弾は目にも止まらぬ早さで動いたカイルの小刀に切り裂かれた上に蒸発させられる。
よく見ると彼の手に持つ小刀は魔力で覆われていた。火の魔力であぶられた白刃は赤く輝き、月の光を妖しく反射している。
まずいな。
私の水だと生半可な量じゃ消し飛ばされてしまう上に、カイルは訓練を受け鍛錬をつんだ騎士見習いなのだ。純粋な戦闘力でもかなうわけがないのに魔力の相性も悪いとは……。
「どけよ、お嬢様。お前を殺す理由は俺にはないんだ。邪魔をしなければの話だがな。そいつを渡さないとまずお前から片付けるぞ」
「あなたを人殺しにするわけにはいかないのよ。一体どれだけの大騒動になると思っているの」
「関係ないな。そいつを殺したら俺も死ぬから。自分が死んだ後のことなんて知ったことか。どうせここで俺のものにならないなら、あの世にさらうしかねえよ」
いつの間にか重度のヤンデレと化したカイルは気軽な調子で、威嚇する私を鼻で笑いながら手の平にゴオッと大きな火の玉を作り出した。それは瞬く間に形を変え炎の槍となりピタリと狙いを私に定める。
冷たい殺気がこもったカイルの目と目が合って、私は覚悟を決めた。もはや魔導銃でどうにかなるレベルじゃない。
すうっと深く息を吸うと精神を統一し、右手を前に突き出す。授業でやったことを思い出せ。私ならできる!
魔力を右手に集めて発現させると、私は目の前に大きな水の盾を作り出して構えた。戦闘力は敵わないけど、魔力なら互角なはずだ。一撃を防ぐくらいなら私にもできるはず……!
「水は火に剋つ……。基本を忘れちゃったの?」
「それは火と水が拮抗する場合だって忘れたのか?」
自分を奮い立たせるために口にした言葉は、あっけなくたたき落とされる。
カイルの作り出した炎槍が更に魔力を込められて大きさを増した。
ここまでやるか……!
私はその魔法の威力を察して青ざめる。
「ファイヤーアロー!」
ベッと舌を出したカイルが嫌な声で笑いながら大きく手を振るって私に炎槍を放った。
ゴォッ!
空気を震わせて大きな火の玉が私たちに迫る。すさまじい熱気が私を襲い、暗闇を明るく染めた。
「ウォーターウォール!」
私は咄嗟に両手を突き出すと瞬時に全力で魔力を練り上げ水の盾を更に強化して展開し、呆けたように口を開けるリランを後ろに追いやった。未だに魔封じされたままのリランはただの足手まといである。
ガガーン!
魔法と魔法がぶつかり合い、余波で生まれた風圧に吹き飛ばされそうになる。
「きゃあっ!」
リランが耐えきれずによろめいて、頭を抱えて尻餅をついた。
私は顔を腕でかばいながら攻防の結果を確認する。炎の槍は大部分が水にかき消され、残った残滓もごくわずかだ。ああ……よかった!
「油断してていいのか?」
「え……」
しかし一撃を防いだことで思わず気が抜けてしまった私が、聞こえた言葉に顔を上げたときにはもう既に遅かった。
「――――――」
気づけばすかさず追撃を繰り出したカイルの炎が目の前に迫っていて。
「セリーナ!」
反応が追いつかずに棒立ちになっていた私の腕を後ろから駆けてきた誰かが強く引く。
「ダークアロー!」
ぶわっと隣で膨大な魔力が膨れ上がる気配を感じた。
衝撃。
「――! ――!」
何か叫んだ気がするが、定かではない。至近距離で強力な攻撃魔法がぶつかり合った私はそのままその余波で吹き飛ばされ、地面に転がった。
でも不思議と痛みも恐怖はなかった。いや、不思議でもなんでもないか。
「セリーナ。無事か?」
「アルベルト様!」
私を腕に抱えて一緒に転がり、衝撃からかばったアルベルトが息を弾ませて顔を覗き込む。私は何度も大きく頷いた。




