悪役令嬢は腹をくくる
「兄上は黙っていてくれますか。あなたに私の行動に口を出す権利なんて無い」
「いい加減にしないか。公爵家の一員として公の場であのような言語道断な振る舞いをしておいて何をいう」
カイルの声を聞きながら、これは穏やかではなさそうだと顔を見合わせた私たちは小走りになって進む。彼らの姿が見えてきた辺りで歩みをゆるめて、なるべく音を立てないようにして近寄った。
月が明るい夜である。訓練場の真ん中に立つ二人の姿は明かりがなくても十分よく見えた。
「はっ! 公爵家の一員! そうやって都合の良いときだけ俺を家族扱いすんじゃねえよクソ兄貴! 腹ん中じゃ卑しい妾の子だって思ってるくせしてよ!」
苛立ちが爆発したらしいアッシュが顔をゆがめ足で地面を蹴りつけてそう吐き捨てるのを見ながら、近くの物陰に入ったアルベルトを追って私も陰からこっそりと成り行きを見守る。
それにしてもシューライト公爵家のお家事情は私が思っていた以上に壮絶だったらしい。そして弟は思ってたのと違ってたいそう柄が悪かった。不良のようだ。
ん? そういや1個下といえばちょうど14歳。反抗期だな。荒れる時期だからか、元からこんな性格なのか……。
「ち、ちょっと、お二人とも……」
言い争う兄弟から少し離れたところには、声を荒げ始めた彼らにオロオロした顔で手を握りしめて立ち尽くしているナタリアの姿が。
箱入り娘のナタリアは今までこんな荒っぽい現場を見たことがないんだろう。
止めようと思ってはいるのだろうが、なんとかかけた声もモゴモゴと尻切れトンボになって消える。
そんな彼女をはじめとしたその場の状況を私たちは息を潜めて窺っていた。まずは成り行きを見守らなければ……。
出歯亀している私たちをよそに場はさらにヒートアップしていった。
「馬鹿なことを言うな。それに今はそんな話はしてないだろう。いつまでも子供みたいな言動をするな。いいか、あの男爵令嬢の言動は明らかに一線を越えていた。
それを、セリーナ嬢がせっかく納めた場の空気を荒立てるだけじゃなくあの令嬢をかばうなんて何考えてるんだお前! そもそも彼女はハイレイン殿下の一派だぞ。ウチは皇太子殿下を支持してるのはお前も知ってるだろう!」
強い語気で叱りつけるカイルをアッシュはその鋭い瞳で睨み付けた。尖った雰囲気を醸し出した彼は握りしめた拳を震わせながら言い返す。
「兄貴にリランを悪く言う権利なんてねぇだろ取り消せよ! 何がセリーナだ皇太子だ! そんなの俺の知ったこっちゃねえよ。リランは平民だけど、ここまで苦労してのし上がってきたんだ。ちょっとした口調にもぐだぐだネチネチ嫌味ばっか言いまくる底の浅いお前らにアイツを批判する資格なんてあんのか? だいたいアイツは俺が辛いとき、唯一手を差し伸べて寄り添ってくれたんだ! アイツをかばうのは当然だろ!」
瞳孔が開いた橙色の瞳をカッと見開きながらアッシュは誰にも口を挟む隙を与えずに先を続けた。
「大体公爵家がどうなろうとしったことか! あの家が俺に何してくれたんだよ! いっつも嫌がらせばっかして俺を嘲笑って母さん泣かせて! ふざけるな!」
「……母上が大人げないことをしているのは申し訳ないと思っているが、俺も父上もお前には――」
「うるせえよ。そうやっていつも良い子ちゃんぶりやがって、この偽善者め。俺にも母さんにも、お前の母親にも公爵にも、皆に良い顔してよ! 俺には分かってるんだよ、お前が……」
「アッシュくん」
と、その時、訓練場の入り口に誰かが姿を見せた。鈴の音の鳴るような声がする。
不意にどこからともなく現れたリランは、カイルのことを口汚く罵るアッシュに近づき彼の腕に手を絡ませた。微笑んでアッシュの名を呼ぶ。
私は目を剥いた。なんでアンタがここに! 帰ったんじゃなかったのか!
思わず1、2歩前に踏み出した私は、リランがその蠱惑的な桃色の瞳を細めてうっそり微笑んだのを見て足を止めた。隣でアルベルトが身を固くする気配がする。
「『黙っていいようにやられて、仕方ないって諦めるなんておかしいよ。アッシュくんは強くて何にでも立ち向かえる力があるんだから、ちゃんと自分の意見言って顔を上げて生きていかないと。私の好きなアッシュくんは負けたりしない』」
「リラン!」
青白い月明かりに照らされて、リランの瞳が怪しく光る。甘く透き通った声がうわんうわんと反響するような錯覚がした。
唇で三日月を描いて、彼女はトドメの一言を言い放つ。
「『どうか解放されて、自由になって。そうしたら私は貴方のものだから』」
ゆらゆら揺れる世界のなかでリランの不思議な力を持った声が響く。
私は陶酔したような心地でその声に聞き入って――
「どういうことだ、リラン! そんな奴に……! 俺への愛の言葉は偽りだったのか!?」
――唐突に発せられた怒鳴り声にパチン泡がはじけたように我に返った。
ハッと顔を上げると、愕然とした顔のアルベルトが物陰から出てリランたちに姿をさらして立っている。
慌てて隣を見るとそこには当然誰もいなかった。
私の視界に、夢から覚めたような顔のカイルとアッシュが映る。誰もが予期せぬ闖入者に驚いていた。
「はあ!? ア、アルベルトくん!? 何でこんなところにいるのよ!」
しかし一番驚いていたのは他でもないリランだった。驚愕の声を上げた彼女は次の瞬間、酷く焦った顔になる。
「しまった、このままじゃバッドエンドに……!」
と、リランが呟きかけたのと同時に、アルベルトが混乱した顔をしたのが目に入り私は咄嗟に魔導銃を取り出して連続で撃った。用意しててよかった!
やばい、強制力に呑まれかけてる! 戻ってこい!
高速ではじき出された水の弾が連続でビシッと彼の腕に当たると、その痛みと衝撃で完全に我に返ったアルベルトが、そのまま目を閉じ耳を塞ぐと全力でこちらに駆けてきたのに、私は彼をかかえて支えながら後退した。耳を塞いで走るその姿が奇行種のように見えたのは秘密だ。
っていうかどうしよう。逃げるか、とどまるか……。
アルベルトがやられかけている以上、判断は私に任されている。
もちろん、この場で一目散に逃げることが一番安全なのかもしれないけど、その場合後で困ることになるし気づかないうちに詰んでたりしたら嫌だし……。
ある程度のリスクも負わねばならないのだと思うが、それでも逃げた方が良いような気もする……。
「…………」
私はゴチャゴチャになった気持ちを深呼吸で整えた。落ち着け私。
私は一瞬で考えをまとめると、顔を上げてリランを見据えた。
「またあなたなの!?」
「それはこっちのセリフ!」
アルベルトが走って行った先に私の姿をみとめてリランが目を見開いた。
今のところ私には強制力の兆しが見えないことから、私は逃走の構えをとりながらギリギリまで見届けることにした。
ここにはカイルがいる。アッシュがいる。ヒロインがいる。ここまで役者がそろっているのだ。ここで引くわけにはいかない。
それにカイルを置き去りには出来ない。
もちろん友人としてその身が心配なのもあるが、それ以上にこの場で何かが起こったからには攻略キャラ候補である彼の身に何も起きないはずもなく、情報収集しておかなきゃこの先詰む予感がするのだ。




