悪役令嬢はため息をつく
見ない顔だな、誰だお前は。
怪訝そうな顔の私にひょい、と片眉を上げると彼は皮肉気に肩をすくめる。
「私のことをご存じないという顔ですね。、フォークナイト公爵令嬢」
「お会いするのは初めてだと思うのだけれど」
「ええ。そうですよ。しかし貴女は兄と仲がいいではありませんか。てっきり話には聞いていることかと思っていたのですが、私の見込み違いでしたね。
カイル・シューライト卿の弟のアッシュ・シューライトと申します。以後お見知りおきを」
「まあ、シューライト卿の弟君でしたのね。卿からお聞きしたことがございますわ」
聞いたことはあるけど会ったことないんだから誰だかわかんないのは当たり前だろうが!
にこにこ笑って刺々しいアッシュの言葉を受け流しながら、私はアホかと思った。見込み違いとかいう問題じゃないぞ。初対面ならまず名を名乗れ。
まあそれはともかく、たしかアッシュはカイルの弟で一つ年下の、側室の子だったような。さっきの言いっぷりから察するに兄とは仲がよくないのかな?
「ふん……、さて、先程の私の言葉にお答えをまだいただいておりませんが」
私の答えにつまらなさそうに鼻を鳴らすと、彼は話を戻して私に答えを要求してきた。
は? さっきの言葉? いや知らんがな。本当になんなんだコイツは。
この自分に酔った感じの態度……。さては中二病だな。
そんなことを思った私が心の中でせせら笑っていると、カイルがとても険しい顔で進み出た。
「セリーナ嬢。弟が申し訳ない。アッシュ、口を慎め。場をわきまえろ」
その厳しい視線にアッシュが少したじろぐのが分かった。しかし彼が何かを言い返す隙を与えずにカイルはその場を収めにかかる。
私に謝罪し、周囲に対して、場を混乱させて申し訳ないといい、そのままアッシュを有無をいわせない態度で引きずって会場の中央から抜け出すと外庭の方へと消えていった。
そんな、なにやら剣呑な雰囲気を漂わせるカイルにまごついた顔をしたナタリアがその後を追いかけて早歩きで去って行く。いつも穏やかなカイルがあんな雰囲気を漂わせるのは初めて見た。
彼らの様子が気になるが、私はこの微妙な空気を放置してここを離れる訳にはいかないのである。しかしどうしたものか……。
私が言葉に迷っていたらアルベルトが咳払いをした。
「あー、色々と横やりが入ったが、何はともあれ男爵。貴公の謝罪は受け入れられたしこの件はここで終わりとよう。フォークナイト公爵令嬢の言葉を忘れずにこれからも励んでくれ」
「は、ありがたきお言葉でございます、殿下」
「下がっていいぞ」
オロオロしていた男爵はアルベルトの言葉にほっとした顔をするとリランを連れてそそくさと退散していった。それを見届けたアルベルトは今度はハイレインに声をかける。
「ハイレイン。お前があの令嬢の後見となるというのなら、きちんとこういった場での振る舞いやマナーについても教えることだ。それがお前の責任だぞ」
アルベルトに諭されたハイレインは酷く不満そうな顔をしたが、さすがにことが大きくなりすぎていることを自覚したのか何も言わずにリランを追いかけていった。
そんな彼に小さくため息を付きながらアルベルトは最後の仕上げに、しん、となってこちらを注視する周りの大勢の参加者たちに騒がせたことを詫び、演奏をやめていた楽団に合図を送って演奏を再開させると場を仕切り直した。
会場に徐々にざわめきが戻ってくる。ハプニングは起きたが、なんとか夜会は続行された。今年のデビュタントの子たちはかわいそうに……。しかし、他にも気になることはある。
「アルベルト様。カイル様たちが少し気がかりなのですが……」
「ああ。俺もだ。行ってみるか?」
「ええ」
そうして場の雰囲気が元に戻り私たちに注がれる視線も少し落ち着いた頃、私はアルベルトにそう切り出す。すると彼も私と同意見だったようなので、私たちはそのままさりげなく会場の隅まで移動して外庭の方へ向かった。
人々に笑顔で会釈をしながら歩いていたら、途中で若い貴族の青年たちとすれ違った。
「……あら」
「どうした?」
驚きに小さく声を漏らした私は、彼らを振り返りながらアルベルトに告げる。
「今の方たちはひょっとして、リランさんを取り巻いていた方々かしら」
「ん? ああ、そうだな。見覚えがある。それがどうかしたのか?」
「いえ、たいしたことではないのですが、ただ、今あの方たちがハッキリと私たちを睨み付けてきたので驚いただけです」
酷く剣呑なまなざしだった。嫌な雰囲気だったな。
私たちにそんな無礼な態度をとる人なんてほぼいないから意外だった。敵対勢力はいるとはいえ、私達に表立ってそんな態度は普通はとらない。
「ああ……。俺の見た感じでも今日の騒ぎでランガード男爵令嬢側に立った奴はそれなりにいるからな。厄介だな。新たに変な閥が出来そうだ」
そしてその派閥がハイレイン側とくっついて勢力を増しそうだと。私は長いため息をついた。穏やかじゃないなあ。
外庭に出てしばらく早歩きで進むと、奥まったところに細長い道があった。
「ここは……? カイル様たち、見当たりませんけど、この先には何があるのですか?」
「この先は騎士団の第三訓練場がある。カイルもよくそこで訓練をしていると聞いたことがあるし、今はそこは人もいないはずだ」
つまりカイルが弟を人目につかずに存分に叱れる場所だと。
念のため近くに立っていた衛兵に聞くと、この先を進んでいった二人組とそれを追いかけていく人がいたという。十中八九、カイルとアッシュとナタリアだな。
私たちは頷きあうとそのままその道をたどって進んでいく。
そして訓練場が見えてきた辺りで耳に届いた何やら言い争う声に、私は目をぐるりと回した。はあ……。
前言撤回。さっきのはまだ穏やかな方だった。




