悪役令嬢は毅然と対応する
「皆さん多くの方が不愉快そうにしていらっしゃるわね」
「当然ですわ。あの方この場をなんだと思っているのかしら。殿方を誑かして周りに侍らせる低俗な会では無いのよ。確かに未婚の方たちや婚約前の方が良いお相手を探す側面もありますけどね、あんな下品なやり方じゃないわ!」
「ナタリア様のおっしゃるとおりですわ! このままではこの会の品位が疑われてしまいます!」
「もう見るに堪えませんわ!」
私が感想をこぼすと、ナタリアを始めとしてその場にいた女の子が次々と不満を表明し始め、彼女たちの言うことを聞いているうちに次第に私の心の中に怒りが渦巻き始める。その感情はぐるぐると私の体の中を駆け巡って爆発した。
「ええ……。皆さんのおっしゃる通りね! お相手を探すという側面もこの場にはあるけれど、それはあくまで副次的なことですものね。デビュタントは皇帝陛下が主催する伝統あるお披露目の儀式であって、当然節度が求められるのよ。それが何なんですのあの方! ここは公爵令嬢として一言ガツンと……」
伝統やしきたり、さらには求められるルールや暗黙の了解を公然と無視するなんてこれだから平民は!
ヒロインの振る舞いにカッとなった私が足を踏み出そうとした瞬間、アルベルトが戸惑ったような顔で私の腕をさりげなくつかんで引き留め、周りからは見えないようにギュッと私の皮膚をつねった。
いたぁっ! 何するのアルベルト! って、はっ……!
痛みで我に返った私は踏み出しかけた足をそっと引き戻して、ギギギ、とぎこちない動きでアルベルトを見た。
「アルベルト様、私今……」
「ああ……様子がおかしかったから。瞳孔開いてるぞ」
頭に血が上ってヒロインにケンカを売りに行くところだった私は慌てて深呼吸した。
え、まさか今私、強制力にやられてた?
たしかにゲームでは悪役令嬢はヒロインの貴族らしからぬ常識外れの振る舞いに怒って文句つけにいってるけどまさか……。
ここに来て新たな強制力の発動条件の存在が判明するとは!
この衝撃の事実に今すぐにでも退却したいところだったが、周囲の目がそれを私に許さなかった。カイルも見捨てるわけにもいかないし。
突然クールダウンした私をナタリアたちが不思議そうな目で見てくる。
「どうなさったんですの、セリーナ様。今こそ共同戦線を張るべき時ですわ! さあ、参りましょう」
戦闘モードに入り今にもカチコミに行きそうなナタリアに、私は深呼吸をして微笑みを浮かべた。
「考え直したわ。まあ皆さん、今は少し落ち着いて、もう少しことの成り行きを見守りましょう。ここで私たちが公然と注意をしにいったら、ハイレイン殿下のお顔を潰してしまうわ」
「ですが……」
と、私に反論しかけたナタリアだったが、アルベルトの『俺もセリーナに賛成だ』という鶴の一声によって渋々矛を納めた。うん、それがいいよ。とりあえずいまのところトラブルは避けよう。
しかし少しして、私たちが何もしなくてもトラブル(ヒロイン)は自分からこちらに飛び込んできた。
取り巻きの男共もさすがに第二皇子にはなにも言えなかったらしい。彼らはハイレインに連れられてこちらにくるリランの姿を名残惜しそうに見つめている。
やめて! 来ないで!
「ハイレイン」
「兄上。もう事情は聞かれましたか? この方が、僕が面倒を見ているリランさんです! ぜひセリーナさんと仲良くしてほしいと思って! ほら、セリーナさんみたいなしっかりした人と知り合いだとリランさんも安心するかと」
大きなお世話じゃ。おとといきやがれ。
私は意地の悪い笑みを浮かべるハイレインを心の中で口汚く罵った。それにしてもコイツはどこまで何を知っているんだ……?
心にむくむくと湧き上がる疑念をよそに私はハイレインに挨拶したあと、ヒロイン(多分いまの人格はリラン)に声をかけ、型どおりの祝福をのべた。
「ごきげんよう。セリーナ・フォークナイトと申しますわ。リランさん、デビュタントおめでとう。あなたに女神様の祝福がありますように」
カーン! カーン!
私は心の中でヒロインを模した藁人形に五寸釘を打ち付けながら笑顔を向ける。誰が祝福なんてするものか。
うーん。我ながら自分の裏表の激しさに人間不信になりそう……。
「まあ、セリーナさんっていうのね。私、リランです。素敵な言葉をありがとう! ぜひ仲良くしてね!」
そんなことを思っていたら、次の瞬間リランは大きな声で私にタメ口をきき、冗談じゃなくその場の空気が凍り付き、会場内は水を打ったように静まりかえった。
「リッ、リラン! お前は何をしているのだ!」
ピキピキに凍った空気のなか、真っ先に解凍したのはリランの義父のランガード男爵だった。
「フォークナイト公爵令嬢! こっこの度は不出来な娘がご無礼をいたしましたこと心からお詫び致します! 娘は私の養女となってからまだ日が浅い故、どうかご寛恕いただきたく……」
転びそうになる勢いで飛び出してきた彼は青ざめた顔で額にダラダラ汗をかきながら私にリランの不作法をわびた。
それはそうだろう。公爵令嬢相手に公の場で堂々と無礼な口をきいたのだ。権力者ににらまれたら男爵家の復興どころではなくなる。
ちら、と周りを見ると、皆固唾をのんで成り行きを見守っていた。かなりの注目を集めている。うわっ……。
これは私がどのような対応をするかも見極められているから下手な対応はできないな。この場をどう納めるかで私の器量が問われるし……。まったく面倒なことに巻き込みやがって。
私は深呼吸をすると、落ち着いた声音で男爵に答えた。
「ランガード男爵。あなたの言い分は分かったけれど、デビュタントの意味はおわかりかしら」
「はい。それはもう……」
「それならいいのだけれど……。今回は様々な事情があったということで、私もこれ以上は言わないでおくわ。リランさんも初めてのことで緊張なさっていたのでしょう」
「ええ、そうなのです……!」
「ですが、一人前のレディとは、それにふさわしい教養、品位を身につけてどのようなときもそれを実践できる方のことをいいます。言葉遣いももちろんですけど、このような場で騒いだりすることももっての外です。そのことを忘れないで、これからも励んでくれたら嬉しいわ」
ついさっきまで公衆の面前で大爆笑しそうになっていた女のいうこととは思えないセリフである。
我ながら自分の面の皮の厚さに呆れるが、『適度な厳しさを示した後は寛大な態度で許しを与え、さらにさっきからの皆の心を代弁して注意もする』
という対応は、周りの反応を見るにこの場における最適解だったようだ。よかった……!
「お言葉、しかと心に刻みました。ご寛容なお心遣いに心より感謝申し上げます」
男爵は何度も感謝を述べる。うんうん、まあいいってことよ。よかった、冷静に対応できて。
私は静かに息をはくと胸をなで下ろし――
「ところでアルベルト様。私はもう大丈夫ですのでそろそろ……」
「あ、ああ。すまない」
――私にささやき声で促されて、アルベルトはこっそり爪を立てて痛みを与えていた手を私の腕から外した。
ありがとう、助かるよ。危ないところだったな。これで強制力にやられていたらこの場で怒鳴って平民のくせにとか言っていたかもしれない。そして私の強制力の謎がまた一つ増えた。
そうこうしているうちに男爵は一刻も早くこの場を立ち去ると心に決めたようで、何かを言おうとしたリランの口を塞いで彼女にも私に謝罪とお礼を言うようにいったが、しかしそこでリランが何かを言う前に新たな人物が乱入してきた。
そう。先程できたばかりの彼女の取り巻きの一人である。
「お言葉ですが、フォークナイト公爵令嬢。彼女はついこの間まで城下町で暮らしていたのです。それを数ヶ月でここまでの作法をおぼえて陛下への謁見も無事に済ませた……。リラン嬢は既に十分励んでいるものだと思われますが?」
そんなよく分からないことをのたまいながら進み出てきて、おさまりかけていた場の空気を再び粉々に破壊したのは、灰色の髪にオレンジ色の鋭い瞳をした少年だった。




