悪役令嬢は鳥肌を立てる
「そうだ。皇帝には代々そういう側近がつくわけだが、まあ絶対の忠誠なんて一朝一夕で誓ってもらえるようなものじゃない。皇帝として即位してから関係性を築くのでは遅いからな。大概皇太子時代からつけられるんだが、まあそれでも側近と固い絆を築けるかどうかは本人次第だ。歴代の皇帝の中には側近との関係がうまくいかずに、クビにしてそういう存在がいなかった人や、はたまた逆に酷く恨まれて裏切られたなんて人もいたらしい」
「なるほど。皇太子時代からみんな一応そういう人はつけられるけど、それをどう使う、というか、うまくやれるかどうかは本人次第ということですね」
まあそりゃそうだ。おとぎ話じゃあるまいし、側近が必ず皇帝とうまくやれるわけもなし。与えられた手札をうまく使えるかどうかは本人の力量次第ってことだね。
うわあ厳しいなあ。なんという弱肉強食の世界。
草食動物セリーナは心の中でプルプル震えた。おそろしや。生き馬の目を抜く貴族社会で生きるのって大変だ。皇太子に生まれなくてよかった……。
しかし不幸にも皇太子になってしまったアルベルトの気苦労は尽きなさそうだし、私も頑張って支えていかなきゃね!
「これまでのお話からだと、アルベルト様はうまく信頼関係を築けているようですね」
「ああ。色々あったが今では俺の最も信頼する人間のうちの一人だ」
「まあ! それはよかったです!」
うまくいっているようで何よりである。私は身を乗り出して祝福した。アルベルトのそばに心許せる人間がいてうれしいな。一人で戦うのって大変だからね。
私もいつもそばにいられる訳ではないし。宮中での生活を支えてくれる人がいて本当によかった! 正直この間のハイレインの件があり、宮中の厳しさを実感してからアルベルトが心配だったのだ。
「お前もだぞ」
「え?」
「セリーナも俺が最も信頼する人間だ。あらゆる意味で支えられているな。お前がいなければ今頃ルイスともうまくいっていないだろう」
え? 突然アルベルトから感謝されて私は慌てた。
一瞬どう反応して良いか分からなくなって目を泳がせるが、ふと、真剣なまなざしでこちらを見つめるアルベルトと目が合って、喜びとか恥ずかしさとか感謝とか、色んなものが入り混じった気持ちが湧いてきて、私は大きく破顔する。
「あ、ありがとうございます。私の方がいつもアルベルト様に支えられていますし頼ってばかりなのに……。そう言ってくださって本当にうれしいです!」
「ああ。俺もだ。お前がいてくれてよかったよ。これからもよろしくな」
「私の方こそ! アルベルト様がいなかったらどうなっていたことやら……。よろしくお願いします!」
お互い感謝を言い合って、そしてちょっと照れくさくなって目をそらす。
ちらっと見るとアルベルトも少し照れくさげに微笑んでいて、私は自分の頬が更に熱くなるのを感じた。
コンコン
と、そのとき、部屋のドアをノックする音がして私たちは居住まいを正した。
「入れ」
アルベルトが外に声をかける。私はなんとか頬の熱を冷まそうと、カップの中で少し冷えたカモミールティーを流し込んだ。
ところで、私がいなかったらルイスとうまくやれなかったって言ってたけど、特に何もした覚えがないのだが、いったい何のことだったんだろう。
「ご歓談中、失礼致します」
噂をすれば影がさす。ドアを開けて現れたのはルイスだった。
あっ、この人! そうそう! この人だよ!
彼の顔を見た瞬間、私の中でぼやっとしていた彼の印象がハッキリする。そういえばこんな人だった!
とてもすっきりした気分になった私は思わずニコニコした。まるでテスト中、思い出せそうで思い出せなかった問題の答え合わせをしたときのような気分だ。
それにしても……。
「ルイス。ご苦労だったな。ちょうどいいところに来た。今日の報告書の写しを持っているか?」
「はい、殿下。お預かりしたままでしたので、お持ち致しました」
優しげな顔に上品な笑みを浮かべたルイスがそっと手に持っていた資料を差し出した。
アルベルトが礼を言って受け取るのをぼんやり眺めながら私は一人首を傾げる。
なんでこの人が今まで私の記憶に残らなかったのか。
まあ確かにそんな話したことはないけどね。でもそのせいだとは言い切れない何かがルイスにはある気がする。うーん。
「……」
じっと見つめていると、ふとその薄茶の瞳と目が合った。私と目が合ったルイスは微笑んだまま礼儀正しく一礼して、そのままアルベルトの側に控えた。
侍従の鏡のような完璧な立ち居振る舞いである。さすがは皇太子の側近だ。
「セリーナ。これが先程話したルイスだ。俺の側近として様々な役割を果たしている」
「フォークナイト公爵令嬢、ご機嫌麗しゅうございます」
「ごきげんよう、お久しぶりね」
挨拶が終わると、アルベルトが資料の中から何束か引っ張り出して口を開くが、言葉を発すると同時に少し咳き込んだ。
え、大丈夫かアルベルト! 確かに今日は色々あったし喉も酷使したことだろう。
「まあ、アルベルト様! 大丈夫ですか?」
アルベルトの喉を潤さねば! と使命に駆られた私はポットに手を伸ばしたが、そのときすっと横にルイスが控えた。
「よろしければ私がお入れ致しましょう」
「あら。ええ、そうね。お願いするわ。ありがとう」
「はい。お任せください」
慇懃に頭を下げたルイスが流れるような動作で新しいお茶をカップに注ぐと、丁寧にアルベルトに差し出す。
そして、失礼致します、と私の空になったカップを手に取り、私にもお茶を注いでくれた。
「まあ、ありがとう」
更に、喉を潤し終わったアルベルトに、「よろしければ私から報告致しますが」と申し出るルイス。
「すまない。助かる」
「恐縮でございます」
アルベルトに資料を渡された彼は、それでは、と前置きをしてから報告を始める。
ルイスはとてもよく出来る男だった――。
「まず、殿下のお部屋の近くにいたはずの近衛や侍女が、なぜ騒ぎが起きていたにも関わらず誰もお声がけをしなかったのか、についての調査結果についてご報告致します」
そうして彼は淡々と説明を始めた。その説明を簡潔にまとめるとこんな感じ。
1、その時間帯近くに控えていた近衛騎士は二人いたが、事件の少し前にそのうちの一人が急激な腹痛に襲われその場を離れた。
2、一人になった近衛の前に通りがかった侍女が持病の発作を起こして倒れ予断を許さない状態だったので、彼は伝令機で近くの同僚に交代を要請し医務室へ。
ちなみにその交代要員は、あのとき私が部屋の窓の外にいるのを見た騎士だったそうだ。あの人が途中から消えたのは廊下に交代に行くためだったらしい。
3、本来ならすぐ交代できるはずが、交代の騎士は途中でなぜか迷子になったハイレインに遭遇し足止めを喰らう。
ハイレインは基本付き人を何人も連れていないと出歩かないため、そんなに細かく道を覚えていないらしい。しかしその日は付き人とふとした拍子にはぐれて迷子になったそうだ。
「と、いうように冗談としか思えないような流れで、ちょうど不審者が来た時間帯に廊下から警備が消えました。更に侍女は交代時間のミスでいなかったようです」
「なんという……」
うわー。なんだか鳥肌が立ってきた。恐怖のピタゴラスイッチがここでも起こっている!
私のひきつった顔を見て、アルベルトがうんうんと頷いた。分かるぞ、という心の声が聞こえた気がする。あ、伝令機とはトランシーバーのようなもので近距離でしか使えないが、一応ウチのイカ狂人ことウォルドのイカした発明品である。
「侵入に関してはこんな感じだ。帰るときも、おそらく似たような偶然の隙をついて逃走していったんじゃないか」
アルベルトがそう言ってため息をつきながら言葉を続けた。
「ついでに皇城に忍び込んだ方法は、抜け道の場所でも知っていてそこを通ってきたんじゃないかと思うんだが」
ヒロインと昔会った時に使った抜け道か。いやでもあれって……。
「ですがあれはその後塞がれたのでは?」
「そのはずなんだがな。あれは出入り口のあたりを塞いだだけだから、そこに綻びがあったのか、それとも別の道があったのか……」
そこで言葉を切ったアルベルトは窓の外に目をやって肩をすくめた。
「どちらにせよこの天気ではな。確かめようがないから明日の朝にでも調べようと思う」
ヒュオオオオ。
その言葉を後押しするかのように、一際大きな風が吹いて窓ガラスをガタガタと揺らした。たしかに。吹雪いてるし、ていうかもう夜だし、今日の調査は無理だろう。
「ところで、今回の件に対する事後処理だがフォークナイト公には本当に世話になった。セリーナ、呼んでくれてありがとう」
「え? ああ! そのことですね! まあ本当ですか? 少しでもお力になれたのならよかったです」
突然話題が変わって意表を突かれたが、すぐに納得した私はそう答えを返した。それならよかった。少しでもアルベルトの役に立てればと思って手紙を書いたんだけど、やってよかった!
あのあと事後処理が大変になるだろうなって思ったから、ちょうど皇都に来ていた父を呼んだんだけど、どうやら大分力添えしてくれたらしい。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……。
その時、壁に掛けられた振り子時計が鳴って、私たちは我に返ったかのように時計を見た。え! もうこんな時間なの? 時がたつのって一瞬だな。
そう思っていると、アルベルトも「もうこんな時間か」とつぶやいた。
「そうだな、今夜はこれくらいにしておいて、続きは明日にしようか。もう遅いし色々あったから疲れただろう。今日は早めに休んだ方がいい」
「そうですね。もうこんな時間ですし、そうしましょう。アルベルト様、今日は本当に色々ありましたけれど、ありがとうございました。今夜はゆっくりお身体を休めてくださいませ」
「ああ。ありがとう。お前もな、よく休んでくれ」
「ええ。それでは、おやすみなさいませ」
そうしてアルベルトに挨拶をして私は部屋をあとにした。




