悪役令嬢は動揺する
なんだか色々とボロボロだった。
アドレナリンが分泌されていたのか先程まで痛みを感じずに動かせていた火傷した足が、再び痛みを訴えてくる。
身動ぎした私に気づいてこちらを見たアルベルトが何かを察したのか、水魔法で冷やせと言ってきた。残念ながら治癒魔法は高度な技術であるので私たちのレベルではまだ使うことが出来ない。
大人しく従うが、そういうアルベルトだってなかなか酷い。手は火傷で腫れているし私の靴を受け止めた手の平は血が出ている。投げ飛ばされたヒロインにぶつかった際に強打した鳩尾と倒れ込んだ際にぶつけた頭は相当痛んでいるはずだ。
まさに満身創痍という単語がふさわしい有様である。そのため、アルベルトの手の火傷も冷やそうとしたのだが、俺はいいと断られてしまった。床の上で唸っているヒロインの強制力の再発動を恐れているのだろう。再び正気に戻ってからというものの、アルベルトはヒロインから目を背けている。
私はどうやらアルベルトほど強く強制力の影響を受けないようだから、チラチラとこっそりヒロインの様子を窺うことにした。
しばらくして呻き声が止み、ヒロインがゆっくりと身を起こす。
緊張してアルベルトの腕を掴んだ私は、次の瞬間目を見開いた。
「まっじで意味わかんないわ。こんな野蛮な悪役令嬢見たことないんだけど、アンタもしかして転生者?」
同じ顔、同じ声ーーーーーー別人の雰囲気。
起き上がったヒロインは、先程までと表情も言葉遣いも雰囲気も仕草も、全てが別人のようになっていた。
「………………」
「ちょっと、聞いてんの?アンタに言ってんだけど」
あまりの豹変ぶりに唖然とした私にヒロインが苛立たしげに話しかけてくる。しかし想像を超えた事態に上手く返事ができなかった。一体何が起こっているのか。猫かぶり?演技してた?でもそれにしてはやけに……。
ついついアルベルトの腕を握る手に力が入る。すると、私の手にアルベルトの手が重ねられた。
弾かれたように彼を見上げると、彼は厳しい表情ではあったが私を安心させるように頷き、ゆっくりと向きを変えてヒロインに向き直った。
そして探るような目でヒロインを数秒見つめたあと、小さく首を傾げて口を開く。
「リラン・ホーリン……ではないな」
「………………」
「お前は誰だ?」
え?
鋭い赤い瞳がヒロインを厳しく見据え、その質問に私は息を呑んでヒロインに目をやる。
しかしヒロインの顔をしたヒロインじゃない何者かは、アルベルトの威圧感をものともせずに皮肉っぽい表情で唇の端を吊り上げ、見事に彼の心の傷を抉ったのだった。
「あらぁ、忘れちゃったの?さっきまであんなに熱烈に愛を囁いてくれたのに。君のハートに続く道を教えて欲しいってキザな顔で言ってたのはどこの誰よ」
「ぐっ……」
出来たてほやほやの黒歴史をピンポイントで攻撃されたアルベルトは舌を噛み切りそうな表情で顔を歪めた。
**
黒歴史。
ただでさえ忘れてしまいたい暗黒の記憶。
ふとした瞬間に思い出して「うわぁぁああっ!やめてくれぇえっ!」と頭を抱えて絶叫したくなるその記憶は、自分で思い出してさえその有様なのに、ましてや他人に指摘されるなんて死にたくなるレベルの苦行なのだ!
やめてさしあげろ馬鹿野郎!!
動揺が吹っ飛んだ私はギッとヒロインもどきを睨みつけた。
「アルベルト様にそう言われて喜んでた鳥頭は誰なのかしら?偉そうな事を言わないでちょうだい」
「はぁ?誰が鳥頭だよ。つーかさっきまでのアタシじゃないし。馬鹿じゃないのアンタ?」
「そういえばまだ質問に答えてもらってなかったわね。貴女、一体何なの?」
ああん?とどこぞのヤンキーみたいな口調でガンつけてきたヒロインに、私はなんだか物悲しい気持ちになった。先程までとのギャップが酷い。酷すぎる。さっきまであんなに可愛らしかったヒロインが今はあぐらをかいて座っている…。なんて嘆かわしい!
思わず哀れみの目を向けた私をヒロインはギロっと睨み返した。ああん?
暫くガンの飛ばしあいが続いたが、やがて彼女はふんっと鼻を鳴らすとやおら口を開き、その名前を告げる。
「前野。前野沙耶香」
「……まえの、さやか」
その名前に私は目を見開いた。日本人だ。
「アルベルト様、ちょっと……」
「どうした」
「この方……転生者です」
腕を引っ張り、身をかがめてくれたアルベルトの耳元に口をよせ、私は小さく囁いた。赤い瞳がゆっくりと瞬きを繰り返す。
「何コソコソやってんの?つーかアンタは?こっちが言ったんだからアンタも言いなよ。アンタ転生者なんでしょ?」
「…………」
確信を持ったその言葉に答える前にアルベルトを見る。すると彼は息を吐いて小さく頷き、その意図を汲んで私は硬い声で返事をした。
「そうね。あなたの言うとおりよ」
「前の名前は?」
「さあ。今も昔も私はセリーナ・フォークナイトだから、前の名前なんて存在しないわね」
「……どういうこと?」
「どういうことも何も……」
私たちは互いに不可解な表情で黙り込んだ。ん?何かかけ違っている気がするな。
「……つまりそこの前野沙耶香とやらは前世の人格でセリーナは今世の人格ということだろう」
しばしの沈黙の後、アルベルトがそう言った。うん?なるほど。そういうことか。私の場合は突然入り込んできた前世の人格をフルボッコにして沈めたけど、ヒロインの場合は前世の人格が勝ったってこと?
私とヒロインがアルベルトの言葉を理解したのは同時だった。
お互いに奇妙なものを見る目で見つめあったあと、ヒロインの顔が嫌悪に歪んだかと思うとカッと目を見開いて私を指差して叫ぶ。
「人殺し!!」
「はぁ!?」
突然何を言い出すんだこのバカは!




