悪役令嬢は奮闘する
セリーナは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のヒロインと強制力を除かなければならぬと決意した。セリーナには今何が起きているのか分からぬ。セリーナは箱入り娘である。大事に育てられ、沢山ご飯を食べてすくすくと育って来た。けれども邪悪に対しては人一倍敏感だった。
走れセリーナ!!
アルベルトとの間に空いた短い距離を、私は一気に詰めた。これ以上アルベルトが醜態を晒すのを阻止するのが婚約者兼同盟者たる私の使命っ!!
一、二歩で距離を縮めて、ダンっと左足で踏み込む前にまずはフェイント。といっても物理的なフェイントではない。精神的なものだ。
「きゃあっ!リランさん危ないっ!!」
「っ、リラン!?」
私の声に反応してありもしないヒロインの危機へ意識を集中させるアルベルトに隙ができる。私はその絶好の機会を見逃さなかった。
えいっ!すかさず左足を踏み込んでその勢いで右足を振り上げる。目指すは男の急所だ。ここをやられるとどんな男でも地獄を見るらしいが緊急事態だ許してくれアルベルト!
いけぇっ、私の靴!アルベルトのアルベルトを………!
「い゛っっ!」
私の渾身の蹴りが炸裂した。
***
予想よりも早い手応えと思ったより小さい反応があった。
「…………え……」
「………………」
恐る恐る上げた目にまず映ったのは、寸前で防御したらしいアルベルトの手に靴の先端がめり込んでいるところ。今日の私の靴は先端がやや尖っている。その先端が手のひらにぶっ刺さった痛みは相当なものだろう。
「………………」
「………………」
次に目に入ったのは、キリンが逆立ちして走る姿を目撃したような表情を浮かべたアルベルトの顔だった。どうやら意識はかろうじて元に戻ったらしい。
しかし、汗を流すほどの痛みや突然意識が元に戻った混乱に加え、更なる衝撃をアルベルトは受けているようだった。
彼の口は動揺のあまり半開きになっていて、珍しく間の抜けた表情である。
ギギギッとぎこちなく振り返ったアルベルトの目が私を捉えた。私は呆然とした顔で見つめ返した。
するとその視線はそのまま私の顔から胴体、足へと移動し、そのまま靴の先へと移っていく。
「………………」
「………………」
そして彼は股間を防御した体勢のまま再び私を見た。私はそっと目をそらした。
*
意識が戻ったら婚約者から股間に蹴りを入れられる寸前でした。
そりゃあ驚くだろう。驚くはずだ。私だって驚く。衝撃的だ。しかし緊急事態なのだ。これくらいは許されてしかるべきだと思う。なのでそんな宇宙生物を見るような目で私を見ないで欲しい。
私はそっと右足を下ろした。そして固まっているアルベルトの横を通り過ぎて、目の前で繰り広げられた光景に唖然としているヒロインの元へと歩み寄る。
するとヒロインはここまできて初めて私の存在を認識したようで、後退りながらも慌てた口調で話しかけてきた。
「あ、あなたは一体なんなんですか…!?突然襲ってくるなんて、あ、アルベルトくんが痛い思いをして、あなた誰?どうしてここに居るの?こ、こんなのあの人が言ってた話と違うのだけれど、ま、待って、何をするの!?」
無言の私に前襟と右腕を掴まれたヒロインは怯えた顔で震え声を上げる。何をするのかだって?決まっているだろう。元凶の排除だ。
何事にも原因というものがあり、対処療法では解決できない問題もある。さて、問題。そんな時はどうすればいいのでしょうか!
答えは簡単だ。
私は腕を引いて彼女の体勢を崩しながら右脇に入り込んだ。それと同時に体を回転させて相手を背中に乗せるようにして投げの体勢に入り、
「いよいしょォオオォオッ!!」
「きゃあああああっ!」
反動を利用してヒロインの体を浮かすようにして投げ飛ばした!
ドッシーン!
「ぐぁっ!」
「きゃあっ!」
私の背負い投げはアルベルトを巻き込む形で見事に決まった。ダメ押しの一撃は完璧である。
さっきの質問の答え。大元を叩けばいいのだ。つまり原因療法だね。
まあ、物理的に叩く例は少ないと思うのだけれども。
「お帰りなさいませ、アルベルト様」
そう声をかけて、私は天を仰いで大きく息を吐いた。
「ぐっ、セリーナ…、すまない。助かった」
「きゃっ」
少し間が空いたあと、私の声に反応して応えがあった。顔をしかめてこめかみを押さえながらアルベルトが、上に乗ったヒロインを容赦なく押しのけて立ち上がる。
ふらふらと私のそばに来たアルベルトは私の腕を引っ張ってヒロインからさらに距離を取った。
しかし私は疑り深い目でアルベルトを見る。
「……もう1発、いっておきましょうか?」
「……遠慮しておこう。もう十分だ」
そうか。それは何より何より。
私はそっと右足を下ろした。




