悪役令嬢はプレゼンを行う
「刺激的な毎日、というのはどうでしょうか」
「というと?」
アルベルトが小さく首を傾げた。いかんいかん、変な勧誘の言葉みたいになってしまった。
私は咳払いして説明を始める。気分は重役の前でプレゼンする下っ端だ。やけに喉が渇く。気を引き締めろ。ここが最終関門だ。
私はふっと微笑んでそっと両手を広げた。
「ここは乙女ゲームの舞台で私達は登場人物。主役はヒロイン、悪役は私。殿下は彼女の相手役。
私に協力するということは悪役の味方をする、ということです。ゲームが始まったら、この世界はヒロインを中心にして動きます。ヒロインに都合よく、私に厳しく。
この世界のヒロインが誰を攻略対象として選ぶのかはまだ分からない。逆ハーレムENDというのもありうる。ヒロインの動きは予測不能で、おまけに私はゲームシナリオをほとんど覚えていない。断片的な記憶しかありません。
また、シナリオの強制力もあるかもしれない。アルベルト様は彼女を見た瞬間、強制的に恋に落ちさせられるかもしれないのです。そうなったらそこでアウト。
更に、彼女がどのルートを選んでも、攻略が成功したら私は破滅する。彼女はイベントを起こして親密度をあげますが、誰とのイベントがどこで起こるのかはわからない。私が覚えていないので。
私が破滅する要因は至る所に潜んでいます。
私達は情報が足りなく、断片的なことしか知らず、圧倒的に不利な立場でヒロインを出し抜かなければならない。
どうですか?難しいでしょう?この勝負、始まりからほぼ詰んでるんです。面白いと思いません?やってみたく、ありませんか?
決して退屈はさせませんし、刺激的な毎日を送れることをお約束いたしましょう。
ですので、どうか、私を守ってください、アルベルト様」
言い終えて、長く息を吐き出した。ゆっくりと頭を下げて、上げる。
黙ったままのアルベルトの沈黙が怖くて、かすかに体が震えた。
顔があげられない。怖い。
ここで説得できなかったら、どうしよう。
私は今、人生のすごく大きな岐路に立っていて、どちらに転ぶかの決定権は目の前の少年が握っているのだ。
チク、タク、と時計の針が進む音がした。
「……っく、ははっ!」
つかの間の静寂を破って、小さな笑声が落ちた。
恐る恐る顔を上げて前を見ると、アルベルトが小さく肩を震わせていて、片手で額をおおっていた。俯いたその表情は、まだ見えない。
僅かに顔を上げた彼の唇が隠しようもなく笑みを刻んでいて、そのことに光が見えた。あ、これって、もしかして。
低く笑い続けるアルベルトが顔を上げる。
冷たく整った顔が笑みで歪んでいた。唇が緩く弧を描き、三日月形の微笑を刻んでいる。赤い瞳には満ち足りたと言わんばかりの光が宿っていた。
「っはー、こんなに笑ったのは久しぶりだ」
ようやく笑いやんだ彼がにやりと笑って私を真正面から見つめた。
そして彼の下した決定をあっさりと告げる。
「いいだろう。面白い。その提案、乗ってやる」
「え、……あ、ありがとう、ございます!」
一瞬何を言われたのかわからなかった。でも脳が理解した瞬間大きな歓喜に包まれて、私はつっかえながらお礼を言う。
やった!勝った!乗り越えた!場所がここじゃなかったら両手を上げてサンバを踊りたいくらい嬉しい!サンバなんて踊ったことないけど!!!うひゃー!よかった!最高っ!!
私の心に羽が生え、一瞬で大気圏まで舞い上がった。
「だが先程も言ったがこれはあくまでも仮の決定だ。半年後の俺の魔力属性の結果を見て最終判断をすることを忘れるなよ」
「あ、はい。わかりました。仮でもなんでもいいです。あの、本当に、信じてくださってありがとうございます!」
にへらっと、だらしなく笑み崩れる私にアルベルトがぐさっと釘を刺す。ぐっ、そうでした。いや、それでもいいよ、本当に。本当にありがとう。
「本格的に動き出すのは半年後の結果を見てからだ。だがそれまでに少し考えておきたい」
「はい!」
「だからお前が覚えている限りのことを今すぐ全て教えろ。事細かにな。曖昧な記憶でも、確信がもてなくてもかまわないから些細なことでも教えてくれ」
「わかりました!」
紙とペンを手にしたアルベルトが私が言う情報を綺麗にまとめていく。
どうやら私は最強の味方を手に入れたようだ。ふはははは!
***
「本日は急に無理を言ってしまいましたのに、お聞きいただいたばかりか数々のご好意、心からお礼を申し上げます。とても楽しかったです!」
「私こそ、今日はとても有意義な時間を過ごせました。ありがとうございます。フォークナイト嬢」
帰りの馬車の前で、見送りにきたアルベルトとにこやかに言葉を交わす。お昼前に来たのにいつの間にか外は薄暗くなっていて、時間の過ぎる速さに驚いた。
使用人たちの前だからか、さっきまで部屋にいた少年とは別人になった皇太子殿下がにこやかに完璧な笑みを浮かべて、私の手に口付ける。
「それでは、お気をつけてお帰りください。半年後を楽しみにしております」
「ありがとうございます。こちらこそ」
鋭く光る赤い瞳から目をそらす。くるりと身をひるがえして私は馬車に乗った。
ガタゴトと揺れる馬車に身を任せて、私は窓から後ろを振り返った。風に私の金髪がたなびく。
皇太子殿下は門の前で完璧な笑顔で私を見送っていて、使用人たちは丁寧にお辞儀をしていた。
「お嬢様、今日はいかがでしたか?」
メイドのサラがそう尋ねてきた。私は窓から目を離さずにそっと答える。
「そうね、最高だったわ」
あらまぁ。頬を染めるサラを横目にふっと息を吐いた。
再び窓の外に目を戻し、段々と遠ざかっていく姿をぼんやりと眺めていたら、最後に、あの作り物の笑顔ではなく、無表情に近い冷たい笑みを唇に刻んだアルベルトがこちらを振り返った。まあまあ距離があるのに、何となく目が合った気がする。
ニヤリと笑って身をひるがえした彼は、そのまま城へと消えていった。