悪役令嬢は悪役令嬢と化す
立ち上がった私はやけにガンガンする頭で地面をしっかりと踏みしめた。ふわふわとしてなんだか落ち着かない気分。世界がゆっくり回っている錯覚がする。
でも大丈夫。やるべき事はハッキリとしているから。たとえ自分の体調が良くなかったとしても、私にはやらなければならないことがある。それさえハッキリしているのなら、私は大丈夫よ。ふふっ。
私は自分の手に視線を移した。そうそう。これ。
視界に入ってきた自分の指が、固く握りしめているポットの取手。そう。これはとても大事なもので、落としてはいけないからちゃんと持っておかないと。あの女に制裁を下すためにはこれが必要だ。なんといっても……
と、そこで私はぐるぐる回る思考をそこで一旦止めた。些細なことだ。それよりも今はあの女の排除が先である。
私の視線の先には2人の男女。黒髪の少年とピンクの髪の少女。その2人は熱に浮かされたような顔でお互いを熱烈に見つめあっている。とろけるような笑みを浮かべているアルベルトの顔を見ているだけで少女への嫌悪感と憎しみがふつふつと沸き立った。
「アルベルト様」
「…………」
「アルベルト様」
「…………」
何度か呼びかけてみるが、アルベルトは私の声なんて耳に入らない様子で、高揚した顔をしてたどたどしく1、2歩、少女の方へと足を踏み出す。
その行動が許せなくて、こちらを見ない彼が許せなくて、彼にそんな言動をさせる元凶に向かって私も足を踏み出した。
元凶の少女は、ぽぉっと赤く染めた頬に熱に浮かされたような潤んだ瞳で、体の前で両手を組んでアルベルトを見つめている。
「ア、ルベルトくん……?」
誘うように開いた艶やかな唇から鈴の音のような声で、少女が彼の名を呼んだ。
***
運命の再会を果たして、惚けた顔で互いを見つめ合う1組の男女。少女が今にも泣き出しそうな、それでいて嬉しそうな、切なくもあるが喜びに溢れている、やけに人を惹きつける表情で少年の名前を呼ぶ。
たどたどしい足取りでそんな少女に向かって歩いていた少年は、自分の名を口にした少女にハッとした顔で「君は……」と立ち止まった。
「リラン……なのか?」
少年が喜びの交じった紅潮した顔で問いかけると、少女は感極まった表情でコクンとひとつ頷く。
信じられないというふうに少年がくしゃりと顔をゆがめ、そしてそのまましばらく心地よい沈黙が流れた。
お互いしか目に入らない別世界に入り込み、運命の相手と見つめ合う2人。
その後ろで熱々のポットを持ってニタリと笑う私。
「まあ、アルベルト様。その方お知り合いですの?」
そう。残念ながらこれは運命の2人のロマンチックな再会シーンなんかじゃない。これはセリーナ・フォークナイトによる崇高な害虫退治の物語だと相場は決まっている。ふざけるな。こんな薄汚い女にアルベルトは髪一筋ですらくれてやるものですか。主役は私だ。
私はつかつかと近寄っていってアルベルトに質問をした。しかし無視されたので強硬手段に出る。
「セリーナ。悪いが今お前に構っている暇はないんだ。少し向こうに行っていてくれないか」
私に胸ぐらを掴んで揺すぶられながら再度詰問されたアルベルトはさすがにこちらを無視できなくなって鬱陶しそうに視線を合わせてくる。
「嫌でございます」
即答した私はギロリと目の前の女に目をやった。私の殺気だった目に睨みつけられた女はひっ、と微かな悲鳴を漏らして怯えたように震え、それを見たアルベルトが心配そうに眉を寄せる。
「っ……」
それがどうしようもなく癇に障った。少女の、守ってやりたくなるような儚い仕草。それを気遣うアルベルト。そうやって、その計算され尽くした動作で男を誘うなんて、なんて最悪な女なの!
少女を威圧する私の態度にアルベルトの敵意を込めた目が向けられる。彼の手が胸ぐらを掴む私の手を解こうと添えられた。そうしながらアルベルトは私と少女の間に、まるで私から少女を守るかのように体を移動させる。
そしてそれが、私の僅かに保っていた理性の糸を完全に切る引き金だった。
は?目の前の光景が理解できない。なぜ私がアルベルトにこんな目を向けられなくてはならないの。ねぇ、なんで?何でなの?私、何かした?
唇をわなわなと震わせながら呆然と目の前の婚約者の敵意に満ちた顔を見た私の目が、ふと、彼の後ろで震えている少女と合った。
「………………」
いいえ、私じゃない。私のせいじゃない。原因ははっきりしている。コイツだ。この女だ。この女が誘惑するから、だから、あっという間に全てが変わってしまったのよ!ポットを握った片手にギリっと力が入る。
私は片手で掴んだアルベルトの胸元を乱暴に突き放した。突然押された反動でよろめく彼の、わずかにバランスを崩した隙をついてぐいっと押しのけ、少女と私の間の道を作る。万が一にもアルベルトに当たったら大変だから。
顔が歪んで冷たい笑みを形作るのが分かる。私はアルベルトの一瞬の隙を見逃さなかった。
「悪いけど、このお方は貴女みたいな下賎な女が話しかけていいような相手じゃないのよ」
「!?きゃあっ!」
「っおい!やめろ!!」
私以外の2人から焦りと恐怖と怒りの声が上がるが、その全てを無視して私は勢いよく手に持ったポットを少女目掛けて投げつける。
私の手を離れたポットは放物線を描いてヒロインに向かって突き進みーーーーーー
「リラン!……っつ!!」
「ぎゃあっ!」
「ア、アルベルトくん!?」
ーーーーーー運動神経を無駄に発揮したアルベルトの人外の動きによって叩き落とされたのだった。
お久しぶりです!
前話ではさまざなご感想ありがとうございました。全て目を通させていただきました。
今まで行っていた感想への返信についてなのですが、勝手ながら、返信にてネタバレをしてしまいそうなのでしばらく控えさせて頂こうかと考えております。
よろしくお願いします!
明日も更新します




