悪役令嬢は恐怖をおぼえる
メインキャラが強制力を強く受けるのは、メインキャラがメインキャラであり、更には思春期を拗らせているのでヒロインの主人公補正を受けやすいからだ。
その上ヒロインには、ゲームの中の特定のセリフでダメ押し精神攻撃!という必殺技もある。
まあ簡単にいうと、メインキャラ、もとい攻略対象達にはヒロインの補正に強くかかりやすい条件がピッタリ揃っているのである。
なので、なるべくその条件に合致するものを減らしてあげればいい。
つまり、『思春期をこじらせない』『ヒロインが特定の言葉をかけることができない』というような状況にするのだ。
何が言いたいかというとだね、例えばね?
ゲームのアルベルトがヒロインにコロッといったのは、『そんな嘘の笑顔ずっとしてて疲れちゃわないですか〜』とかいうセリフに『孤独なボクの本当の姿に気がついてくれた!』と心を打たれたからである。
つまり、アルベルトが思春期をこじらせず、そんなバカげたセリフに心を動かされない人間に成長していれば、その効果も半減するのでは?
もっといえば、そもそも最初から嘘の笑顔なんて浮かべていなければ、ヒロインもそんな言葉をかけられないのでは?
ということだ。
無表情の人間に、嘘の笑顔やめてください!とか言ったらお笑い草だよね。一体何を見てるんだよ、としかいえない。
「そこでだ。今方針をはっきりとさせたから、次は具体的に何をしていくかを話し合いたいと思うんだが」
アルベルトがそう言って、新たな紙を引き寄せてペンを手に取った。足を組みかえて姿勢を変えると、コキリと首を回す。そうだね。私もそれがいいと思うよ。
「ええ、私がか……」
ガチャッ
と、そこで、私の言葉をさえぎって、突然ドアノブが回る音がした。
え?
人払いをしてある部屋である。ノックも声がけもないなんて、一体どこの……、
眉をひそめたアルベルトがペンを机に置いて体ごとドアの方向を振り返った。
私は机の上に広げられた資料を急いで1つにまとめてソファーのクッションの下に押し込んだ。誰が来るのか分からない以上これは見られてはまずい。
ゆっくり、ゆっくりとノブが回って、そぉっとドアが開かれる。
「あのぉ……、すみませーん。迷っちゃったんですけど、誰か助けてくださーい」
その人物は姿を現すより先に、開かれたドアの隙間から鈴の音のような可愛らしい声を披露した。
私の、額にかかった髪を払おうとした手がピタリと止まる。
「……………………」
「すみませーん。誰かいませんかー?」
張り詰めた空気の中、強ばった顔でドアを凝視する私とアルベルトの前に、そいつは意気揚々と姿を現した。
ぴょこんっという擬音がつきそうなほど軽やかな仕草でドアの隙間から顔を出して中に入ってきたその人物はピンク色の髪にピンク色の瞳をしたとても可愛い妖精のような女の子で、
その子を見た瞬間、雷に打たれたような顔をしたアルベルトの頬がみるみるうちに紅潮し、そしてそのアルベルトの反応を見た瞬間、私の眼裏が怒りで真っ赤に染まった。頭に血が上り、世界の動きがやたらゆっくりにみえる。
ドクドクと大きく脈打つ心臓の音が耳元で鳴っていて、どくん、どくん、という音とともに私は乾いた目でアルベルトから乱入者へと視線を移した。ふわ、と甘い香りが鼻をくすぐる。まるで娼婦のような、下品な香り。ああ、気分が悪い。鼻がもげ落ちそうだ。
吹雪き始めた外から来たらしく、雪の結晶を艶やかな髪にいくつか付けて寒そうにしながらどこか不安げにこちらを窺うピンクの髪の女。ゆっくりと何度も瞬きを繰り返しながら私はソイツを頭のてっぺんからつま先までつぶさに観察した。結論としては、その計算され尽くされた上目遣いや仕草、一挙手一投足が癇に障るしもっと言うならその存在そのものが許せないと思う。本当に見れば見るほど、
「……?」
……え?
私は今何をいきなりそんな、あれ?ちょっとちょっと、待った!待ったー!え、は?ん??や、本当に、庶民の分際でアルベルトに色目を使うなんて……、なんて汚らわしい!いや待てちょっとタンマ、何が起こって、一体どうしてこんな卑しい女が私達の前に堂々と姿をさらせるのだろう!!!
「あのぅ……私、あの、その、」
「…………」
ふと隣を見ると、もじもじと口を開いたり閉じたりしながら落ち着かない様子で身動ぎするその女をアルベルトが惚けたようにじっと見つめていた。
…アルベルト様?ああ、アルベルト様も驚いているのね。まあ仕方ないか。だってこんな汚い女が突然乱入してきたんですもの。驚くのも無理はない……いや違くね?驚くべきは皇太子の居住区の奥の方の、皇太子本人とその婚約者がいる部屋に部外者が突然入ってきたことだろ。厳重な警備が敷かれているはずなのに、誰にも咎められずにここまで来たのは明らかにおかしいどころか不可能であり、ありえない話。本当、盗人根性が凄いんだなぁ、庶民って。っておい!違うだろ!庶民の何が悪いんだよ、バカにしすぎでしょ。何をどう間違えたらそんな結論に着地するんだよ!!いい加減にしろ!しかもさっきから汚いだの下品だの!
というか未だに誰も来ないってどうなってるんだ!?誰か早く来てこの下等生物を摘み出しなさい!気持ちが悪い!吐き気がするほどおぞましい!こんな女にアルベルトが目を向けるなんて…、こんな女の姿を声を見て聞かなければいけないなんて、なんておいたわしいことだろう。今すぐなんとかしなければ。…ッそう。なんとかしないと!純粋に身の危険を感じる。この状況は明らかにおかしいよ。なんかさっきから謎のトンチキ思考が私の頭を支配して頭がおかしくなりそうだし!なんかアルベルトの様子もおかしいしそれ以前に私が変だ。まさかこれが強制力か?え、ということはあの女の子はまさかヒロイン……
私は狼狽してゆらゆらと視線をさまよわせた。怖い怖い怖い怖い。一体全体何が起こっているのか。自分の身に何かが侵食してくるこのおぞましい感覚は、少し違うけど、前世の自分とファイトした時の感覚に似てる気がする。と、その時、さまよわせていた視線がふっと窓の外に向いた。
ん?あれ、そういえばさっきまで窓の外に立ってたはずの騎士の姿がどこにもないんだけど、ああ、どんな手を使ってもこの女をぐちゃぐちゃに潰してやらなければ。身の程というものをわきまえさせてやらないと。畏れ多くも皇太子殿下の居住区に土足で踏み入ったのだ。そのくらいの報いは受けて然るべきだよね。
ぐっ……!頭がくわんくわんと回っている。思考に靄がかかりまともに頭が働かない。今まで感じたことの無いようなどす黒い憎しみや気が狂いそうなほどの嫉妬が入り交じった、恐ろしいほどの負の感情がどっと心に流れ込んでくる。気持ち悪い穢らわしいおぞましい虫唾が走る……!!!
沸き起こった唐突な感情に戸惑い、抗ったのも束の間。次の瞬間には心が完全に黒い感情の渦に呑み込まれ正常な思考が働かなくなり、怒りと憎しみと嫉妬と殺意に支配された私の手が無意識に机の上の熱湯が入ったポットを引っ掴んだ。
これ以上私のアルベルトにその薄汚い格好で、下品な顔で、穢らわしい声で、あと一歩でも近づいてごらんなさい。酷い目に合うことを覚悟するのね。
私はアルベルトにちらっともう一度目をやると、ゆっくりと立ち上がってにこりと満面の笑みをうかべた。
うふふっ。ご安心なさってアルベルト様。貴方にたかる悪い虫は、全てこのセリーナ・フォークナイトが駆除してさしあげますからね!




