悪役令嬢は社交界に怯える
「アルベルト様」
「兄上」
絶妙なタイミングでふらっと現れたアルベルトは1人だった。ゾロゾロ付き人をくっ付けて歩くのが嫌いなアルベルトは自分の居住区ではお付きの者を下げて、ふらふらと1人で出歩く。
皇太子としてあまり宜しくはないが、その代わり陰ながら見守る護衛を増やしているので、まあなんだかんだ黙認されているらしい。
前に、陰ながらなら良いのかと聞くと、ある程度視界に入ってこないなら別に気にならないと返ってきた。なるほど。弟とは対照的だな。
「ハイレインか。久しぶりだな」
「おや兄上。お久しぶりですね〜、先日はどうも。とぉ〜っても為になるお話をありがとうございましたぁ」
アルベルトはそう言いながら私の隣に立ち、その瞬間、天真爛漫を装う第2皇子の猫が仕事を放棄した。代わりに下から腹黒い顔をした猫がむくむくと起き上がる。うわっ!交代した!
ハイレインはどこか小馬鹿にするような笑みと共に、とぉ〜っても為になるお話、の部分をものすごく嫌味な口調で吐き捨て、アルベルトはそれにうっすら微笑みながら応じる。
私は2人の顔に目を走らせたあと、そぉっとすり足で後ずさりアルベルトの半歩後ろに立った。恐ろしや。男子同士の駆け引きというか争いというかそういうのって、女子同士とはまた違った緊迫感があって怖いなぁ。
そんな私をよそに、2人はバチバチと視線で火花を散らし合った。
「どういたしまして。役に立ったのなら良かった。どうだ、剣術は上達したか?」
「もちろん、上達しましたよぉ、高名な先生をお呼びして特訓しましたからね!父上にもお褒めいただきました。だから僕が上達したのはその先生と、先生をつけて下さった母上のおかげです。ああ、勘違いさせてしまったようで申し訳ないんですけどぉ、兄上の助言はまあ少し為になった程度でほぼ役にはたたなかったので残念ですー」
「そうか?お前の素振りの悪い癖が直ったのはフェルナール殿が来る前のことだと記憶しているがな。俺が助言した直後のことだ」
フェルナール?ああ、剣の達人で有名なあの。ハイレイン、あのお爺ちゃんに特訓受けたのか……。頑張ったな。あの人は普段は好々爺然としているけど、剣術となると別人のような鬼教官へと変身し、生徒は地獄を見ると専らの評判なのに。
それにしても何この空気。やだコレ何コレ!この間アルベルトに聞いたハイレインとの会話。それを聞いて想像していた感じと全く違うんだけど!話を聞く限りにおいては、すれ違ってるなー、とか思ってたけどそういう次元の問題じゃなかったのかもしれない……。というか絶対にそうだ。
ハイレインが笑顔で毒を吐き、アルベルトは穏やかにだが鋭く切り返す。空気がぎしぎしと張り詰めていて、チキンな私は息を潜めて可能な限り気配を消した。私は風景私は風景私は風景……。何この兄弟、怖い。
「え、それってもしかして、自分の助言が役に立ったんだー、って言いたいんですか?感謝しろってこと?うわー、図々しいなぁ。前から兄上って自意識過剰だなーって思ってたけどやっぱりそうなんですね」
「お前の方こそ妄想癖が酷いようだな。俺は事実を述べただけで、『俺の助言が役に立った』『感謝しろ』。そんなことは一言も言っていないが、一体何をそんなにムキになっているんだ?」
挑発に乗らず、冷たく鼻で笑い飛ばしたアルベルトにハイレインの笑顔がひきつった。
「はぁ!?なってないですけど!ていうか妄想癖なんてないし!」
「まあお前もまだ子供だしな。あと何年かすれば精神的にも落ち着いてくるだろう。精進しろ。セリーナ」
「は、はい!」
「弟と話は済んだか?」
「ええ、まぁ……」
「じゃあ行くぞ。またな、ハイレイン」
「…それでは。ごきげんよう」
そっちだってまだ子供のくせに偉そうに!!と、精神的に不安的な子供扱いされた第2皇子の怒りに満ちた声が私たちの後を追ってきた。ひぃぃ!先程の女子力に満ちたきゃぴきゃぴ具合はいずこへ!!
今にも呪われそうな恐ろしい声音である。こわっ!悪霊退散くわばらくわばら。私はアルベルトの後を追ってそそくさと退散しながら、心の中で柏手を打った。
***
参った参った。想像と違いすぎる。
私はアルベルトの後ろを歩きながらそっと来た道を振り返った。皇家の闇を見てしまった気分だ。それと同時に厳しさも。
前にアルベルトに2人の会話の内容を聞いた時は、年上に突っかかる生意気な弟と、子供に慣れていないためそんな弟にまともに相対してしまってその結果すれ違っている兄と弟を想像したのだが、実際の会話を今日見たところ全然そんなことは無かった。
生意気な子供というのは小憎たらしくもあるが、やはり子供なのでどこか素直なところを感じるというか、裏表なく自分の感情をぶつけてくるというか、全くあいつは仕方ないな、みたいになるものなのだが、第2皇子ハイレインにはそれが無かった。
彼からは明確な悪意と敵意を感じたし、それに相対するアルベルトは年下の発言だからといって大人の対応をするでもなく言葉を返していた。
「宮中では」
「え?」
と、前を歩いていたアルベルトが突然ピタリと立ち止まり、短く言葉を発する。
「宮中では些細な言葉尻さえも重要になってくる。年下だからといって反論もせずに大人の対応をとると、向こうに都合のいいように解釈され腰抜けだとか皇帝に相応しくないだとか、悪い評判を広められかねない」
「……話には聞いておりましたけど」
「ああ。お前もこれから経験していくなかで学んでいくだろう」
属性の儀を済ませたら半人前として扱われる。もうすぐ社交界へのデビュー、いわゆるデビュタントなんてものもあるし、私が本格的に社交界に乗り込んでいくのはこれからだ。
もちろん、お母様や教育係から社交界での暗黙のルールや生き抜き方やその他などを色々と教わってはいたが、今までの私は精々ナタリアとかと嫌味を言い合うくらいのことしかしたことがない。
なので知識としては知っていたが、半分とはいえ実の兄弟同士、喧嘩とかすれ違いとか仲が悪いとかそんなレベルではなく、あんなにも剣呑な雰囲気で話す姿は私にとって衝撃的だった。前世でもそうだったし、フォークナイト公爵家も家族の仲はとても良いので。
第1皇妃と第2皇妃の仲が良くないということや、第2皇妃が自分の息子を皇帝にしたがっていることなど、そういうのは全て知識としては知っていたけれど、やっぱりどこかで甘い考えがあったなあ。
アルベルトの話っぷりでは弟のことを気にかけているように聞こえたし、親同士の確執はあるかもしれないけど、親は親、子供は子供、なことだってあるし、やっぱり兄弟なんだし、ちょっとすれ違ってるだけなら仲良くやっていけるんじゃないかな、って思ってはいたんだけれども。
私たちはいつも対策会議を行っている部屋に入るとそれぞれ腰を落ち着ける。
しばらく沈黙が続いたが、私は咳払いをして話を切り出すことにした。
「アルベルト様は前にハイレイン殿下のことをお嫌いではないと言っていましたが、やはり個人としてはそう思っていても立場上表に出す訳にはいかないのですね…」
「ああ。まあな。第2皇妃と母上の関係を知っているだろう?」
「はい」
数十年前、貴族の中で2つの大きな派閥があった。この2つの派閥はとても仲が悪く常に小競り合いを繰り返していたのだが、私が生まれる少し前についに大規模な政争に発展し、そのうちの一つが負けた。
第2皇妃は負けた派閥の筆頭の家の出身である。
もともと今の皇帝は妃は第1皇妃以外娶る気はなかったらしい。しかし勝った方の派閥の増長があまりにも激しく、彼らを抑えて宮中のバランスをとるために、皇帝は負けた派閥の筆頭の家の一人娘である第2皇妃を娶ったのであった。
だが落ち目になった第2皇妃の父、デンリーンザ伯爵はどうにかしてかつての栄光を取り戻そうと死ぬ間際まで執念深く足掻いていたらしい。
彼に残された再起の道は皇帝の妻になった娘だけ。しかし彼女は第2皇妃であり、第1皇妃が男児を産めば後継者はその子となる。
絶対に負けるな。どんな手を使っても息子を産んでその子を皇帝にするんだ。
彼はそのようなことを第2皇妃に執拗に念を押しながら死んでいき、第2皇妃はその言葉通り生まれてきたハイレインを皇帝にしようと、かつて己の父が率いた派閥の残党というか、力を落としバラバラになったもののまだ宮中に残っている勢力を使い頑張っているとか。
ちなみにゲームでは必死の第2皇妃によるネガティブキャンペーンが見事に功を奏し、孤独のアルベルトが爆誕したわけなのだが……。
まあいい。ゲームはおいといて、ここまでが私が父から聞いた話だ。ちなみに最近、フォークナイト公爵家という非の打ち所のない由緒正しい大貴族の娘(つまり私)が婚約者となったことで、アルベルトの立場が強くなった。第2皇妃一派は歯ぎしりして悔しがったらしい。
それを思うとさっきのハイレインのあのにこやかな応対に寒気を感じるんですけど……。え、こわ。あの笑顔の裏で、夜中に藁人形に釘刺されてそう。ひぃっ!
「俺はハイレインに恨みはない。ハイレインも直接は…というか、俺個人には無いはずだ。しかしあいつは実家が落ちぶれて後ろ盾を失い、苦労してきた母親の姿を昔から見てきているからな。母親の悲願を邪魔する俺の存在が嫌なんだろう。
第2皇妃の気持ちもハイレインの気持ちも理解はできる。だが悲しいがどうしようもないな。俺にも立場がある。気持ちが理解できるからといって譲ることはできないさ」
「……そうですね。なんというか、誰が悪いとかではなくて…」
第2皇妃は父の遺志を継ごうとしている。遺志もそうだがそれだけでなく、彼女自身も過去の栄光を取り戻したいのかもしれない。
ハイレインは苦労してきた母親の願いを叶えたい。と同時に野心もあるのかも。
これは私の想像だが、色々なものが複雑に絡み合い、こうなってしまったのだと思う。何のしがらみも無ければ、アルベルトもハイレインも仲のいい兄弟になれたかもしれないのに。
悲しいですね。と、私は呟いた。
まあな。と、アルベルトが言った。
◆❖◇◇❖◆
半年が経った。
2ヶ月の皇城滞在はつつがなく終わり、公爵家の領地に戻った私はあと数ヶ月で12歳の誕生日を迎える。
この世界の12歳の貴族といえば!!そう!!社交界デビュー!デビュタントッ!!
華やかな社交界への第1歩!貴族のデビュタントは女の子の憧れだ。
いいよねデビュタント。社交界デビューとか言葉だけでなんかもうお洒落だよね!前世の私も物語で読んで憧れていたし今世の私にも憧れはある。だが前世ほどではない。
なぜならこの間の皇城滞在の時に、社交界というか大人というか宮中の闇を目の当たりにしたからだ。
アルベルトは大変だな。私は貴族とはいえ皇族じゃないのでこれまではそういうのにあまり接していなかったけれど、アルベルトは生まれた時からそんな世界なんだもんなぁ。
なーんて、他人事みたいに言ってるけど、私ももう12歳になるのでこれからその世界に行くのだ。しかも私は将来の皇妃!なんということだ。多少の駆け引きや争いは仕方ないが子供の継承権を巡ってドンパチ泥沼の戦いに身を投じるなんて想像しただけで胃に穴があく。
よし、アルベルトには可能な限り第2皇妃なんてものは作らせない方向でいこう。御家騒動はごめんだ。浮気ダメ絶対。
そうさ、デビュタントなんて所詮は、キラキラした華やかな世界の皮を被ったドロドロした駆け引きや争いやその他諸々に溢れた世界への第1歩なのさ。
荒んだ気持ちになった私は、心の中でヘンッとそっぽを向いた。
夢がないぁ。でもそれが現実…。
というか現実といえば、まだ生まれてもいない子供の後継争いなんてそんなものの前にヒロインだ。ヒロインに勝たなくては未来はない……。
ゔぅっ!!どんどんネガティブな方向へと思考が転がり、私の胃に痛みが走った。やめろ!考えるな!今は楽しい楽しいデビュタントのことだけ考えろ!!
社交界はたしかに大変かもしれないけど、デビュタントそれ自体はきっと楽しいのだから。ていうかデビュタントの準備ももう始めてるけど楽しいし!ドレス選びも楽しいし!
遠足は行く前が1番楽しいというが、デビュタントもやる前がいちばん楽しいのかもしれない。
大量のドレスや宝石や髪飾りなどが運び込まれた城の一室で、私は目の前の最高の光景を見ることで気持ちを晴れやかにして切り替えた。
もうみんな素敵だなぁ!全部着ていきたい!!けどそうもいかない。うわーー、ひとつに絞るってホントに難しい!
でもいまここでだったらいくらでも好きなのを試しに着れるよね!最高!
私は忙しく協議しながらドレスをより分けていくメイドの邪魔にならないように注意しながら物色を始める。
あ、これ可愛い!このドレス可愛いな!ねぇ、これも着てみたい!
そう言うと、
「それはもう少し絞らなければ入りませんね……」
という無情な答えが返ってきた。え、絞るってもしかして、
「……お腹を?」
「……お腹をでございます」
そう答えたサラの目が光った。ひっ!
**
そのうちダイエットが始まるだろう。
今の一連の会話でそう察知した私は今のうちにおやつを食べておこうと思い、そっと部屋を抜け出して厨房へ向かった。
お菓子もらおう。今日は何かな〜。プリンかな〜。
そんな楽しい妄想をしながら廊下を歩いていた私の元に執事が音もなく近寄ってきて、手紙を渡してきた。ん?これは?
え!!アルベルトからだ!!
「………………」
アルベルトの手紙を読むこととお菓子を食べることを天秤にかけ、あっさりと食い意地が勝利した腹ぺこセリーナは、不敬にも皇太子からの手紙を無視しておやつを食べ、お茶を飲んで一息入れたところでやっと手紙を開くことにした。
んー?なになに?
「ええっ!ヒロインを見つけた!?」
そこにはアルベルトの端正な文字で、『ヒロインの居場所を発見した。招待状は別に送るからすぐに皇城に来てくれ』と書いてあった。




