悪役令嬢は1次試験を突破する
私、セリーナ・フォークナイトの婚約者はこの国の第1皇子、皇太子殿下である。つい最近婚約を結んだばかりなので顔合わせの時に少し話した程度でそんなに面識がないから今世の私は彼のことをそんなによく知らなかった。
だが今の私は違う。今世の私よりは奴のことをよく知っている。まあそんなに深くは知らんけども。
ゆえに。
「本日はお忙しいなか、時間を作って頂き誠にありがとうございます」
社会人か?営業部か?自分の言葉に自分でツッコミを入れながらも私は優雅さを心がけて丁寧にカーテシーを行った。
「とんでもない。我が婚約者殿が会いたいと申されたのだ。時間ならいくらでも作る」
上品な笑みを端正な顔に浮かべるこの少年こそが私の婚約者である、アルベルト・ヴァン・ミューゼルである。
漆黒の髪に赤い瞳を持つ彼は、満面の笑みで私を歓迎してくれた。
ふん、嘘つきめ。貴様が俳優が真っ青になるほど演技が上手いことは前世知識で既に知っている。
騙されないぞ!もともとあまり表情筋を動かさないたちの彼が満面の笑みを浮かべるのは歓迎していない証だととっていいだろう。
だって満面の笑みだよ?逆に怖い。悪かったね!急に押しかけて!
「さて。今日はどうしようか。そうだな、バラ園はどうだ?この時期のバラは実に見事なんだ。見たことがないならぜひお連れしたい」
「殿下。恐れながら申し上げます。本日私は殿下に内密にお話したいことがあって参りました。お人払いを、お願い出来ますか」
適当に連れ回して満足させて帰らせようという魂胆が見え見えな皇太子に、無礼を承知で自分の要望を告げて、私は頭を下げた。
バラ園?いやです。私は前世から香りが苦手だから。特に甘い香りが苦手。
花の香りとかも無理だし、香水がキツイ人とか嫌いだし、唯一許せるのは柑橘系。
バラなんて少し嗅ぐだけでもうおなかいっぱいなのにバラ園なんて行ったら私が死ぬ。鼻が死ぬ。それに蜂とかいそうでやだ。虫嫌い。
適当に女が好きそうなところを案内して帰すつもりだったらしい皇太子殿下は私の言葉を聞いて考え込むようについ、とその切れ長の赤い瞳を細めた。
威圧感のあるその視線を私は真っ向から受け止める。たのむよ、まじで。私の人生がかかってるんだから。
数秒の静寂の後、アルベルト殿下はゆっくりと頷いた。
「いいだろう。ルイス、応接間の準備と人払いを」
「はっ」
すっと片腕を差しだすアルベルトの腕に手をかけて、私は彼にエスコートされて応接間に向かった。
***
「それで、話とは」
アルベルトが紅茶の入ったカップを傾けながら単刀直入に話を切り出した。
人払いによって人目がなくなった瞬間、そのお愛想がガクッと一気に減って実に素っ気ない態度だ。まあ一応顔は笑顔だけれども。
面倒だと思っているに違いない。だが安心しろ少年。私はあんたに愛の告白も結婚式の衣装相談も自分の魅力アピールもするつもりは一切ないからね!
「そうですね。まず私は、殿下に、愛の告白や自分の魅力アピールや結婚生活の妄想やそういった類のことを伝えにここに来たのではありません。もちろんイチャイチャする気も一切ありませんのでどうぞご安心ください」
「……ほう」
私を見る目が若干変化した。少し興味深そうな目でこちらを見ている。どうやら彼の中で私の地位が羽虫からカナブンくらいにまでは上昇したようだ。微々たる変化だけどな。
「今からお話することは到底信じられないと思いますし、場合によっては私の頭を疑うことでしょう。ですが、それに対する証拠も2つほど持ち合わせておりますので、どうか最後までお聞きください」
「…………」
そう言うと、アルベルトが更に興味を持った顔になる。
「そうか。君は私に対して恋愛感情は無いし、そういったバカげた話をするつもりは一切ない。そして、到底余人が信じられないほど荒唐無稽な話をしに来たと?」
「ええ。その通りです」
ふーん、と彼は小さく呟いた。赤い瞳が深みを増す。
「それで?その話をして、私が信じたとしよう。君は私に何を求める?」
「協力を、求めに参りました。殿下にも関係がない話ではないですし……まぁ協力しなかったところで殿下にデメリットはありませんけれど」
「いやに正直だな。なにが目的だ?」
協力を要請しているにも関わらず自分に不利になるようなことを言う私にアルベルトが訝しげな目をむけた。
まあそれはそうだろう。当然の反応だ。それに対して私は清々しい笑みを浮かべる。
「べつに、なにも。ただ私が殿下を相手に腹芸をしたところで見抜かれて終わりだと思うので、正直に全てを話して心証を良くしようとの魂胆があるだけです。そして仮に協力を断られたとしても、まあ、その時はそのときで考えもあるので」
正直に腹の中を晒した私にアルベルトが少し虚をつかれた顔をして、その後にくっと笑いをこぼした。先程までの完璧な作り笑顔は姿を消し、にやりと唇の端を吊り上げて、冷たい、だがやけに人を惹きつける笑みを浮かべる。そっちの笑みの方が彼によく似合っていて、さっきの作り笑いとは天と地だなとぼんやり思った。
「ははっ、面白いな、お前。力の差をよくわかっている。その上で全て正直に、か。見かけによらず豪胆だな。よし。わかった、話してみろ。お前の話を最後まで聞くと約束しよう。途中で遮ったり追い出したりしないことを誓う」
「ありがとうございます」
ほぅっと、私は息を吐き出した。喉がカラカラにかわいている。
これは私にとって賭けだった。大袈裟に言うなら、人生をかけた賭け。これで第一関門は突破したわけだ。
私は机に置かれたカップを手に取って、喉を潤す。ふぅ……生き返った!深呼吸をして気持ちを落ち着けた私は、覚悟を決めて顔を上げた。
愛想笑いを完全に顔から消したアルベルトは、無表情に近い微かな笑みを浮かべて私を見つめている。皮肉っぽいその表情が、やけに似合う婚約者の顔を見つめて、私は口を開き、全てを話した。