悪役令嬢はマナー教師と戦う
ぜひゅーっ、こぴーっ…。何だこの音は……。私の呼吸音だ。自分の喉から死にかけの音が出ているのを感じる。ぐっ、血の味が……っ!
なんで私は技術者の家に来て、全力疾走したあとみたいな状態になっているんだろうか…。おかしい。絶対におかしい。私は遠い目になった。ウォルドはイカさえ持っていけばなんでもしてくれるとか言ったやつ!でてこい!しばき倒してやる。むしろ何もしてくれなくなったじゃないか。
あの血走った目は私の脳裏にくっきりと焼き付いている。ウォルドは絶対にお祓いをした方がいい。ヤツにはイカの霊か何かが取り憑いているに違いない。
今までお父様がウォルドを訪ねるときについて行ったことしかなかった私は、自分で交渉する時になって初めてその困難さを思い知った。だからお父様は毎回憔悴した顔をしていたんだね。初めて知りました。お疲れ様です。そしてお父様…一体どうやってこのバカを御していたのでしょうか…。ぜひとも娘に秘訣の伝授をっ!!私の知らないところでお父様もイカを使った攻防を繰り広げていたのだろうか。絵面がシュールだ。
なにはともあれ、私はイカ男ウォルドにプレゼンすることに、いや、私のプレゼンを聞かせることに成功した。大変だった。もう涙無しには語れないだろう。ギリギリの戦いだった。思い出しただけで、あっ、涙が……。私はほろりと零れた涙をそっと拭う。
結局、イカをある程度満足するまで摂取出来たおかげか、途中から話が通じるようになってきたので、なんとか意思疎通を図ることが可能となったが、危なかった。あのままいったら私はイカになりきって話さなければならなかったかもしれない。
……実は途中で何回か試してみたりして、その効果はバツグンだった。だけど、そのまま続けることに私の心が警鐘を鳴らしたのでやめたのである。そして私の心は正しかった。ほんの数回試しただけなのに、思い返すと、うがぁあああっ!と頭を掻きむしりたくなる。黒歴史だっ!黒歴史だよちくしょうっ!イカになりきって話す女…イタい、実にイタい。……イカい。うるさい。おだまり。私は心の中でさめざめと涙を流す。
「それで、嬢ちゃんが作って欲しいのは、銃と弾丸ってことでいいのか?…ん?弾丸?」
「ええ。それ以外にも、手で握りつぶせるくらいの強度のボールも欲しいわね」
ウォルドの問いに答えながら私はフラフラと近くのソファーに近寄る。ああ、あそこに身を投げ出したらどれだけ心地が良いだろうか。私には体を休める必要がある。早急に!
疲労にぷるぷると謎の震えをみせる体を引きずってよろよろとソファーに手をかけ、身を投げ出さんと足に力を込めたその時。
はしたないっ!という鋭い声と共にピシャンッ!と長い定規が床を打つ音が聞こえてきて私はひぃっと飛び上がる。き、貴様はマナーの教師っ!なぜここにっ!私はバッと振り返り、臨戦態勢を取った。ちなみにマナー教師に対する臨戦態勢とは、ピンと姿勢を伸ばしてにっこり微笑み、手を前で揃えて優雅に立つことである。
「………………何してんだお前」
「………………」
突然後ろを振り返り、にこやかに笑って背筋を伸ばした私にウォルドの冷たい視線がビシバシと突き刺さった。
……どうやら幻聴だったようだ。恐ろしや。連日に及ぶスパルタマナー教育は着実に効果を発揮している。私は頭をブンブン振って気を強く保った。負けるなセリーナっ!所詮は幻聴だ!
いくぞ、再チャレンジ。ソファーに飛び乗って寝っ転がってやるっ!私は負けな「それでもお嬢様は人間なのですか?今の所作はまるで獣です」…………。
数日前に言われた私の心を抉った一言がどこからともなく聞こえてきて、私は大人しくソファーに腰を下ろした。ふぅ。
もう嫌だっ!なんで私がこんな目にっ!恐怖が去ったと思ったら、今度は謎の怒りが湧いてくる。ちくしょぉっ!誰が獣じゃ!!
私は頭の中でマナー教師をボコボコにした。ふっ、他愛もないな。所詮はマナーの教師。戦闘力は皆無のようだ。はーっはっはっはっ。
ドゴォッ!次の瞬間、見事なカウンターが決まった。くぺっ!ワンパンで私をリングに沈めたマナー教師は、高笑いしながら私の脳内から消えていく。想像の中ですら勝てなかった。無念……
◆❖◇◇❖◆
気を取り直した私とウォルドは、本題に入ることにした。遅くない?もうお昼近いんですけど。
正気を取り戻したウォルドに聞いたところによると、彼は最近金欠でしばらくスルメイカを摂取できていなかったのだそうだ。普段はここまで酷くはないらしい。私はちょうど、禁断症状が出はじめた最悪のタイミングでここに訪れたそうだ。何たる不運……っ!ていうか禁断症状ってなんだよ。スルメイカが非合法のブツと化している。
「はぁ?手で握りつぶせるくらいの強度のボールもほしい?」
「ええ。そっちは手のひらサイズで作って欲しいのよ。強度が絶妙で、かつ、清潔であれば文句は言わないわ」
「地味に注文が多いな」
私の注文にウォルドが顔をしかめる。
私が何を作ろうとしているかというと、それは、便利機能を備えた、私の戦闘力底上げアイテムである。なぜ戦闘力を伸ばすのかって?それは今の私の戦闘力が微妙だからだ。
まあ、基本的に私に戦う必要はないんだけど、これから先ヒロインと争うことを考えると、せめて自力で逃げられるくらいにはなっておいた方がいいような気がしたのだ。別にヒロインと殴り合いとかはないと思うけどさぁ、ほら、ヒロインが雇ったならず者に捕まるとかさ、あるかもしれないじゃん。
アルベルトからの宿題をこなしているとき、ヒロインやその協力者の差し金で盗賊とかに襲われて攫われるとか、そんなことがあったなーと思い出し、一応対策をと思ったのである。
もちろん、私は魔法を使えるから戦闘力は皆無じゃない。でも肝心の魔力がそんなに無いため、攻撃魔法をバンバン使えないのである。攻撃魔法は他の魔法と比べ物にならないくらい魔力を食うので非常に燃費が悪い。防御魔法は攻撃魔法よりは燃費が良いため攻撃魔法よりは使えるがそんなに使い勝手がいいものでもない。だからやっぱり一応攻撃力も上げておきたいのだ。
ちなみに水魔法の中にはこれほんとに使えんの?という攻撃魔法も存在する。例えばウォーターボール。そう。読んで字のごとく水の玉である。水の玉をぶつける。まあ、痛いし濡れるだろう。だがそれだけだ。なに?嫌がらせ?ファイヤーボールなら分かるよ?当たったら火傷するし殺傷力も高いもんね。でもウォーターボールってなによ。正直、その辺の石を拾って投げるのと変わらないと思う。魔力の温存もできるし絶対石を投げる方がお得だ。
まあ、それはそれとして、私は魔力を温存しながらなんとか時間を稼ぎ、逃げれるだけの戦闘力がほしいのだっ!そのために必要なものをウォルドに作ってもらおうと考えている。私が考えたものを実現できるかどうかは分からないけど、多分ウォルドならいけるはずだ。大丈夫。こう見えて天才なのだ。このイカ男は。
さ、これからさらに詳しく説明するからよろしくねっ!よく聞くのよウォルド!




