悪役令嬢はタイミングを間違える
「ウォルドー、いるかしらぁ!」
翌日、戦利品を持った私は街のある御屋敷を訪れた。ガツガツとノッカーを鳴らす。ほーらでておいでー。
ノックをしてから2分がすぎた。…………出てこない。おいこら、無視するなバカ!ガツガツガツ!私は再びノッカーを鳴らした。だが一向に出てくる様子はない。
「ウォルドー!」
玄関先に放置されて10分がすぎた頃、苛立った私はドアが壊れる勢いでノッカーを鳴らしまくった。もはや気分は借金取りである。おい!ふざけるな!いるのはわかってるんだぞ!部屋の明かりがついてるのが見えるんだよ!あからさまな居留守を使ってくる男にしつこく私は粘った。ええい、若い衆連れてくるぞ!
ガッガッガッ、ガッガッガッ、ガッガッガッガッ、ガッガッガッ!!
「うるっせぇええっ!誰だコルァっ!リズミカルにドアぁ叩くんじゃねぇ!バカにしてんのか!」
「やっと出たわね、この居留守男!」
私のしつこさが勝った。調子に乗ってノッカーでビートを刻んでいたら、あまりのしつこさに耐えかねたのか、ヨレヨレの服を着たボサボサ髪の男が怒鳴りながら飛び出してくる。ふっ、勝った。この私に居留守を使えるなんて思わないことだ。小一時間は粘ってやるぞ!ふはははははは。
勝ち誇る私に嫌ァな顔をしたウォルドは、帰れ。と一言だけ吐き捨ててドアを閉めようとした。うわー、まって!待ちなさい!締め出されそうになった私は慌てて最終兵器を取り出す。え?最終兵器のくせに使うのが早いって?おだまりっ。
私は手に持った戦利品の袋のひとつを取り出してウォルドの顔に押し付ける。これでどうかお話だけでもっ!
うっとうしげに私の手を払ったウォルドは、はぁ?という気持ちを思いっきり前面に押し出した表情で乱暴に袋を掴み受け取った。
「なんだこれは」
「賄賂です。これでひとつ、お話だけでも」
すりすりとゴマをする私に怪訝な顔をしてガサガサと袋を漁ったウォルドは、中からでてきた大量のスルメイカの姿に、にへにへと相好を崩す。デレっとした表情で顔を寄せると匂いを嗅いで、はーっと満ち足りた顔をした。うわっ。彼の表情のあまりの変わりようにこっちがビビる。話には聞いていたけどこれ程とは……!!
え?何の話かって?そう。この男こそが魂をスルメイカに売った男、ウォルド・ターナー。スルメイカに生き、スルメイカを愛し、スルメイカに狂い、スルメイカの足で首を絞められて死にたいと幸せそうに答えるスルメイカに人生を捧げた男。
本物の干物男である。スルメイカを持っていきさえすれば大抵のことはやってくれる非常にチョロい男らしい。と、話には聞いていたのだけれど…これ程とは。そしてスルメイカってなんだっけ?どうやら私はゲシュタルト崩壊を起こしたようだ……。
すーはーすーはーイカの香りを楽しんでいたウォルドがやっと我に返ったのか、少しだけ正気に戻った顔をした。そして、ありがとよ、といいながらドアを閉めた。バタン。あれ?
はぁあああっ!!?ふざけるな!私はイカの配達員じゃないぞー!開けろ!開けろこの野郎!!バンバンとドアを叩く。ふんっ、それだけでいいの?私はもっとイカを持っているのよ!追加で欲しかったら今すぐこのドアを開けなさい!!私は手に持った袋を振りかざしながらドアに向かって交渉した。
ガチャ、とドアが開いた。おっ!不本意そうな顔をしたウォルドが渋々といった感じでドアを大きく開く。
「……入れ」
「お邪魔します!」
さすが。すごいよイカパワー!私は予想外のイカの力に慄いた。ありがとうございますスルメイカ殿。手に持ったイカの袋に思わず頬ずりをする。と、途端にウォルドに、俺のイカに何してんだコラ!といった感じでギィッと睨まれた。ひぃいいっ!ごめんなさい!
ウォルドの屋敷の中は薄暗くて物があちこちに散乱していて、雑然としている。さすがにゴミを床に捨てる、まではいっていないようだが、走り書きされた羊皮紙がそこらじゅうに散らばっていた。パッと見ただけでは用途不明の色々な器具もそこかしこに転がっていて、なかなか足の踏み場もない。
「で、なんの用だよ。ガキの遊び場じゃねぇんだぞ」
「遊びに来たんじゃないから安心して。今日は作ってもらいたいものがあって来たのよ」
不機嫌そうに唸るウォルドはそう言いながらドカっとソファーに身を沈めた。私は反対側の椅子にハンカチを敷いて座る。大丈夫。私はここを遊び場と勘違いするほどボケてない。
ボサボサの茶髪にヨレヨレの服を着て胡乱げに私を睨んでいるこの壮年の男は、フォークナイト公爵家お抱えの魔導技術者だ。この通り、態度は非常に悪いが腕は確かなのである。そして今日、私はこの男に作ってもらいたいものがあってきたのだ。さて。さっそく要望を……っておいこら!聞け!人の話を聞け!
ウォルドは私を無視して早速イカの袋をバリバリと開け始めた。彼の表情はだらしなく緩んでいて、見れたもんじゃない。だがとても幸せそうだ。いや、それは良いんだけどさ、ねえ、ちょっと。聞こえてます?おーい!
「んーはははっ!ふっふふふ、うほへへへっ!」
話しかけても不気味な笑いしか返ってこない。どうやら耳までスルメイカが詰まっているようだ。いい加減にしろ!
私の話を聞いてください。それは話が終わったあとで一人でやってよ!ちょっとは自分の趣味を隠せ。え?趣味じゃない?ライフワーク?人生そのもの?いや、どうでもいいんだけど。ていうか何?話聞いてるじゃん!ねえ。ねえ!あれ?おーい。無視かい?
どうやらイカに関する話しか耳に入らないようだ。
話が進まないので、私は麻薬の中毒患者のようにスルメイカと戯れる彼から無理やりイカを引き剥がす。
よし、いい?これは私が話終わったあとに返してあげるからまずは私の話を……「キェエエエッ!」ひぃいいっ!
途端に血走った目で叫び、こちらによろよろ突撃してくるウォルドに私は心の底から恐怖を覚えて悲鳴をあげた。慌てて袋の中からイカをひとつかみ取り出してなるべく自分から遠い場所にぶん投げる。すると、ウォルドがしゅぱっと残像を残して消えた。うわっ!なんだ忍びか!?
私がブルブル震えている間にウォルドは無事にイカをキャッチしたようで、1秒前とはうってかわって満ち足りた表情を浮かべて愛しのイカをもぐもぐ噛んでいる。どうやらギリギリのところで命は助かったようだ。私はほっと胸を撫で下ろす。そして念の為、手の中に新たなイカを装備して投擲モーションを取ってからウォルドに話を切り出した。
「あの……聞こえる?」
「…ああ…!もちろん聞こえるともっ!マイスウィートハニー、スルメ!君の声を聞き逃すことなんて天地が消えてもありえないっ!」
幸せそうにイカをかじるウォルドに恐る恐る声をかけると、うっとりととろけた声が返ってきた。彼の頭の中で、私の声がスルメイカの声に変換されたらしく、怒涛の勢いで愛の言葉が囁かれる。もうダメだこいつ。こいつはスルメイカで人生を台無しにした男だ。なんて残念なんだ……っ!!
どうやら私は賄賂を出すタイミングを間違えたらしい。要件を伝え終わってから出せばよかったっ!!ドアを開けて欲しいからといって出すのは早計だった。あそこは自力で頑張ればよかった……。最終兵器は最後まで取っておくべきだったんだ!
後悔先に立たず。私は、ふへへ、えへへ、あーっひゃひゃひゃと不気味に笑いながらイカを口に運ぶ狂人相手に必死にプレゼンを行なうことになってしまった。なんだい愛しのスルメイカ、って違う!私はイカじゃない!だめだ。こいつは私の手に負えないよ!イカ狂いの男と意思疎通を図ることのあまりの難しさに私は涙目になった。誰か助けてー!




