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タイミングが違ったならば、順番が違ったならば

 家に帰る、妻の笑顔と9ヶ月の息息子の寝顔が出迎えてくれた。

玄関まで迎えに来てくれた妻は、寝ている息子を起こさないようそっと揺らしながら小声でお帰りと言う。僕も小声でただいまを言って、妻と息子のほっぺにキスをした。


 何度か人生の転機があった。高校入試は希望していた高校に落ち、二次志望の高校に入学した。片道1時間半電車に揺られて3年間通った。電車に乗り遅れてことも、寝過ごして遅刻したこともある。往復の3時間英単語張だったり、ウォークマンだったり、始めてできた彼女との会話だったりで時間を潰していた。彼女は部活のマネージャーで、小柄でくりくりとした目が印象的だった。


 大学卒業後入職した仕事が合わなくて、2年で辞めた。自動販売機の営業だった。人と話すのは好きだったが、上司のやり方が納得できなかった。効率の悪い営業範囲や、意味のない会議を押し付けられて、上司に意見を言っては衝突した。会社も上司もバカにしていた。最初は良かった成績がなぜだか上がらなくなって、気がついた。営業がとりやすい地域を回してくれていたんだと。しかしそのころには上司に教えを請うことも、自分のやり方を変えることもプライドが許さなかった。どんどん自分で自分を追い詰めて、消えるように会社を辞めた。


 2年間アルバイトをして過ごした。次の会社はまったく経験のない不動産営業だった。今までの反省を生かし、会社に尽くしてきた。

 31歳で会社の後輩と結婚。みんなに祝福され、妻は会社を辞め、今も幸せな家庭を築いている。紆余曲折あったが順風満帆。そろそろ家でも買おうか。それくらい上手くいっていた。


 「おはようございます」そういいながら出社し、カバンをおき、上着を脱いだ。デスクのカレンダーには今日の日付の部分に赤文字で『茂木さん』と書いてある。今日は新しい社員が入る。自分のチームに入る予定だ。僕も面談した。はっきりした顔立ちの背筋のピンと伸びた背の高い女性で僕の一回り年下の子。面談で緊張して笑う様子が初々しくてかわいかった。

 「課長、新しい子もう来てますよ!」

部下の沢井がにやにやと声を掛けてきた。指差すほうを見ると、女性社員に教わりながら棚を拭く茂木さんの姿があり、こちらに気がつくと「おはようございます」と緊張した様子で挨拶をしてくれた。

「かわいいっすよねー」

「お前、手をだすんじゃないよ」沢井の軽薄な言葉に僕は笑いながら釘を刺しておいた。


 真面目で、一生懸命で、少し抜けている。3日間茂木さんと過ごして思ったことだ。業者訪問、物件の下見で車で移動することが多く、移動中色々な話をした。雑談をすることもあるが、多くは仕事のことで、茂木さんは僕の話は必ずメモを取り、社内に帰るとノートにまとめているようだ。たわいない話の中で僕と彼女は共通点が多いことも分かった。片親に死なれていること、弟がいること、目玉焼きは半熟が好きなこと、好きな納豆のメーカー。僕は茂木さんと話すのが楽しかった。

 沢井に注意したのは自分なのに、先に手を出したのは僕だった。


「課長、どうされました」

茂木さんの言葉にハッと我に返った。茂木さんの歓迎会、二次会に行かず帰る茂木さんを駅まで送り、改札を入り、別々の電車に乗るはずだった。茂木さんが電車に乗るのをホームで見送って、いや見送ろうと思って、茂木さんのほろ酔いのにこにこと笑う顔や赤く染まった頬を見ていたら、つい手を握ってしまった。にぎった手は小さくてやわらかくて、あたたかくて。電車の発車するアナウンスを聞いて、なぜか茂木さんの手を引き、ホームに連れ戻してしまった。困ったようにそれでも笑っている茂木さんの声を聞いて、我に返って、

「そう言えば、僕からまだ、入社祝い、してなかったと思ってね」

と言いつくろったが、心臓はバクバクと鼓動し、手に嫌な汗をかいた。僕の態度はおかしいと気がついているのに違いないのに、茂木さんは

「そんな、いつもジュースとか買ってもらっているから、気を使わないでいいですよー」

と笑って言った。


「入社祝いなら、課長と二人きりになれるところで、飲みなおしたいです。その後は、朝まで一緒にいてくれますか」

彼女は上気した頬をより赤く染めながら、なめらかな指で胸元のボタンをひとつひとつ外した。


「課長、折込チラシの手配済みました。それと、この前のオープンハウスの反響をまとめましたので、確認お願いします」

茂木さんは昨日のことなんてなかったことのようにいつもの様子で接してきた。僕が茂木さんをホームに連れ戻したあと、

「入職祝いならコーヒーおごってください!」

と勢いよく言われ、茂木さんの次の電車が来るまで二人でコーヒーを飲んだあと、電車が見えなくなるまで茂木さんを見送った。

 僕は夢にまで彼女が出てきて、朝、起きた後妻の顔を見るのが申し訳なかった。

 仕事も順調で大好きな妻、大切な息子がいる。今は人生で一番ピークの幸せなんじゃないかと思っている。その幸せな家庭を自分で壊したくないし、まあ、若かったら、何かしたいと思ったかも分からないが、手を握ってしまったことは酔っ払ったための事故だと、そして夢の中の出来事は忘れてしまうことにした。

 この気持ちは男の性によるものなのだと、自分を納得させた。


 しかし日に日に僕は茂木さんに心惹かれていた。茂木さんと仕事をすればするほど、僕を慕ってくれる茂木さんがかわいいと思ったし、会議では臆することなく意見を言い、またお客様周りでは細やかな配慮を忘れない茂木さんに関心した。茂木さんと一緒に外回りをすることもあったが、助手席に乗る茂木さんを横目で見てはあのとき握った手の小ささや、上気した頬、少し飲んでいたからかいつもよりにこにこと笑いながら話す様子を思い出しては、自分の顔が熱くなるのが分かった。



ジリリリリリリリっジリリリリリリリっ

その日は茂木さんは外回りに行っており、まだ帰っていないようだった。茂木さんのデスクの上のスマートフォンがけたたましく鳴り、慌てて画面を開いた。誰かからの電話が来ていたが、出るわけにもいかず、そのまま切ってしまった。鍵すら掛けていないそれは社用のスマートフォンではなく、茂木さんの個人のものだった。社内に残っていたスタッフに「茂木さん、ケータイ忘れていったみたい」と声を掛けたが、もう自身のPCで作業に戻っており、返事はなかった。そのときピコンと茂木さんのスマートフォンにラインの通知があった。

『そう言えば、この前の好きな人と進展あった?』

茂木さんの好きな人、気になってしまい、ラインを開いてしまった。


『好きな人がいるんだけど、上司でしかも子持ちなの(;;』

『えー、まじ?やばいね!!』

『だよね、まあ無理なことはしないし、ただ片思いを静かに続けるわー(TT』

『つーか、ラインでする話じゃないっしょ(><)電話するわー!』


ラインを読んで茂木さんの好きな人が僕だと分かった。分かって、すっきりというか、なんとなくそんな気はしていた。僕が彼女と話すのが好きなように、彼女も僕と話すときは楽しそうに見えた。純粋に嬉しいと感じた。自分の気持ちは彼女につながっていた。それだけで救われた気がした。


 僕は守るべき家族がいて、家庭を壊すわけにはいかない。茂木さんとどうこうなりたいわけではない。でも自分の気持ちの行き場がなくて、そして職場の一回り歳下の部下に片思いしていることが妻に申し訳なかった。


 茂木さんが帰ってきた。「おかえり」と声を掛ける。

茂木さんは嬉しそうに外回りの成果を話す。僕も嬉しそうな茂木さんをみて嬉しく思う。

「あれー、ケータイ忘れてましたね、すみません鳴ってました?」

「なんか鳴ってたから、勝手に切っちゃったよ。会社では私用のケータイは電源切ってね」

 僕は茂木さんの気持ちを見なかったことにしかできない。茂木さんも真面目な子だから僕に思いを伝えるようなことはしないだろう。

 出会った順番が違っていたら、いや考えるのはやめよう。


「自販できたんだねー」

「ネクターいれてほしー」


移動教室のため渡り廊下を歩いていると、体育館ヨコに真新しい自動販売機が設置してあるのが分かった。その前でスーツを着た若い男性が満足げに自動販売機を眺めている。ピシッとした真新しそうなスーツは見慣れなくて、大人の人って感じでかっこよかった。

「もてぎー、いくよー!!」

友達に声を掛けられ私は慌てて追いかける。

ちらっと振り返るとスーツの男の人と目が合って、少し恥ずかしくなって、とりあえず笑っといた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もしもあの時にこちらを選択していたら、そう思うことはよくありますね。その殆どが、今さらやもう遅い、という言葉になってしまいますが、それらを想像するともしかしたらそちらの方が良かったかもしれ…
[良い点] 面白いですね。 「出会った順番が違っていたら」→「出会った順番は違っていたけど……」というオチですか。 [気になる点] この状況だと私だったら「不倫してバレないことを祈る。バレたら居直る」…
2017/11/15 01:25 退会済み
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