14話:魂を揺さぶる声
その異変に気付いたのは、ノベリアが先だった。
ラフラカーンの怒涛の剣突を氷盾で凍らせて受けたノベリアが目をやると、すでに自慢の凍雹獄は半分ほどが融けきり、その中に閉じ込めておくべきディセリーヌの姿はすでにどこにもない。
『…っ!どこへ!?』
リベリアがラフラカーンから視線をそらせると、すぐに死角から恐るべき刺突が飛んでくる。
ラフラカーンが手に持つ細剣は分厚い、真っ白な氷に覆われている。その重さは優に20キルグを超えるだろう。
それを手に持ち、何の重さも感じさせず、自在にふるうラフラカーン。
すでに腕の半ばまで凍らされているのだが、その剣さばきはまったく侮れない。それどころか、凍らされてなお鋭さが増してきている。
『この従者も只者ではない。ディセリーヌめ!』
最後にノベリアがラフラカーンから一瞬目を離した事が、この勝負の明暗を分けた。
ボッと音がした気がしたのは、ディセリーヌがその身に纏う炎の故か。
超力で剣を押し込んでくるラフラカーンのローブがゆらりと動いたかと思うと、中からディセリーヌが拳を構えたまま飛び出しきた。
『自在幕』
それはローブの内側を亜空間に繋ぐラフラカーンの特殊能力だ。
格上の魔将に対峙しながらも背後の状況をいち早く把握し、ディセリーヌの必勝を願ってコンビネーションをつなぐ。それを平然とこなすラフラカーンの戦闘能力もまた尋常ではなかった。
ノベリアの眼前に拳を構えたディセリーヌが迫る。
その距離、わずか1メルトそこそこ。
それはディセリーヌにとって必殺の間合い。
ノベリアの左腕は氷盾でラフラカーンの剣を抑え込んでいて初動が遅れた。咄嗟にあげた右腕と右膝に瞬着させた鎧で防御を取ったのは流石だったが、分厚い炎帝鎧に守られたディセリーヌの方が早かった。
ゴッゴゴーン!
室内に爆音が響き、拳を振りぬいたディセリーヌが残心する。
「きゃあ!」
ディセリーヌの燃える拳撃を胴に食らったノベリアはその容姿に相応しい幼い悲鳴を上げて吹き飛ばされ、その勢いのまま部屋の壁を何枚か抜いて城外へと落ちていった。
「勝てた…のか?」
その壁の穴を見ながら残心をまだ解かない、いや解けないディセリーヌが半信半疑でつぶやく。
今までノベリアとの今のような『演習』はこの数百年繰り返しているが、序列で負け、また魔法量でも負けていたディセリーヌが勝てたことはなかった。それゆえ、今の勝利も現実感に乏しい。
「なぜ勝てた?」
魔力の浪費を恐れるディセリーヌは反射的に炎帝鎧を解いた。ノベリアの凍雹獄を融かしきるほどの炎帝鎧であれば、短時間でも消耗は激しいはず。少なくとも15фは使ってしまったのではないか…と不安になり自分の爪を見てみると、右手の親指の爪は濡れたように赤く、人差し指は赤と薄いピンクが半々だった。それは魔力残量が65фであることを意味している。
ノベリアと対峙する前は50фを切るくらいだった。なぜ増えている?
しかも駆動したディセリーヌでさえ、経験のない威力の炎帝鎧。
例え自分の魔力が万全だとしても、果たしてもう一度再現できるかどうか…。
そして、そして。
ディセリーヌは信じられないものを見るように、リオンを見た。
「…ラフラカーン、しばらく目を閉じ、耳をふさいでいろ」
「はっ」
その言葉に従い、ラフラカーンはまだ抜刀したままの細身の剣--レイピアをようやく鞘に戻して床に跪く。いつの間にか、氷は解けていた。だがラフラカーンの息も荒い。肩で息するその様は、対ノベリア戦が紙一重の勝利であったことを意味している。
ディセリーヌはラフラカーンの反応を見届けると、緊張した顔でリオンに近づき、小声で話しかけた。
「…おまえ、なぜオレの真名を知っている?なぜあの方と同じようにオレに語りかける?…なぜ耳元でささやくだけで、オレの魔力を回復できるのだ?」
リオンはキョトンとした顔をしていたが、すぐに穏やかな顔に戻ってディセリーヌの耳元で囁いた。
「知りたいのか?」
「ひっ!」
「あの方の声」と口調がずん、と心の奥深くまで侵入してくる。そしてそれを防御できないディセリーヌの心をえぐる。
聞きたい知りたい。きっと受け入れられない…でも受け入れるしかない。
相反する期待と拒絶が心を千々に乱し、ディセリーナは自ら問いかけたにもかかわらず、その答えを拒否して軽いパニック状態となった。
問われたリオンが答えるために顔を近づけると、ディセリーヌは小さく悲鳴を上げて下がってしまう。
リオンが1歩ちかづくと、ディセリーヌは2歩下がる。また1歩近づくと、また2歩下がってしまう。
それを繰り返していると、ディセリーヌの背後でドン、と音が鳴った。
いつの間にか壁際まで追い詰められていたのだ。もうこれ以上は下がれない。
「知りたいんだろう?」
「ひぃい!」
リオンの囁きに、ディセリーヌは情けない悲鳴を上げてイヤイヤをするように首を振る。
知りたいけど、知りたくない。
だがリオンはそんなディセリーヌに容赦せず、グイグイ進んできてついに追い詰めてしまった。
ディセリーヌは腰が抜けてしまい、そのままズルズルと床の上にへたり込んでしまう。
リオンは穏やかな顔のまま、自分もしゃがんでディセリーヌに目線を合わせる。
そして、静かな声で告げた。
「愛しきティナ。お前が考えている通りだ。…これでまたひとつ、2人の秘密が増えたな」
再び雷で撃たれたかのような大ショックを受けるディセリーヌ。これで昨夜から大ショック3度目だが、まだ耐性はできない。
だが、その言葉。
耳元で囁かれた、『これでまたひとつ、2人の秘密が増えたな』というその言葉。
それは『あの方』と二人っきりで過ごしたあの夜--『刻印の夜』に何度も囁かれたものと、まったく同じであった。
言葉も、口調も、そして声色も優しさも。
歯をカチカチと鳴らしながら、今にも涙がこぼれ落ちそうな目でリオンを見つめるディセリーヌ。
「…ひ、秘密?」
「うん、僕とディセリーヌだけの秘密」
リオンはニッコリと笑い、ディセリーヌが立ち上がるのを手助けしようと手を差し出す。
ディセリーヌは差し出されたその手を見ながら考え、悩む。
何をすべきか。何を選ぶべきか。何を捨てるべきか。そして何が得られるのか…。
だがその逡巡は一瞬で終わった。
ディセリーヌの震えはすでに治まり、おずおずとリオンの手を取った。
そしてヨタヨタと立ち上がるとすぐにギラリ、と魔将の顔に戻った。リオンをスルーしてスタスタとラフラカーンのもとに歩み寄り、その肩に手をかける。
「ラフラカーン、オレはしばらくこの城を出ることにした。お前はどうする?」
さっきまで目と耳を殺して床に跪いていたラフラカーンが自らの遮断を解除し、ハッとしてディセリーヌの顔を見る。
それは様々な意味を含んだ、とても重い問いかけだった。
ラフラカーンは考える。
今回、辛うじてノベリア様は撃退できたが、逆に対立姿勢が鮮明になった。早々に逆襲があるだろう。
魔獣が枯渇したこの領地にとどまれば、次で詰む。
ディセリーヌ様の問いかけは、『この先は厳しい。お前が望むならを自由にしてやる』という意味でもあり、逆に『次の戦いでは、今のお前の力では役に立たない』という退場宣告でもある。
だがラフラカーンは一瞬の迷いすら見せず、即答した。
「私はディセリーヌ様と共に。最後のその時まで」
そうラフラカーンが答えた時にディセリーヌが一瞬見せた素の表情は、少し悲し気なようにも見えた。
だがすぐにその答えが当然であるかのように魔将の顔に戻り、軽く頷くとラフラカーンに指示を出す。
「戻るぞ」
そう言い放つと、ディセリーヌは傍らでぼんやりしているリオンを再び攫うかのように軽々とお姫様だっこし、ラフラカーンのローブの中へと急ぐ。
ラフラカーンには、『どこへ?』と聞く必要もない。
びっくりしているリオンをお姫様抱っこで軽く抱き上げ、ディセリーヌはリオンの耳元に桜色のくちびるを近づけた。そして、とっても旨そう!と喜色を浮かべながらカプッとリオンの耳たぶを甘噛みしたまま小声で言い放った。
「ぜぎにんどれよりおん」
ひゃあ!とリオンが変な声を出す。それは耳たぶを急に甘噛みされた反応か、それともディセリーヌの脅しに対する回答か?だがその答えはハッキリしないまま、2人はラフラカーンのローブの中に埋もれ、その姿と共に部屋から消えていった。
部屋の外では、ディセリーヌたちを見送る者たちがいた。
侍女長をはじめとした合計4人の侍女達は、主の留守中に押し入ろうとしたノベリアに抗議し、少なからずダメージを受けていた。だが幸いにも欠けたり重いケガをした者やはいない。
侍女たちは自分たちの主の気配が消えたのを無言で見送る。
主が再びこの魔将の城に帰ってくるのは、明日か1ヵ月先か10年後か100年後か?
侍女たちはディセリーヌが去った後その部屋に入り、淡々と部屋の片づけや修理に取り掛かる。
いつもと同じように、この魔将城の主を再び迎える、その日のために。