12話:序列11位の魔将
ディセリーヌたちがゴッハーの町で騒ぎを起こしていた頃、レオナたちはすでに宿を引き払っていた。向かうは次の宿場町・ゴナーヌ。
魔族を部屋から追い出したものの、一時しのぎにしかならないことはレオナは十分理解していた。宿代は惜しいし、下手をすればまた夜中に歩き続けることになるかもしれないけど、今すぐ少しでもゴッハーから離れる--それがレオナが下した決断だった。
鬼気迫るレオナにせかされ、リオンもおたおたしながら荷物をまとめて部屋を出る。
「ねえ、まってお姉ちゃん」
「シー静かに!魔族に見つからないうちに、早くこの町を出よう!」
レオナは足音が響かないよう気遣いながら、宿の階段を先に降りる。
「(さ、リオンも早く降りて)」
レオナが階段の下から振り返ってリオンを見上げる。
だがそこにはリオンの姿はなかった。
ドスン、とリオンの背負っていたバッグが床に落ちるのが空しく見えた。
◇◇◇ ◇◇◇
ディセリーヌの居城。
その一室に音もなく入り込んだ影があった。
手足の先まで隠れるような、だぶついた長いローブに頭部をすっぽり隠すフード。
そして金属製の仮面。魔将の忠実なる従者・ラフラカーンだ。
佇むラフラカーンのローブの前が少し盛り上がったかと思うと、それが二つに割れて中からディセリーヌが現れる。
「よし、こちらに運べ」
ディセリーヌが命じると、ラフラカーンは指示されたソファーの前まで移動した。そしてローブの前を開くと、今度は中からどさり、と黒髪の少年がソファーに倒れこんできた。
さっきまでレオナと宿にいたリオンだ。
一瞬のスキを突いて、ラフラカーンが拉致してきた。
レオナは目は閉じたまま動かないが、普通に息をしている。どうやら気を失っているだけのようだ。
「これが一番の解決策だな」
ディセリーヌは嬉々とした声を出しながら、部屋の棚にあった緑色の水晶を手に持ち、気を失っているリオンの元に来た。
緑色の水晶。4セメルほどの大きさのそれは、先のとがった8角柱が3本組み合わさった形をしている。それを持ってい居るのが魔将でなければ、単に珍しい色をした水晶に見えてもおかしくない。
だかその正体は俗に「隷属の水晶」と呼ばれる、魔法具の一種である。
これを頭に埋め込まれると、埋め込んだ相手に絶対服従を誓う恐ろしい魔道具だ。
その服従は支配主が死ぬまで続き、支配主が死ぬと隷属の水晶を埋め込まれた本人も一緒に死んでしまうという厄介な機能を持っている。
特に魔将が持つ隷属の水晶は高い機能を持ち、埋め込む相手の同意を必要としない。その上、埋め込んだ隷属の水晶を取り出せるのは埋め込んだ本人だけで、他人が無理に取り出そうとすると確実に死んでしまう。一種の魔法手術のため、外科的な方法で取り出すことも出来ない。
「お前の姉は恐ろしいが、しょせんは人族。100年もたたないうちに死ぬだろうから、今後はオレの役に立て」
そう言いながらディセリーヌは隷属の水晶に軽く魔力を込める。
薄緑色だった結晶がまばゆいばかりに輝き始め、ディセリーヌは優しい目つきで隷属の水晶をリオンの額にゆっくりと押し付けた。
「ん?」
隷属の水晶は毒々しい緑色の光を放ってはいるが、一向にリオンの額に沈んでゆく様子がない。
普通なら隷属の水晶は光を放ちながらゆっくりと頭の中に沈み込んでゆき、すべて沈んだら支配が完全になるはずだった。
「…なぜ隷属の水晶が入らない?」
隷属の水晶が拒否される場合はいくつか原因がある。
一つは、身体にマジックバリアーを展開している場合。マジックバリアーは魔法使いが好んで使う一般的な魔術だが、気を失っている子供が無意識で自分自身に展開していることは考えにくい。よほど高位の魔法使いでもない限り、魔法の自動詠唱継続はありえないからだ。
または支配したい相手が、すでに隷属の水晶が埋め込まれている場合も考えられる。
実際に人族の奴隷商人の間では、隷属の水晶が一般的に使われていた。もちろん今回、ディセリーヌがリオンに埋め込もうと水晶より数段落ちる劣化版だが、これを使うことで元の主人が契約を解除しない限り、誰かが勝手に奴隷の主従契約を書き換えることができなくなる。
だが鑑定をしても、リオンは奴隷契約状態にはない。
「そういえば、前も中途半端に失敗したことがあるな。最近の隷属の水晶は質が落ちたのか?」
ディセリーヌがイラつきながら他の隷属の水晶を取りに部屋から出ようとした時、いきなり部屋のドアが大きな音を立てて開いた。
「あらディセリーヌ、ここにいたのね」
静かな声ととともに、一人の美しい少女が入ってきた。
水色の髪、蒼い目。髪の色に合わせたような、青いワンピースを着ている。
背はディセリーヌよりも少し高い。150セメル弱で、人族だと11~13歳くらいに見える。
その美少女は大人しそうな顔でにっこりと笑うと、ディセリーヌに何か白い塊をアンダースローで軽く投げつけてきた。
それはゴロゴロと転がって、ディセリーヌの足元で止まった。
侍女長の生首だ。驚愕の表情のまま、息絶えている。
「…ノベリア」
ギリリ、と奥歯を噛んだディセリーヌがその少女の名を口に出す。
「勝手に入っちゃダメって私にイジワル言うから、お仕置きしてあげたの」
無邪気な口調だ。まるで『綺麗な花が咲いていたから、花輪を作ったの』というセリフの方が似つかわしい声と喋り方で、ノベリアは呆然とするディセリーヌににっこり微笑んだ。
その少女こそ、魔将ノベリア。水と氷のエレメンタルを使う序列11位の魔将で、火のエレメンタルを使うディセリーヌより高位。しかもエレメンタル的にも相性が悪い。
ディセリーヌは足元に転がる、変わり果てた侍女長に目をやる。
想えばこの侍女長には叱られてばかりだった。
だがその小言はすべて自分のことを思いやる気持ちから来ていることは、400年以上の付き合いがあるディセリーヌにはちゃんと伝わっていた。たぶん身体を張って、ノベリアを止めたくれたのだろう。
「侍女長、無念だったな…」
万感の思いでディセリーヌがそうつぶやくと、侍女長の生首がカッと目を見開いてディセリーヌをにらみつける。
そして「ゲハハハハハ」と野太い男のような大声で笑い始めると、自らゴロゴロと床を転がり始めた。
「…ッ!」
ディセリーヌが身構えると、侍女長の笑う生首はノベリアの足元まで転がり戻っていた。
ノベリアがそれを右足で踏みつけると、恐ろしい顔でディセリーヌを見ながら狂笑する。
ゲッハハハッハ!
ゲッハハハッハ!
ゲッハハハッハ!
ゲッハハハッハ!
ゲッハハハッハ!
ゲッハハハッハ!
部屋中を侍女長の顔をした狂笑がこだまする。が、いきなりそれはパリン、という何かが割れる音とともに消え去った。
ノベリアの足元には侍女長の生首はすでになく、代わりに割れた花瓶の白い欠片が散乱していた。
「ノベリア…貴様」
ディセリーヌは再度ギリリリ、と奥歯をかみしめた。
幻惑のノベリア。
ディセリーヌは今更ながら、ノベリアの二つ名を思い出した。
「あらごめんなさい。花瓶が割れちゃったわ。それはそうとディセリーヌ。あなたよくも私の可愛いペットを殺してくれたわね?」
なんのことだ?
そう惚けようとしたディセリーヌは神速の踏み込みで両掌底を撃ってきたノベリアに、部屋の壁まで吹き飛ばされた。
「がふっ!」
掌底にはひねりまで入ってのか、ディセリーヌは壁に激突してめり込むまで1回転半した。
「惚けるならいいわ。でもあなたの言い訳なんか必要ないの。罰を受けてもらうわよ」
魔将ノベリアはそう宣言しながら、飛込ざま壁にめり込んだディセリーヌの顔面めがけて凄まじい回し蹴りを放つ。
「ぐ、ぐふぅ・・」
避けようがないディセリーヌは、逆さまになったまま頭をさらに壁の奥深くへとめり込ませた。
その顔を、ノベリアが容赦なくグリグリと回し蹴りを放った脚のまま蹴りこんでくる。より深く壁にめり込むように。
ぴくり、とラフラカーンがローブの裾を微かに動かす。
『敵わぬまでも、せめて一瞬でもディセリーヌ様が立ち直る隙を作れれば…』
だがそれも想定済み、と言わんばかりにノベリアがラフラカーンをにらんでくる。
「ラ、ラフラカーン。オレは大丈夫だ。心配するな」
その声にハッと我に戻ると、ラフラカーンはさっきまで壁にめり込んでいたディセリーヌをお姫様抱っこしていた。
着ている服はボロボロで、ラフラカーンに向かって弱々しく語り掛けるその顔は浅黒く汚れていて痛々しい。
「ディ、ディセリーヌ様…」
「ここを逃げるぞ、ラフラカーン。オレは身体が動かん。しっかり抱いて跳んでくれ」
「はっ!」
弱々しく語り掛けるディセリーヌをしっかり抱きしめて跳躍しようとすると、急にガクンとディセリーヌが重たくなった。
「ぬっ?」
「どうしたラフラカーン?…はやく跳ぶのだ」
ラフラカーンは瀕死のディセリーヌを抱き直したが、ディセリーヌはまたさらに重くなる。
敬愛する主人を床に落としては従者の名折れ…とばかりにラフラカーンは持ち直すが、そのたびに腕の中のディセリーヌは重くなってゆく。ついにラフラカーンは跳ぶどころか立つことも難しくなり、ディセリーヌを抱いたまま片膝をついてしまう。
『どうしたラフラカーン?…はやくオレを連れて逃げてくれ』
「ディセリーヌ様…し、しばしお待ちを」
まるで巨大な岩でも抱いているかのような重さに必死で耐えながら、うめき声をあげてラフラカーンは瀕死のディセリーヌを抱き上げる。だが実はラフラカーンが必死で抱き上げているのは、先ほどノベリアが蹴り倒した木製の椅子だ。ディセリーヌでもなく、それほどの重さもあるはずがない。
だがラフラカーンは必死で重さに耐えながら、うわ言のようにブツブツと話しかける。さながら、今自分が抱いている椅子が敬愛する主人であると信じているかのように。
そのラフラカーンの愚かしい様子を眺めていたノベリアは一瞬浅く微笑んだが、すぐに興味を失ってディセリーヌを睨みつけた。