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閑話:アンガルーは金貨よりも夢を選ぶ

8歳の女の子、アンガルーは宿場町ゴッハーの外、森獄と呼ばれている領域近くを静かに泣きながらトボトボと歩いていた。


今日も食べ物にありつけそうにない。そして寝床もない…。

その絶望がアンガルーの足を止めそうになる。

もう魔物に食べられた方が楽なのかも?

その絶望がアンガルーに終わりを囁く。


だがアンガルーは胸に手を当てて服の下にある確かな感触を指で確かめると、嗚咽しながらも絶望を何とか振り払い足を進める。


アンガルーは露店の甘焼き売りの養母に捨てられてここにいる。

養母は自分の留守中に売り物の甘焼きが減っていたことに腹を立て、孤児だったアンガルーを追い出した。

そのたった一度の失敗で。


もっとも養母にとっては、身体が大きくなり前よりもたくさん食べるようになってきたアンガルーを持て余していたのが、追い出した真相だ。

『この子を追い出して、もっと食べない扱いやすい孤児を拾った方が得だよねえ』と以前から考えていた。

この時代、まだまだ人の…特に子供の命は軽く扱われていた。


アンガルーは空腹でフラフラする足で踏ん張りながら、一歩一歩と前に進む。

進む先に当てがあるわけではない。孤児であるアンガルーは、養母に捨てられた今どこにも行くところなどない。

そして、たぶん明日も食べるものはない。


だがアンガルーには希望がある。

アンガルーは震える指先で、もう一度服の中の「それ」に触れた。

それは、草を編んだ粗末な紐で首からぶら下げた、金色の指輪。

細く華奢なのに、ずっしりと重い。


半月ほど前にアンガルーが留守番をしていた露店の甘焼きを勝手に食べて、お金を払わなかった貴族の娘が金の代わりに置いていったものだ。


「金はない。だがこれで代わりに支払おう」


アンガルーは今でも、その貴族の娘の声が耳に焼き付いている。

最初は、騙されたと思った。

バカな子供だから貴族に騙されて、たった200ジピーも払ってもらえないのだと思った。

そして養母に殴られて、何食かを抜きにされる悲惨な未来に絶望した。


だがその指輪を悔し紛れに握りしめたところ、不思議な力を感じた。


その指輪は200ジピー分の硬貨より、アンガルーに明るい未来を感じさせてくれたのだ。

そもそもアンガルーが指輪など触ったのは初めての経験だ。

貴金属の知識も当然なく、キラキラして重たい…というのが最初に指輪に触れた時の感想だ。

そしてアンガルーは直観的に、この指輪は二度と手放したくない…と考えるようになった。


なんだか分からないけど、この指輪には力がある。

だとしたら、あたしはそれを使ってもっと自由になりたい…いや、「自由になる夢」をしばらくでいいから見てみたい。

例えその道を選んだことで飢え死にしたとしても、暴力におびえる逃げ場のない日々よりはよほどいい。

その気持ちがアンガルーを駆り立て、養母に指輪を渡さず、足りない200ジピーの罪を被った。


そして案の定、アンガルーは養母の掘立小屋から追い出された。


指輪じゃお腹は膨れない。

アンガルーはそう思って何度も自分を責めたが、「じゃあ今までお腹がいっぱいになったことあるの?」と自分に問い直した。

そして養母の家での悲惨な生活を思い出して、自分の決断を後悔することをやめた。


アンガルーはたぶん4歳ごろから養母に育てられ、甘焼きの露店で働かされていた。

毎日殴られて、もう左手は指が2本ほど動かなくなった。つい顔を手でかばってしまい、そのまましたたかに殴られて骨折した指が癒着したのだ。右腕の肘もおかしい。曲げると妙に痛む。

左目は半分くらい見えない。黒い影が視野の半分ほどを占めているからだ。


他の子供のことは知らない。他の子供がどんな生活を送っているのか、毎日どれくらい殴られているか知らない。


でもあの貴族の女の子は、高そうな服を着て綺麗な髪をしていた。

たぶんたまにしか殴られないんだろうなあ、となんとなく思った。

アンガルーは子供は毎日、大人に何度も殴られるのが当然の生活だと思い込んでいた。

殴られた痛みと飢えと戦うことが、生き続けるために我慢しなければいけないことだった。


アンガルーはフラフラしながらも歩みを進める。

手に持った、杖代わりの木の枝が重たい。それで身体を支えているにもかかわらず、体力がほどんどなくなったアンガルーの身体には杖の重ささえ負担になってきた。


『もうダメかなあ』


アンガルーがそんなことを考えながら、ふと前を見ると森へと続く小道に女が立っていた。

真っ白な騎士服に白の長靴。右の腰には細身の剣がぶら下がっている。

流れるような美しい金髪に整った顔立ち。

身長は175セメルほどか。かなり大柄な女性だ。恰好からして騎士か、上級貴族の従者だろう。

だがなぜこんなところで、道に立ちふさがっているのだろう?


アンガルーは一瞬疑問に思ったが、ほぼ本能ともいえる判断から自らヨタヨタと道の脇に向かった。

大人には逆らうな、騎士には逆らうな、貴族には逆らうな。

それがアンガルーの4年ほどの露店経験で身につけた、生きていく上での社会のルールだった。


「お前」


急な方向転換で足がもたつき、小道のそばにしゃがみ込んでしまったアンガルーに女の声が降ってきた。

アンガルーは自分のことだと思わず、目を伏せたまま荒い息をしていた。


「お前だ」


アンガルーが殴られる反射的な恐怖から思わず顔を上げると、目の前にさっきの騎士服の女の顔があった。

『ひっ…た、叩かないで…』

アンガルーはそう言いかけたが、自分の乾ききった口からはもうろくに声も出なかった。


騎士服の女はアンガルーの前にしゃがみ込んだまま、言葉をつづけた。


「半月ほど前。お前は紅い髪の少女から、品物の代金として指輪を受け取ったな?」


女の詰問調の口調に、アンガルーは身を固くして目をギュッと閉じて恐怖に震えた。

たぶんすぐに私は殴られる。でもいま強く殴られたら、今度こそ死んでしまうかもしれない。

そんな絶望的な予感が、アンガルーの身体を疲労以上に重くする。


「そんな顔をするな。私はお前から指輪を奪おうと思っているのではない。買い戻したいだけだ」


目の前でドチャリ、と重そうな音がした。

アンガルーが目を開くと、白い布製の小袋が眼の前に置いてあった。


「金貨が100枚入っている。それであの時の指輪を譲ってくれないか?」


騎士服の女は、しゃがみ込んでアンガルーの顔を見たままとんでもないことを口にした。


アンガルーは殴られないことにびっくりし、また金貨100枚という言葉に驚きながら、女の顔をまじまじと見た。

非常に整った美貌。桜色のくちびる。長い睫にはっきりと蒼い瞳。

だがそこには人間の感情らしきものは見られない。

瀕死のアンガルーを見ても、憐憫も同情も軽蔑の色さえ浮かんでいない。

まるでよくできた仮面がこちらを見ているような、薄気味悪さがあった。


アンガルーは女から目をそらすと、道に置いてある重たそうな小袋を見た。


そして袋の色の白さに目を奪われながらも首から紐で吊った指輪の感触を粗末な服越しに確かめて、杖を使ってノロノロと立ち上がった。黙ったまま。

そしてこんなところにはいたくない、と言わんばかりにゆっくりと歩き始めた。

道に置かれた金貨の小袋はそのままに。


「なぜお前は金貨を欲しがらない?100枚あれば、2年は暮らせるはずだぞ?」


たぶんそうなのだろう。アンガルーは自分でお金を使ったことはないが、自分には縁遠い大金であることは理解できた。

アンガルーは金貨を見たことはないしその価値も分からないが、養母が1枚だけ掘立小屋の柱の下に隠しているのを見たことがある。

ただその隠された金貨は、すぐにまた養母によってどこかへと持ち出されてしまった。


『金貨はすぐに消える』


思わずつぶやいた一言。それが幼いアンガルーが学んだ金貨に関するすべてだった。

そして第一に。そんなに重たそうな袋を運ぶ体力は、アンガルーにはもう残っていない。

使い道の分からない金貨を抱えて死ぬより、自分がほれ込んだ指輪に触れながら死にたい。


それにもし金貨をゴッハーの町に持ち帰れたとしても。


たぶん大人にすぐに金貨を持っていることを見つかって殴られて、せっかくの金貨はすべて取り上げられるだろう。

そういう意味では、使い道の分からない金貨はアンガルーにとって養母の暴力といつも足りない食事を思い出させる役にしか立たなかった。


でも指輪はちがう。首から下げている限り、誰もあたしが指輪を持っていると気づかないはず。

誰もあたしから指輪を奪うことはできないはず。

この指輪があたしのものである限り、誰もあたしの夢を奪うことはできないはず。


アンガルーはガクガク震える身体に鞭打って、金貨の袋には目もくれず歩き始めた。

首から下げた指輪が、粗末な衣服越しにも分かるくらい紅い光を放っているのに気づかないまま。


そのアンガルーの小さな背中を見送りながら、騎士服の女は『やれやれ』といった顔をした。

それは騎士服の女が初めてアンガルーに見せた、人間らしい表情だった。


◇◇◇ ◇◇◇


衰弱死しそうになっていたアンガルーが3日後に目覚めた時、今まで経験したことのないような寝具の柔らかさと暖かみがあった。


「えっ?」


何より驚いたのは、現在の体調だ。

森獄との境目で死にそうになりながら歩き続けていた記憶しかないアンガルーだが、今は身体の重さも飢えもなく、完全な健康状態で目覚めることができたからだ。

動かなかった左手の指も問題なく曲がるし、視界も今までにないくらい広い。

アンガルーは最初、自分はとうとう死んでしまったって今は死者の国にいるのか?と思ったくらいだ。


慌てて胸元に指先をやるが、そこには確かな手ごたえがあった。

指輪は奪われていない。


アンガルーはそこでようやく安堵の息を吐いた。


半身を起こして不思議そうに部屋の中を見回すアンガルーが、自分がいま魔法学校の寄宿舎にいると理解するのは少し先の話である。


しかも1年間に金貨150枚もする授業料と寄宿舎の費用はすでに5年分が前払いされており、さらに金貨200枚ほどの支度金が魔法学校に預けられていた。

魔法学校には正規の入学者のほか、貴族の子弟が身分を隠してこっそり送り込まれることも良くあり、アンガルーも秘密厳守をうたう魔法学校の事務職員たちからはそういう推測を受けていた。


そしてその4年後。

才能に目覚めたアンガルーは大幅な飛び級で魔法学校を卒業し、爆炎の指輪を操る女魔法使いとして活躍するようになる。


◇◇◇ ◇◇◇


アンガルーが魔法学校で目覚めた日と同じ朝。ゴッハーの町から遠く離れた場所で、主従の二人が会話していた。


「以前ディセリーヌ様が代金の代わりに露店の娘に渡した指輪の事ですが…」


指輪?

ディセリーヌは少し考えて、ようやく指輪の事を思い出した。

ディセリーヌの中ではすでに終わっていることだ。指輪には未練はない。だが自分に忠実な従者が気を利かせてくれたことにも気が付いた。


「うむ、あの時は金を持っていなかったからな。してあの指輪はどうなった?」


「それが残念ながら、すでに継承されておりました。指輪は自分を受け取った元露店の娘を、新しい主と定めた模様です」


「そうか!指輪を持つ資格のないヤツに死蔵されるより、受け継がれたのはよっぽどいいな。ラフラカーン、ご苦労だった」


「ハッ!」


魔将ディセリーヌが指にはめていた指輪。

それはディセリーヌが居城と魔王からして与えられた城の宝物庫に転がっていたものだ。ディセリーヌは貴金属やアクセサリーには興味はないが、その指輪だけはなぜか気に入って指にはめていた。


何の変哲もない金の指輪に見えたが実は『ゴルファーレの指輪』と呼ばれる炎の魔物を封じ込めた、爆炎属性を使用者に付加する魔道具だった。


ディセリーヌは指輪の能力をもちろん知っていたが、長く魔力の欠乏に悩まされてきたので魔力を消費する指輪の駆動は行ったことがない。それに魔道具に頼らなくてもゴルファーレの指輪程度の爆炎ならば、より少ない魔力消費でディセリーヌは駆動することができた。


よってこの数百年、ゴルファーレの指輪は単なるアクセサリーとしてディセリーヌの指を飾っていた。

おそらくは魔王もディセリーヌの配下向けの装備として、宝物庫に用意していたのかもしれない。


そもそも魔道具は誰でも持てるわけではなく、他人が自由に使えるものでもない。


汎用のものもあったが、強い効果を持つ魔道具はなぜか不思議と術者を選んだ。魔道具は魔物などが封じ込められているものが多く、それらが間接的に主人を選んでいるのではないか?と魔法学者は考えていたが、結論は出ていない。

そして魔道具に認められて使用者になること。それこそがディセリーヌのいう「継承」である。


露店で働いていた少女アンガルーに継承されてしまったディセリーヌの指輪は、それを無理に奪ったとしてもおそらくディセリーヌの指には嵌らない。先のディセリーヌのように、前の所有者が自ら手放し、他人に与える意志が必要なのだ。そして魔道具である指輪が次の主を受け入れることも。

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