11話:ケツを叩いた2人目
ゴッハーの町には普通ではない格好の冒険者も少なくない。
自分を売り込むため、奇抜なファッションを身に着けてアピールするのだ。真っ赤な革鎧を身に着けた冒険者や、身体中に入れた刺青を誇示するように上半身が裸の拳士。そして黒ずくめの魔法使いなど。
だがそんな奇抜な格好を見慣れた町の人たちさえ少し驚く二人が町の中央通りを歩いていた。
裾が破れた長いローブで手首の先から足元まで覆い隠し、深く被ったフードの下にはのっぺりとした金属製の仮面。そして仕立ての良い騎士服のような服を着込んだ紅髪・紅眼のまだ幼さが残る美少女。
そう、魔将ディセリーヌとその従者ラフラカーンである。
女占い師のラメルンが気絶した原因となった、超絶魔力量の持ち主だ。
二人はついさっきレオナの部屋から追い出され、仕方なく町を歩いていた。
「ラフラカーン。先ほど食したあの甘くて茶色い魔核だが、やはりオレの魔力が回復しているぞ。素晴らしいな!」
ディセリーヌは嬉しそうに両手を広げて、歩きながら自分の指の爪を眺めていた。今は左手の指の爪すべてが濡れたような赤に染まっている。これは自分の魔力が50фまで回復したことを意味する。
茶色く甘い魔核--実はそれはリオンが焼いた蜂蜜焼きだったのだが--を1つ食べただけで5фも回復したことに、ディセリーヌだけでなくラフラカーン自身も驚きを隠せない。
普通、ディセリーヌの魔力を5фも回復させるには、それなりの強さを誇る魔獣の魔核が数十個も必要だからだ。
「だがあの人族の女は恐ろしかった。あの女にまた会うのはイヤだから、他を探せ。ここは人族が大勢いるので、きっとどこかで手に入るだろう。オレはここで待つ」
ディセリーヌは立ち並ぶ露店を興味深そうに見ながら、通りの真ん中でそう命じた。少し後ろを歩くラフラカーンが静かに頷き、ゆらりと姿を消したので町の人たちは一層ざわめく。
「どこかの貴族の娘かな?」
「いい服を着ているね」
「後ろにいた人は、魔法使いの従者かな?」
ゴッハーの町の人々は、道の真ん中で仁王立ちした勝気そうな少女を見て、そうささやきあった。
だが誰一人して近づこうとしない。遠巻きにして見ているだけだ。
もちろんこの町にも荒れくれ者はいる。無条件に安全な場所でもない。
獲物が取れず町に戻ってきて昼前から酒を飲んで憂さ晴らししている猟師や、暴力の匂いをまき散らす腕力自慢の冒険者など。そういった男たちにとって、勝気で金持ちそうな美少女というのはシャクの種でしかなかったが、不思議と誰も近寄っては来なかった。
なぜかその気にならないのだ。それはある意味、ゴッハーに集う猟師や冒険者がそれなりに修羅場をくぐってきたことを意味していた。占い師のラメルンのように他人の魔力を感じられない普通の人々にとって、ディセリーヌは特に脅威ではない。だが彼らの勘がささやくのだ。アレには近づくな、と。
ラフラカーンはすぐに戻ってきた。
最初に消えた時と同じようにまた忽然とディセリーヌの背後に現れたため、見物人たちからまた驚きの声が上がる。姿を消したり急に現れたりする高度な魔法を使える魔法使いは数が少なく、かつ詠唱なしで手軽に使える術でもないからだ。
だが実はラフラカーンは魔法を使ったのではなく、単に高速で移動しただけなのだが。
「ディセリーヌ様、残念ながら先ほどの物とまったく同じものは販売されておりませんでした。近いものはこの先の露店に売っておりますが、期待できる効果はないかもしれません」
「そうか、ではそれを見に行こう」
二人は歩きだし、古びた露店の前で足を止めた。
そこでは8歳くらいの小さな少女が、背の高さが合わない鉄板に苦労しながら、粉物を焼いて売っていた。
それはゴッハーに限らずあちこちの町で売られている「甘焼き」と呼ばれるものだ。小麦の粉に甘い樹液を混ぜこみ、獣脂で丸く焼いた一般的な軽食だ。ホットケーキに近い。だがその味は露店で異なり、どの露店でも「ウチの甘焼きがいちばん美味しいよ!」と売り込んでいた。
「ふむ、確かに違うな。形が違うし、ここで作っているようだ」
「あ、あのう甘焼きいかがですか?美味しいですよ。ひとつ200ジピーです」
「よし。とにかく一つ寄越せ」
ディセリーヌは少女から鉄板の上で温めてあった甘焼きを受け取り、一気に半分ほどを口に入れた。
だが2・3度咀嚼するとすぐに嫌そうな顔をして、道に吐き出した。
「まずいな。じゃりじゃりするし、甘さもない。まったく違うものだな」
「あ、あのう。お金はらってください。200ジピーです」
「うん、金だと?」
ディセリーヌが不機嫌そうに声をかけてきた露店の少女を睨むと、少女はたちまち泣き出しそうな顔になった。
「200ジピーです。お金が足りないと、あたしがおばさんに殴られるんです」
少女は貴族然としたディセリーヌの不機嫌そうな表情におびえながらも、孤児である自分の養い主である露店の女店主の暴力も恐れて、震える声でもう一度金額を伝える。200ジピーです、と。
何の話をしているんだ?と首をかしげるディセリーヌに、後ろからラフラカーンが小声でアドバイスする。
「ラフラカーン様。人族の町では品物の対価として、お金という丸い金属片を渡すのです」
「そうか対価か。だがお金というものは持っていないな!」
ディセリーヌが当然のように言い放つと、露店の女の子はしくしく泣き出した。
ディセリーヌが甘焼きを吐き出す様子を見ていた見物人たちも、これからの展開を予想して眉をしかめる。
貴族の平民に対する横暴は特に珍しいものではなかったからだ。
だがディセリーヌは周りの様子をまったく気にせず、少し考えた後に右手の人差し指にはめていた金色の指輪を外して少女に渡した。後ろで控えるラフラカーンが、一瞬動揺した。その指輪の価値を知っていたからだ。
「金はない。だがこれで代わりに支払おう」
そう言い残すと、あっけにとられる露店の少女に構わずディセリーヌは立ち去った。
ディセリーヌが通りの端まで歩くと、そこにはもう店はなく人々の往来も少なくなった。
ここでは手に入らないのか…とディセリーヌが落胆すると、後ろからつけてきた大男が声をかけた。
「お前。他にも指輪とか持ってるんだろ?全部寄越しな」
ランガルと名乗る元冒険者だ。身長は190セメルオーバー、体重も130キルを超える大柄な男だ。
古びた革鎧を身に着け、長剣を腰から下げている。
だが革鎧も長剣の鞘も、一目で手入れがおろそかとわかる雑なものだった。
ランガルはもともと森獄で獲物を狙っていたが、数年前に魔獣に脚を噛まれてからは速く走れなくなってしまった。
そのため、狩場を森獄からゴッハーの町へと変えた。つまり自分の暴力を使うことで、無理に森獄まで出かけなくても、ゴッハーの町で面白おかしく暮らす術を覚えたのだ。
食堂や酒場での無銭飲食は当たり前。領主の衛兵が近くにいるときはさすがに露骨なことはしなかった。だが衛兵たちも自分の怪力と巨体を恐れて面倒を避けていることに、ランガルは何となく気づいていた。
「おい、聞こえねえのか?指輪とか金目の物を俺に寄越せって、言ってるんだよ!」
ランガルはイラつき、暴力の匂いを発散させる。
ランガルにとって、目の前にいる女は搾取の対象でしかなかった。
街娼たち相手にも金を払ったことがない、というのがランガルの自慢だ。
「あいつらは1・2発殴ればすぐに股を開くさ」といつもうそぶいていた。
きっとこの貴族の娘も、俺の言いなりになるに違いない。魔法使いの護衛がいるようだが、ブツブツ呪いを唱える前に殴れば問題はない--ランガルはそう考えていた。
もちろんそれは正面切って魔法使いと戦ったことがないランガルの経験不足による思い込みに過ぎないのだが。
背後でラフラカーンが動く気配を見せたので、ディセリーヌは軽く腕を上げてそれを止めた。
「指輪はもうない。分かったら立ち去れ。オレはこれからのことを考えねばならんのだ」
『指輪がない』と言われたことよりも、この小娘は俺の暴力をまったく恐れていない--少なくともそう見えることがランガルを苛立たせた。この憎らしい小娘の嫌悪や恐怖の顔をぜひ見てみたい。
金目の物だけを巻き上がるつもりだったランガルは、自分の中にどす黒いものが湧き上がってくることに歓喜した。
「生意気な小娘だ。その小さい尻が腫れあがるくらいぶっ叩かれたいらしいな?」
その言葉を聞いてディセリーヌはその手があったか、という顔をした。
「ほう、お前はオレの尻に触りたいのか?いいぞ、オレを回復できるかやってみろ」
言い終わるとディセリーヌはランガルに向かって背を向け、小馬鹿にするように左の尻をペチペチと軽く叩いて見せた。
それを見てランガルがブチン、と切れた。
「このクソガキ!」
右手を大きく振りかぶると握りしめた拳を躊躇なくディセリーヌの尻に叩き込んだ。
「がぁぁっ?」
目の前のクソガキがキレイに吹っ飛ぶ光景を予測していたランガルは、微動だにしない相手と激痛が走った自分の右手を信じられない様子で見ていた。まるで巨大で硬い岩でもぶん殴ったかのような感触だ。自分の拳が完全に負けている。たかが30キルグそこそこしかないような小娘なのに?
「ご、ごふぉ?」
あまりの手の痛みにしゃがみ込んで呻いていたランガルが、突然変な声を出してよろけ始めた。
ガクガク震えながら、うつろな目で喉をかきむしり始める。
口から湯気のような、煙のような白いものが漂い始めたかと思うと、それはすぐに青い炎に変わった。
両眼からも湯気が上がったかと思うと、すぐり眼球が白く濁り眼窩から青い炎を吹き出す。
すでにランガルは声を出すこともできず、倒れこんだ地面で数度のたうったが、すぐに動かなくなった。
そしてぼぅ、と音を立ててランガルの身体全体が青い炎に包まれた。
ランガルの身体はすさまじい速度で全体が黒くなり、皮膚がはじけて赤い筋が見え、そしてそれも黒くなりながら焼け焦げていった。だが不思議なことに青い炎は一定以上には広がらず、しかもランガルが身に着けていた粗末な服や革鎧にはなんの変化も起こしていなかった。
ゴオオォ、とランガルを中から燃やしていたすさまじい炎があっけなく勢いを失い、消えてゆく。
後にはランガルが身に着けていたものと、黒い消し炭がわずかに残っているだけだった。
人体発火現象。
それはディセリーヌの攻撃ではなく、駆動した魔法でもない。
膨大な魔力をまとう魔将に悪意や殺意を持って触れた、愚か者に起きる単なる「現象」だ。
ディセリーヌは両手を広げ、自分の爪を見てみる。
左手の爪はすべて濡れたような赤に染まっている。
それはディセリーヌの魔力が以前と変わらず50фであることを意味している。
「ふむ。人族なら誰でもオレの魔力を回復できるわけではなさそうだ。リオンといったか。やはりあの人族の男だけが特別なのだな」
それに実験とはいえ、見知らぬ男に尻を触られるのは不快だった。
あの甘く茶色い魔核のようなものは、他では手に入らない。
リオンはオレの尻を触って魔力を回復させることができるが、レオナとかいう人族の女にそれを禁止されている。
なによりあの女は、怒るととても恐ろしい。
「…さらうか?」
ディセリーヌがぼそりとつぶやくと、背後に控えていたラフラカーンがゆらりと姿を消した。