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閑話 最近さらに可愛くなった妹が面白すぎる件と、兄夫婦が仲睦まじ過ぎて心が折れそうな件について

*次兄視点

 ――飲み下した液体は、僅かな苦みを帯びていた。

 彼が妹から受け取った聖杯を、兄が手に取る。

 そして、妹と彼が飲み込んだ液体を、兄もまた、口にした。

 若かりし頃の父王と、王妃の美貌を受け継いだ兄は、何をしようと妙に様になる。

 そうして、兄の手から、父王の手に聖杯が渡る。

 父王の喉が動くのを、彼は諦観と共に眺めていた。


 ――これで、自分達は共犯者になるのだ、と。


 罪の実感は、何処か空虚だ。


 これは、必要な事だった。


 自分達の愚かさと怠慢のツケを、妹だけに負わせるわけにはいかなかった。

 ……ただ、どうして始まる前に止める者がいなかったのかと、馬鹿馬鹿しい問いだけが、未だに胸に留まっている。

 彼自身も罪の一部であると、知ってしまったから、猶更に。

 だらりと下げた彼の指先を、小さな手が、掴んだ。

 見れば、五歳の妹が、家族に共通した薄い琥珀色の瞳で彼を見上げている。

 元々表情に乏しい妹の瞳からは、何の感情も見いだせない。

 それでも、彼は妹の手を握り返した。

 未だ細い指先の温度は、凍えそうになる彼を、確かに温めるものだったので。


 父王の手から、今度は、王妃の手に聖杯が受け渡された。

 王妃は、妹を見ながら、晴れやかな笑みを浮かべている。


 ――その杯から清めの水を口にすれば、罪を雪ぐとされる、王家の秘宝。

 夫や子供達に異常がないからと、王妃でありながら不義を犯した女は、安心しきっていた。


 ……自分の母親が、それを飲み干すのを。

 母の手から滑り落ちた聖杯が、高い音と共に床に落ちるのを。


 ただ、彼等は見続けていたのだ。


 ***


「――あはははははははははははははははっ!」

 ラザロスの執務室のソファーの上で、腹を(よじ)って笑い転げる兄を、彼は少々呆れながら見ていた。

 外では王太子らしく泰然と振舞って、笑いたいのを必死に我慢していたため、一度(たが)が外れると、どうにも笑いが止まらなくなるらしい。

 大概の女性が同じことをしたら、はしたないと呆れられるというのに、兄は、どんなに大笑いしても、そこはかとなく色香が漂っている。

 男の癖に、何でか無駄な色気が駄々漏れになっているのは、昔から兄の仕様なのだけれど。

「……ぶふっ。 ラザロス、我らが妹は、今日も可愛かったよ。 ……ぷふふふふっ」

「……兄上……」 

 最近の兄の笑いのツボは、もっぱら彼らの実の妹の行動であった。

 次期大公となるべく、老大公の養子となった王家の末姫は、年若い大公妃へのシスコンを絶賛(ぜっさん)(こじ)らせ中である。

 嘗ての人形じみた少女は何処かに消え失せ、今や義姉(書類上は養母)への愛を、全力で主張しまくっていた。

 妹は、真面目に考えすぎた結果、傍から見るとおかしな言動をとる癖があり、それが兄にとっては面白すぎるようである。

 ラザロスも、無表情が常だった昔の妹より、くるくると表情を変える今の妹の方が、可愛らしいと思うけれど。

「あははははははっ。 恋愛小説で、好敵手役のご令嬢の取り巻きの寝返りを、どうやったら誘発できるか考えこむなんて、シャルロッティらしいよねっ!!」


 妹よ。


 一般的な令嬢とはかけ離れた妹の思考に、ラザロスは額を押さえた。

 幼少時に母親から受けた育児放棄と、王家の鬼子とも呼ばれる程の聡明さの影響で、妹の情緒的な成長は歪なものとなっていた。

 ついでに言うと、妹が文字を覚えた教材は、絵本ではなく、兄が持ち込んだ毒草・薬草図鑑とラザロスの戦術学書だ。

 これらもまた、妹にあまりよろしくない影響を与えてしまった気がしてならない。

 幼い頃から優しい物語に親しんでいれば、何かが違ったはずだ。

 ――そうであったら、妹も、乙女の夢の一つである灰被りの御伽噺を聞いた時に、下剋上の心得を説いた話だと、身も蓋もない感想を抱かない可能性があったかもしれないのだ。


 ……正直、文字の教材に関しては、すまんかった、と、ラザロスは妹に対して思っている。


「ラザロス、そんな顔をしては疲れてしまうよ。 そうだ、今日見つけた二番目に美しい花をあげよう。 花はいいよ、ラザロス。 癒されるからね」

「兄上、ありがとうございます……」

 兄のきらきらしい笑顔に、ビミョウな気分になりながら、ラザロスは兄が胸ポケットに飾っていた花を受け取った。

 兄が癒されるのは花ではなく、確実に、その日兄が見つけた一番美しい花を受け取る、義姉の笑顔であろう。

 兄は執務の僅かな合間を縫っては、王城の庭に咲く花を自ら吟味して、義姉に贈っているのである。

 どんな宝石やドレスよりも、兄の心が嬉しいと、義姉は花を包んでいた布に刺繡をしては、輝かんばかりの笑顔で兄に返礼として渡している。

 王太子夫妻の仲が良好なのは結構だが、兄夫婦が仲睦まじ過ぎて、独身で婚約者もいないラザロスは、たまに心が折れそうになるのだ。

 砂糖どころか、砂を吐きそうな空気を、常に垂れ流しにされてみろ。

 独身者は、いたたまれないというか、ツライ。

 王太子夫妻に仕える女官や侍女が既婚者で固められたのも、王太子の成婚以来、結婚が続いているのも、全て王太子夫妻の仲睦まじさが原因だともっぱらの評判だ。

 この国一番のおしどり夫婦はと問われたら、老大公夫妻と共に、王太子夫妻の名が挙げられる。

 理想の夫婦はと問われたら、ラザロスは老大公夫妻を迷わず挙げるが。

 老大公の妻をいつくしむ眼差しが、大公妃の幸せそうな笑みが、ラザロスには酷く眩しく、羨ましく思えた。

 実の母は自らの欲の為に、夫への、国への不義を犯したから、限られた時間を愛おしむ二人の姿が、猶更に美しく煌めいて見える。

 ……付け足すならば、さすがに、結婚以来詩人と化した兄の様に、己の妻への賛美を昼夜問わずに謳い上げるなど、ラザロスには不可能だ。

「ラザロス、結婚はいいものだよ。 嫉妬深くて有能な妻なんて、もう最高だねっ! こんなに平和な時が訪れるなんて、夢にも思わなかったよ」

「……」

 字面だけでは完全に嫌味な兄の台詞に、ラザロスは無言を通した。

 兄の、心の底から幸せだと思って言う言葉が、これだ。

 今までの兄の辛苦を思えば、労しいとしか言いようがない。


 実の弟のラザロスから見ても、美しいと思うほどの顔面偏差値を誇る兄は、幼い時分でさえ色香が駄々漏れだったという。

 淫魔か何かに呪われているのかは不明だが、老若男女問わず、兄の周辺では道を踏み外しかける者が続出した。

 王家への鋼鉄の忠誠心を有する近衛や、傍仕えの面々の努力が無ければ、兄はどこかで、致命的な傷を負っていたに違いない。

 ラザロスが剣をとった理由の一つは、兄を守るためというのもあった。

 そんなこんなで、兄は人嫌いを回避できたものの、大分人が悪くなってしまっている。

 兄の腹の黒さを見抜きつつ、そんなところも愛しているらしい兄嫁は、兄の外見に惑わされがちな女性の中でも、貴重な存在であった。

 何より、難しい性格の妹と良好な関係を築ける女性は、そうそういないので、兄夫婦には末永く爆発してほしいと、ラザロスは考えている。

 ……頼むから、未だに兄を諦める様子がない隣国の末姫に、つけ入れられるような隙は見せないでほしい。

 家族から甘やかされた砂糖菓子の姫君と、ラザロスの妹は犬猿の仲だ。

 もし隣国の姫が兄の側室などになったら、確実に嫁小姑大戦争が勃発するだろう。

 ラザロスの心の平穏の為にも、早く兄嫁が懐妊しないかと、彼はしばしば神殿に祈願しに行っていた。


「――そう言えば、ラザロス。 内務卿のご令嬢との婚約を断ったそうだね?」

「ええ」

 兄が浮かべる笑みに、嫌な予感を覚えつつ、ラザロスは素っ気なく返答した。

「将来の憂いの芽は、無いに越したことはないでしょう」


 この国で現在王位継承権を有している人間の数は、王太子たる兄を除くと片手でこと足りる。

 その中には、父王の大叔父である老大公もおり、実質的な人数はさらに少なくなる。

 兄嫁の故郷とは比べるべくもない継承権所有者の少なさは、王族の中でも、王家の通過儀礼を受けた者にしかそれが与えられぬ故だ。


 ――十歳になったとき、ラザロスは、初めて人を手をかけた。

 自らの手で死刑囚の処刑を行うことが、王位継承の必須条件で、けれど、それがきっかけで命を軽んじる様になれば、その権利は剥奪される。

 余りにも苛烈で、非人道的でさえある通過儀礼は、けれど資格者の選別には有効だ。

 一つの命が失われていく様を、ラザロスは今でも思い出せる。

 それを負いきれぬ人間に、どうして、国一つを背負うことが出来るだろうか。


 困った様に、兄が笑った。

「――いつまでも、あの人のことに囚われているのは、感心しないよ」

「私は、継承権を持つに値する人間ではありませんから」

 ラザロスは、感情の無い声を出す。


 嘗て王妃の座に在った女は、王族の姫を何度も迎え入れてきた公爵家の出であった。

 そして、王家に特有の薄い琥珀色の瞳を受け継いだが故に、若き王に嫁ぐこととなったのだ。

 けれど、その瞳故に甘やかされた女には、王妃の器はなかった。

 この件について、父王を責めることはできない。

 彼は、増長した公爵一派を押さえるのに、掛かり切りになっていたから。


 ――女は、父王との間に王太子をもうけた後、王位継承権を持たない王族の男と密通し、ラザロスを産み落とした。

 ラザロスの青みがかった黒髪は、密通相手のものだった。


 幸いと言うべきか、妹は父王の子供だ。

 父王に流れる異国の姫君の血は、王妃の家にはもたらされなかった。

 だが、異国の民の血の象徴である、鮮やかに赤い髪を疎まれ、いずれ傀儡とすべく母の手元に置かれた妹は、実の親から育児放棄を受けてしまった。

 女の誤算は、妹が主神の恩寵を受け、鬼子と呼ばれる程聡明な事だった。

 妹は、兄やラザロスとのほんの僅かな触れ合いから、言葉を覚え、文字を知り、そうして、女の不義を調べあげ、引導を渡したのだ。


「少なくとも、兄上に後継者が出来るまで、結婚など考える気はありません」

 本来、ラザロスはこの場にいてはいけない人間だ。

 兄や妹の擁護があったからこそ、ラザロスは第二王子として、のうのうと生き延びている。

「――弟よ、初恋に殉じるのは美しいけれど、我らが妹を悲しませないようにね」

「……は?」

 思わぬ兄の返しに、ラザロスは言葉に窮す。

 何故か、兄は意地悪気な笑みを浮かべている。

「君の理想は大公妃という話だろう? シャルロッティにも殴り込みをかけられたというのに、(とぼ)けるのはいけないね」

 理想の夫婦は大公夫妻というのがヘンに伝わり、ラザロスが養母に懸想(けそう)していると、妹に勘違いされた件を思い出す。

 ラザロスが憧れを抱いたのは、大公へ向けられる大公妃の微笑みだというのに、その辺りが妹になかなか理解して貰えず、非常に面倒臭かった。

 下手に否定すると、お義姉様に何か不満でもおありですかっ?! と、妹が怒り出すのだ。

「……私が好ましいと思うのは、大公殿が大公妃殿に浮かべさせる表情であって、彼女を女性として慕っている訳では……」

 妹を怒らせたいわけではないので、ラザロスは言葉選びに悩む。

 ラザロスにとって、あくまで理想は理想であって、何が何でも欲しい訳ではない。

 某侯爵夫妻は、記憶喪失という瑕疵(かし)が許せずに、大公妃になり得る程の能力を有した息子の婚約者を、あっさりと切り捨てたそうだが。

「それは残念。 難敵に立ち向かおうとする弟に、兄として戦術を教授しようと思っていたのだけれどね」

「結構です」

 ラザロスは即答した。

 どうせ、兄嫁に対する惚気を延々と聞かされるに決まっているのだ。


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