閑話 老大公と第二王子 おわり
*おじいちゃん視点
――それは、恋ではなく、愛の類なのだろう。
老大公は、ラザロスが妻に向ける想いには気付いていた。
当人が気づかないのが謎な程、傍から見れば一目瞭然なのだから。
と言うか、ラザロスの想いに気が付いていないのは、シャルロッティと妻ぐらいだろうか?
シャルロッティは、未発達な情緒と『ラザロス=脳筋』の認識に邪魔されてよく分かっておらず、妻は、ラザロスを『家族思いのおもしろいひと』に分類している。
まあ、それは良いのだが。
妻に愛されている勝者の余裕と、枯れても男としての矜持があるとは言え、目の前で分かり易く妻への好意を表されると、彼としても非常にやりにくい。
だって、相手は軍事関係以外ポンコツ仕様で、尚且つ、現在進行形で――しかも、岩盤を掘削する勢いで――墓穴を掘り続けている青年だ。
……意中の相手への贈物に、原材料を選択する男に、嫉妬する――負ける想定をする時点で、確実に何かが終わる。
絶対に終わる。
もう、――いろいろな意味で。
それに、ラザロスは、あの戦闘狂が手塩に掛けて育て上げたせいで、生存能力が極まっている。
物理的に排除しようにも、非常に困難であるし、社会的に排除するには、ポンコツ過ぎて逆に隙がないのである。
具体的には。
――変態吸引機のゼノンのとばっちりで、自分に近付く女性は兄目当てだと刷り込まれているわ(実際、九割九分三厘はそうだった)。
――野生化寸前の生活で、貨幣を使う前に、採取に行く行動が染み付いてしまっているわ。
――元々、酒に強い上に、酔っ払った戦闘狂のせいで死に掛けた為、酒にあまり口を付けないわ、幅広い毒への耐性がある為に、薬もあまり効かないわ。
――自分の政治能力の無さを自覚している上に、話がある人間とは取り敢えず一緒に走ってみるので、思い詰めた人間以外、近付きたがらないわ……。
結果、あり得ない被害妄想に浸る前に、妻を幸せにする為に努力する方が遥かに建設的だと、彼は結論付けた。
若いだけのポンコツに嫉妬して、老い先短い寿命を浪費するなど、あまりにも不毛に過ぎる。
警戒心を覚えた自分の方が、器が小さいように思え、老大公は小さく首を振った。
そもそも、当人は自覚すらしていないのだ。
藪をつついて蛇を出すのも馬鹿らしい。
「先生」
「何だい、ラザロス?」
急に真顔になった教え子に、老大公は首を傾げる。
「これを、どうぞ」
そう言って、ラザロスは懐から取り出したものを、彼の前に置いた。
包まれていた白い布の隙間から、黄金色の光が彼の目を射抜く。
「これは――」
それは、彼の拳程の大きさの琥珀であった。
不純物の無い、綺麗な飴玉を彷彿させる宝石の色は、丁度、彼等の瞳と同じ色彩である。
「……良いのかい?」
「スカーが拾って来ただけですから」
ラザロスは肩を竦めるが、多分愛犬はそんなつもりで探してきた訳ではなかろう。
現に、お座りしていたシルキーが、稲妻が直撃したような顔で主を見上げている。
「……ほら、シャルロッティとか私の朝焼けの姫とか、宝石は女性に贈るものではないのかな?」
「シャルロッティは、金策に使うか、装飾品に加工してヨアナ殿に贈るだけでしょうから、それなら先生の方がいいと思います」
生真面目に言う教え子から、老大公は少しだけ目を逸らした。
――シャルロッティは、宝石を金策に使う前に、目の前の青年の資産に手を出している……。
いつでもどこでも軍から与えられる騎士服を着回し、武器は自力で採取した貴重な鉱石と物々交換で、簡単な手入れは自分でできるし、食事は騎士団の食堂で、住居は王城だから家賃も無し――。
ほぼ手付かずで増えていく、ラザロスの騎士団長としての給金は、当人の知らない内に、シャルロッティの事業の資金に消えていた。
正確には、王位継承者第二位の資産を元手に、王位継承者第三位が、流入が続く移民の救済事業を行っている形になっているのだが。
まあ、どうせラザロスは使わないのだから、死蔵させるよりも、国内に金を循環させる方が、国にとっては有益であろう。
そして、シャルロッティは、堅実な事業運営で出た利益を、きちんとラザロスの資産に補填してもいる。
故に、ラザロスは、本人も知らないが、意外に資産家なのである。
それにしても。
妹に資産を増やしてもらっている兄って……。
後、どうでもいいが、いつラザロスはがそのことに気が付くか、ゼノンが賭けの胴元になってもいる。
更に付け加えると、ラザロス関連の賭けは、中々儲けがよろしいらしい。
王太子が胴元になってちまちまと稼いだ資金の方も、シャルロッティの事業に流れているそうな。
巷では脳筋扱いされているラザロスであるが、ひっそりと国の経済にも貢献していた。
「――それに」
ビミョウな顔の老大公の目の前で、彼の教え子は真顔で続けた。
「義姉上が、夫以外の異性から贈られた装飾品は、塵屑や石ころと変わらないと仰っていたので。
――シャルロッティが懐いているヨアナ殿に、ゴミを贈るのもどうかと思いますし」
教え子が、活用する助言の選択を何だか間違えている件について。
「……いや、私の朝焼けの姫は、そこまで酷くは……」
彼の妻はとても優しいので、受け取りはするだろう。
贈り物の扱いに困って、仕舞い込んでいるところを、シャルロッティが勝手に加工することもあるかもしれないが。
――あ、主、主の贈り物は、ゴミじゃないですよっ?! という感じで、シルキーは、ふわもこの頭をラザロスの脚に擦り付け出した。
教え子よりも、ワンコの方が必死である。
彼は、崩れ落ちそうになるのを辛うじて耐えたが、手で顔を覆わずにはいられなかった。
……何で、こんなのに妻を奪われる心配をしているのだろう……。
王家の鬼子と恐れられた男は、己の老いを自覚した。
知らず、忍び寄る死の気配に、調子を狂わせていたらしい。
「妻というのは、他の誰よりも、愛する夫からの贈り物が一番嬉しいものらしいですから、その琥珀は、私やシャルロッティよりも、先生が有効活用できると思いますよ」
教え子よ、恐らくそれは、助言ではなく、惚気だから。
恋愛もポンコツ仕様のラザロスは、助言と惚気の区別もつかないらしい。
乾いた笑みを漏らす老大公へ、ラザロスは何かを思い出すように、顎に手をやった。
「シャルロッティが、ヨアナ殿とお揃いが良いと騒いでいたから、先生もやってみてはどうですか。
スタマティア殿が、一つの石を分ける双子石を装飾品にすると良いと言っていました」
……教え子が、助言の活用の仕方を間違えている件について……。
「……まあ、いろいろ、考えてみるよ……」
老大公は、額を押さえながら、何とか答えた。
教え子がお馬鹿過ぎて、潜在的恋敵ながら、頭が痛くなってきた。
――これから、大丈夫だろうか?
色々な意味で。
教え子の事は、妻絡みで複雑な気持ちになるものの、嫌いではない。
――何せ、妻のドレスの刺繍に使おうと、アストゥラビの鬣や尾の丸刈りをもくろんだシャルロッティを、愛馬の馬糞攻撃から身を挺して庇ったくらいに良い兄である。
王位継承者の中で、ラザロスが人格的に――体力行動その他諸々はさておき――一番まともなのは確かだ。
……ブラシ片手に、スカーの抜け毛を刺繍糸にしようと息巻くシャルロッティは、懲りないと言うべきか、神剣を万能調理器具扱いしているラザロスと、間違いなく兄妹だと言うべきか……。
げっそりと溜息を吐く老大公を見て、ラザロスは酷く嬉しそうに笑った。
「先生の贈り物ならば、ヨアナ殿も喜びますよ」
思い浮かべているのは、ラザロスが好ましいと言う、妻の微笑みだろうか?
結婚当初、せっせとシャルロッティと妻を馴染ませようと(大体見当違いに)動き回っていたラザロスは、結局、妻が笑えていれば満足なのである。
略奪愛という発想に欠片も至らないあたり、ラザロスは実にできた青年で、老大公は自分の歪みを突き付けられる気分になる。
まあ、妻が一生分の幸せを求めたのは、自分の方なのだから、くだらない思考に囚われるよりも、その為の努力に時間を割くべきだろう。
老大公は思い直し、妻に似合いそうな装飾品について考え始めた。
――教え子の方は。
構われたがりだな、と、ラザロスに撫でられ、教え子の膝の上ででろんとなるシルキーを見て、彼は生暖かい笑みを浮かべた。
命懸けの神事の祈願がようやく何処かに通じたらしく、念願のマイワンコ達が拾えたのだから、一緒にモフモフしながら適当に幸せになっていればいいと思う。




