閑話 老大公と第二王子 その一
*おじいちゃん視点
「……先生、アストゥラビとスカーが迷惑をかけて、申し訳ございません」
潔く頭を下げる青年の後頭部から顔を見せるのは、非常に機嫌がよろしいふわもこワンコ。
嬉しそうな表情と、ぱたぱたと振られる尻尾とは対照的に、がっちりと青年の服に食い込む鋭い爪は、主から離れまいとする気迫を感じさせる。
そもそも、妻がシルキーと名付けたワンコは、モフられ被害の凄まじさ故に、大公家が預かることになったのだ。
シルキーも、好きで主から離れた訳ではないので、傍にいられる時間は長い方がよいのだろう。
「――まあ、気にしなくていいよ。
君も、水場を破壊させようと思って、彼等を連れてきたつもりではないようだからね」
老大公が溜息を吐くと、彼自らが軍略を教授した教え子――ラザロスは、困った様に頭を掻いた。
「あいつらは、水遊びが好きみたいで、水がある場所に行くと、いつもはしゃいでしまって……」
うん、違うと思う。
生まれて初めてワンコを飼うことができ、大分浮かれているのか、教え子の事実誤認が甚だしい。
どデカワンコといつでもふてぶてしい馬による、仁義無き水掛合戦については、彼の耳にも届いていた。
直接的な攻撃にならないのは、爪や蹄を交わした場合、お互いにただではすまないと理解しているのだろう。
普段は事実を公平に見聞きできるラザロスが、殺気吹きすさぶ神獣の末裔同士の決闘を、単なるじゃれ合いと認識しているのは、飼い主の愛故なのか。
……人格的には、王家の三兄妹の中で一番まともなのに……、と、老大公はしょっぱい気持ちで教え子を見やった。
人としてのイロイロなモノを、ぼろぼろと取り零しているせいで、結果的に、ラザロスは途轍もなく残念なひとになってしまっている。
ラザロスの教育係に関して、老大公は血迷った自覚が大いにあるので、教え子の残念行動を見る度に、彼はちょっとほろりときてしまう。
正直、ごめん。
そして、よく生きていたね、と。
――あの戦闘狂に斬られて、軽く中身がはみ出た事さえあるのにも拘らず、よくぞグレず拗ねず捻ずにすんだものだ。
老大公が血迷った原因は、王太子であるゼノンと嘗て王妃だった女だが、ラザロスが自分の身の上に関しては彼等を恨む気配が無い為、余計に胸が痛む。
特にラザロスは、変態共をむやみやたらと吸引するゼノンの体質の、最大の被害者だ。
ゼノンに頼られたい変態が、ラザロスを襲撃するのは(自衛が出来るから)まだ序の口で、ラザロスに寄って来る女性が、尽くゼノン目当てだったのが、一番ふびんだと思う。
本来、王族は成人になり次第婚約や婚姻を結ぶものだ。
ところが、二十歳のラザロスに未だにそんな話が無いのは、『兄と浮気しない・浮気を試みない女性』という、ラザロスの婚姻に関する絶対条件が最大の壁と化しているからだ。
……別におかしくも無い、むしろ、権力者の妻として当たり前の条件が障害になるのはどうなのか。
――王統を柱とする現状の政治形態では、王族の妻に、夫以外の子を孕むような女は不要だし、権力者の私生活の泥沼が、政治に波及しては堪ったものではない。
そんな訳で、他の王位継承者は、ラザロスの地位の割に細やかな希望を、全力で押し通す気満々なのである。
が、しかし、候補者同士の潰し合いが勝手に勃発からの共倒れのせいもあり、第二王子の婚約者が決まる気配は欠片も無かった……。
「……こちらとしては、弁償してくれるなら、これ以上の謝罪は不要だよ。
君には、シルキーとユニを預けてくれたことには、感謝したいぐらいだから」
彼は今までペットを飼うことは無かったが、あれは中々に良いものだ。
シルキーが構ってもらいたがるので、自然に妻の休息時間が増えたのである。
シルキーのふわもこの被毛は、魔力的な中毒性があるが、癒し効果も絶大だ。
そのおかげで、最近の妻の顔色は良いものであったから、老大公も安堵していたのである。
遊びたい盛りらしいユニが、養女の専属騎士にちょっかいを出すという問題もあるが、頑張り過ぎる妻には、ワンコ達の存在は得難いものであった。
老大公の言葉に、教え子は少し笑う。
自分が連れてきたワンコ達が、大公家で上手くやっていることに安心したらしい。
「それは良かったです」
「うん。
あの子達に会わせてくれて、ありがとうね」
老大公も微笑んで、それから、壁際に控えていた従者を手招きした。
「――ああ、それじゃあ久しぶりに、将棋でもしようか。
最近、打ててなかったし、女性の服選びに付き合う体力は、もう無いしねぇ」
「よろしくお願いします、先生」
老大公の台詞に、教え子は酷く嬉しそうな顔をした。
ああ、部下達に相手してもらえなかったんだ。
巷に流れる脳筋の評価とは裏腹に、ラザロスは将棋が理不尽に強いのだ。
そこは、彼が軍事方面なら頭が回る軍事馬鹿だからなのだが、本物の脳筋率が高い彼の部下達には、教え子の相手は荷が重過ぎた様だ。
苦笑した老大公は、従者に車椅子を押させ、遊戯盤が用意されたテーブルに向かった。




