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次期大公、兄嫁に感想を語る

*王太子妃視点

 ――彼の国の鬼子には、近づくな。

 彼女の師は、恐れを滲ませながら、彼女に言った。

 主神を奉じるその国には、時折、魔物が生まれるのだと。

 嘗て外交官として辣腕を振るった彼女の師は、現王の大叔父にあたる鬼子とやらに、大分手痛い目にあわされたらしい。

 しつこい程に、彼女に何度も鬼子についての警句を授けたのだ。


 だから、だろうか。

 かの国の王太子の、淡い陰りを帯びた、優しい微笑が心に残ったのは。


 ――私達は妹の聡明さに甘えて、あの子に甘え方を教え損ねてしまった。 だから、せめて妻になる女性は、妹と仲良くなってほしいと思うのだ、と。


 十にも満たぬ幼さで、実母を追い落とし、鬼子の再来と忌まわしがられる、現王の末姫。

 彼女の師が恐れた存在は、けれど、目の前の王太子にとっては、何処までいっても妹なのだ。

 だから、会ってみたいと思った。

 かの国の王太子に、愛憎渦巻く自国後宮では決して見られない、温かな家族としての顔をさせた末姫に。


 例え、己の母の不義を暴き、実母に手ずから毒杯を差し出した少女であっても。


 ――表向き、かの国の王妃は、病に倒れたことになっている。

 そして、裏では、王妃は王家の秘宝である聖杯から清めの水を仰ぎ、雪ぎ切れなかった業に侵された、と、される。

 王妃の他にも、僅か五歳だった末姫を初め、彼女の夫や息子達が、聖杯に同じく湛えられていた清めの水を口にした。

 だが、それにも関わらず、(たお)れたのは、王妃一人であったらしい。

 ……恐らく、この情報を間諜が持ち帰ったことも、かの国の手の内であろうけれど。

 自国からは幾つかの国を挟んだかの国について、彼女は、師の話や書面でしか知らず、かの国の秘宝の力の程も確かなことは分からない。

 だが、彼女も、王族の事なら多少なりとも理解はしている。


 ――玉座に近しい立場の、生まれながらの王族に、毒への耐性が無い者は、いない。


 ***


「義姉上、この前お借りした本も、とても参考になりました。 それに、お義姉様も、楽しんでいらっしゃいましたっ!」

「あら、それは良かったわ、シャル」

 薄い琥珀色の瞳を輝かせて自分を見る義妹に、王太子妃であるルゥルゥは微笑んだ。

 普段は大人びた少女の尊敬の眼差しが、ルゥルゥには嬉しいと同時に、少しばかりむず痒い。

 故国の後宮では、女達による熾烈(しれつ)な蹴落とし合いが日常茶飯事で、何の含みもない視線自体が、ルゥルゥには慣れないものであった。

 透明な尻尾を高速で振りながら、大公妃について語る義妹を見る度、ルゥルゥは初めて飼った子犬を思い出す。

 稚い生き物の、己への害意の無い瞳と無邪気な仕草に、ルゥルゥはほっこりしたものだ。

 ――残念ながら、その子犬は成長する前に、ルゥルゥへの嫌がらせの一環として、目を離した隙に(くび)り殺されてしまったが。

 義妹のつやつやした唇から、子供特有の高い声が紡ぎだされる。

「義姉上、『白百合と黒獅子の恋の円舞曲』ですけど、地の利に(おご)るというのは、やはりいけませんね。 それに、見たいものだけしか見ない王は、民にとっての害悪でしかないと、よく分かります。 父親が国を滅ぼす前に、主人公もどうして動かなかったのでしょうね」


『白百合と黒獅子の恋の円舞曲』と言うのは、巷で話題の恋愛小説である。

 深い森に守られてきた小国の王女と、その国を攻め滅ぼした大国の王の恋を描いた小説だ。

 傲慢(ごうまん)だった王が、無垢な王女に感化され次第に変化していく様と、互いの立場に縛られる二人の、甘く切ない恋模様の描写が、夢見る乙女達の人気を博している。

 そして物語は、黒獅子と謳われる王が、白百合のような王女の故国を滅ぼす場面から始まる。

 ――ので、目の前の次期大公の様に、故国を如何にして滅びから回避するか、というのを考え出すと、そもそも物語が始まらなくなる。


 ……義妹よ、王の好敵手と主人公の王女との政略結婚を、真剣に考えることはやめましょう。違う物語になってしまうから。


 恋愛小説に対する感想が、完全に為政者の立場からになっている義妹に、ルゥルゥは突っ込みそうになるのをすんでのところで抑えた。

 元々、政治的なカードをも用いたルゥルゥへの協力依頼の内容が、養母と仲良く方法を教えて欲しい、というものだった少女だ。

 義妹は、幼い頃から異様な聡明さを発揮していたのと、同い年の友人が皆無なせいで、情緒的な面での成長は今一つなのである。

 夫や義父、義弟と義妹の関係は、平民の家族の様なものではなく、国を守る同志、と言ったようなものなので、義妹は子供らしく過ごすことが出来なかったらしい。

 義妹が、ルゥルゥと年が差して変わらぬ大公の新妻に懐きまくり、重度のシスコンと化しているのも、夫曰く幼少時の反動ということだ。

 大公妃が絡むと、途端に可愛げが増す義妹は、ルゥルゥの前で難しい顔をした。

「義姉上、主人公の振る舞いも、もう少し見習うべきでしょうか? ……あのように、故国の敵を許せる心理が分かりかねますが、最近、『陽輝姫』のように振舞うと、苛立って仕方がないのです」

 義妹の恋愛小説の活用方法が、間違っている。

 いつものことながら、疑似恋愛を楽しむのではなく、大好きな大公妃へのぶりっ子演技の参考にするというのは、どうなのだろう。

 素でぶりっ子演技のいいお手本になっている、『陽輝姫』は正直気持ち悪いと思うが。

「……シャル、無理のない範囲で、違和感の無い様に変えていけばいいのではありませんか?」

 結婚式に発生した刺殺未遂事件以来、酷くなる一方の義妹の『陽輝姫』嫌いぶりに、苦笑いしながらルゥルゥは答えた。


 一時は、社交会を照らしていた一輪の花も、落日の姫君の不興を買って以来、見かけることはなくなった。

 元々、『陽輝姫』に関しては、義妹とそりが合わないようだし、ぶっちゃけ、ルゥルゥ自身も生理的に受け付けない為、会わない方が心の平穏が保たれる。

 婚約期間中から嫁ぎ先に滞在していたルゥルゥは、茶会に招かれた『陽輝姫』と話す機会が、何度もあった。

 そして、その度に、ルゥルゥは無駄に疲弊する羽目に陥ったのである。

 人の皮を被った魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)跋扈(ばっこ)する後宮で、生き抜いてきたルゥルゥ。

 それに対し、独善的な好意のみで純粋培養された、『陽輝姫』。

 お互いに土台となるものが違い過ぎて、ルゥルゥにとって、『陽輝姫』は絶望的なまでに色々と合わない人間だった。


 ――ルゥルゥから見た『陽輝姫』は、故国の後宮で異母姉妹達によく盛られた、甘い毒を連想させる少女だ。


 その甘さに惑わされ、依存し、気が付けば、致死量に達しているような。

 彼の姫が主神に与えられたのは、人を(たぶら)かす才。

 ――誰もが、彼女を好きになる。

 そんな幻想のような言葉が、笑えるほど当て()まる少女だった。

 まるで、陳腐な恋愛小説の主人公のよう。

 そして、恋愛小説の主人公を嫌う登場人物は、大体、悪役と決まっている。

 他愛もない思い付きに、ルゥルゥは心の中で小さく嗤う。

 ――ならば、『陽輝姫』が主人公の世界では、自分も義妹も悪役だ。

 だって、主人公の幸せなど、願いもしない。

 以前、義妹は、『陽輝姫』はまともに育てば、良い商人になれただろう、と言っていた。

 人を惹きつけるのだから、人脈が役立つと。

 その辺りが、義妹の可愛らしいところだ。

 為政者としての高い矜持と、近しい人達からの愛情で構成された少女。

 歪な部分があれど、義妹の真っ直ぐな眼差しが、ルゥルゥには時々眩しい。

 ルゥルゥは、義妹の様に思わなかったから、余計に。

『陽輝姫』は、義妹の髪を娼婦のようだと無邪気に憐れんだが、彼女こそが娼婦に適しているだろう。

 上手く訓練してやれば、甘い毒で蕩かして、男を容易く破滅させるような娼婦になれる。

 だが、『陽輝姫』の両親が彼女を娼館へ売り払う予定は、今のところなさそうだ。

 盲目的に末娘を可愛がる両親は、『陽輝姫』を手放す気はないらしい。

 若い今が売り時だというのに、売れ残りにする満々のようだ。

 ――末娘への愛情の一欠けらだけでも、長女に向けることはできなかったのかと、ルゥルゥは大公妃の家族に呆れている。

 それが叶わぬほどに主神の寵児に狂うから、冥王の呪詛などと呼ばれるのだろうけれど。

 因みに、実家がぎりぎりのところで踏み止まっているのは、義妹が無意識に自制しているからに過ぎない。

 ほんの僅か、大公妃の記憶が戻る可能性を捨てきれないようだ。

 そんな甘さも、これまた義妹の可愛らしいところでもあるのだが。

 香草茶を片手に悩む義妹に、ルゥルゥはほっこりする。

 山ほどいる後宮の寵姫達や、実の兄弟姉妹達と謀略合戦を行っていた時、妹がこんなに良いものだということに、ルゥルゥは終ぞ気が付かなかった。

 ――だから、義妹の小さな手が、綺麗なだけの人形の血に汚れるなど、ルゥルゥとて、許容できやしない。

 どぶに沈むなら、義妹に関係ないところで堕ちていけばいい。

 義妹を愛でる胸の内の裏で、ルゥルゥは冷笑した。

 義妹が大公妃の実家の領地で作られた香草茶を口にして、――確実に、大公妃への土産とする。

 さて、嘗ての『陽輝姫』の取り巻き達は、どう判断するだろう。

 単に、義妹のシスコンが爆発したと見るか、……それとも、義妹が大公妃の実家を許したと見るか。


 ルゥルゥは、夫から贈られた扇を弄ぶ。

 今ルゥルゥがいる場所は、故国で閉じ込められていた後宮よりも、ずっとずっと息がしやすい。


 後宮は、初めは、あまりにも厳しい砂漠の環境から、か弱い女達を庇護する為の場所だった。

 いつから、閉塞し、淀み、救いのない場所になってしまったのか、ルゥルゥには分からない。

 ルゥルゥ――故国で、真珠を意味する言葉。

 故国では、王の血を引く娘は、特に高価な贈答品であるが、宝玉の名を与えられた娘はその中でも特別で、国外向けの贈り物であった。

 後宮から出ていけることが確約されていたから、ルゥルゥには、後宮に囚われていた他の女達の悪意が殊更に向けられたのだ。


 ――まあ、もう過ぎたことなのだけれど。


 今、ルゥルゥがいる場所は、尊敬できる義父や、可愛い義弟と義妹が付いてくる、王太子の隣である。

 だから、己の居場所を(おびや)かす輩に、ルゥルゥは容赦する気はないのだ。

 砂漠の民は、良くも悪くも情が深い。

 過酷な熱砂の国では、全身全霊を尽くさねば、ただ失うだけなのだから。

 ルゥルゥは、手慰みに扇を開く。

 夜空を模したという扇は、藍色の地に、星の如く輝石が輝く。

『夜の女神』という夫の賛辞は、故国で贈られた『砂漠の黒真珠』という美称よりも、ルゥルゥは好きだった。

 正直、『砂漠の黒真珠』は安直すぎる。

 お気に入りの扇を仰ぎ、ルゥルゥは目を細めた。

 主神の寵児だか何だか知らないが、能力に(おご)るだけの人間も、それに依存する人間も、夫の治世には必要ない。

 無為に混乱を起こすだけの者など、邪魔なだけである。


 ――せいぜい、餌になって、不要な人間達を誑かしてくれればいい。


 教育次第で、きっと最優秀の間諜になれただろう少女に、ルゥルゥは心の中で微笑みを送ってやった。


 誰にでも、愛されるというのなら。


 ――己へ愛を贈った相手を破滅に追いやろうとも、きっと、許してもらえるのだろう。


 遠くの少女に冷たく吐き捨てながら、ルゥルゥは義妹に優しい笑みを向けていた。


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