次期大公、毛玉に遭遇する
毛玉。
それを表現するのに、これ以上適切な言葉は無い。
陽に煌めく処女雪の様な、白銀の被毛は、ほわほわとして、実に触り心地が良さそうだ。
本来真ん丸な毛玉は、床の上に置かれたせいで、異国の饅頭とかいうお菓子を連想させる形状となっている。
「――それで、どうしてこうなったのでしょうか?」
「頑張って洗ったのだ」
毛玉を見据えたまま、真顔で問いかけたシャルロッティに、次兄はどや顔で答えた。
「――ああ、ゴミとかが絡まって、もこもこになっていたんだね」
長兄が納得したように、モコモコワンコからほわほわ毛玉に大変身した毛玉(次兄のネーミングが紛らわし過ぎだ)を見やる。
真っ白い毛がわさわさ動く部分は、耳や口がある場所だろう。
後、モコモコワンコ時より体積が三倍ぐらいに増えているのは、毛玉(仮)の本来の毛の長さのせいだ。
羊と同じ様に、毛玉(仮)も毛が伸びっぱなしになった結果が、このほわほわ毛玉状態であると思われる。
見るからに手触りが良さそうな被毛に心惹かれて、シャルロッティは毛玉(仮)に手を伸ばす。
「まあ……」
それを、なんと言うべきか。
羽毛の様でもあり、絹の様でもあるのに、信じられない程のほわほわ感。
長い毛は身を守る為の刺し毛の筈なのだが、大公領にある少数民族の自治区より献上された、羊駱駝の綿毛の如き柔らかさだ。
モコモコワンコ時の触り心地も勿論良かったが、ほわほわ毛玉のそれは、極上と言っても差し支えない。
この毛は、なんとしても手に入れなければ。
――さぞかし、お義姉様を癒してくれることだろう。
シャルロッティの不穏な心の声に気づいたのか、ビクッとなった毛玉が、彼女の魔の手を逃れようと長兄の方へ飛び退いた。
明らかに動くには不便そうな状態なのに、毛玉(仮)の動きは予想外に素早い。
見たことも無い不思議生物具合に魔が差したのだろう、長兄が伸ばした手に、毛玉(仮)のほわほわとした被毛が触れた。
「……こ、これは……」
驚愕に目を見開いた長兄は、次の瞬間、恍惚の表情で毛玉(仮)に抱きつく。
「――すごく、きもちがいいね……」
嫌がるように、わさわさと毛を動かしている毛玉に、頬擦りしながら、うっとりと長兄は呟く。
こんな時までヘンな色気は駄々漏れで、実兄ながら、シャルロッティは軽く引いてしまった。
と言うか、長兄をつけ狙う変態共に毛皮を奪われそうなので、早く毛玉(仮)を放して欲しいのだが。
因みに、義姉はそんな長兄の姿を見て、頬を染めている。
――シャルロッティは良くない気がするのだが、良いのだろうか?
成人すらしていないシャルロッティにはまだ理解しかねるが、夫婦関係とは、中々に奥が深いものらしい。
ツッコミ役不在な王家の三兄妹の会話中、ひっそりと次兄の傍らに伏せていたわんこ集団の耳が、一斉に動いた。
――毛玉(仮)の大変身のインパクトの大きさで、存在を忘れかけていたが、彼等も次兄の後について入室していたのだ。
蒼銀の輝きを帯びた被毛を煌かせる、どデカワンコを筆頭とした奇形ワンコ集団は、その特異な見た目とは裏腹に、影の様に密やかに振舞っている。
「うむ、きたのか」
ご乱心中の長兄を普通に流して、次兄は出入口の方へ歩いていった。
直ぐに次兄は戻ってきたが、彼の手には麻袋と、シャルロッティには見慣れぬものがあった。
「ラザロス兄上、少し変わった鋏ですが、何に使うのですか?」
「毛を刈るのだ」
次兄が指差したのは、壊れ気味の長兄に抱きつかれた、毛玉であった。
シャルロッティは、次兄に可愛らしく作った笑顔を向ける。
「ラザロス兄上、その子の毛は、出来るだけ長めに刈って下さいね。
お義姉様の膝掛けを作りますから」
「うむ、良いぞ」
「――ええっ?!」
あっさりと頷く次兄を余所に、長兄が絶望の声を上げた。
「……ら、ラザロス、毛を刈るって、どうして、そんな事を……」
「邪魔ではないですか」
今にも世界が終わりそうな表情の長兄へ、次兄は訝しそうに答えた。
まあ、毛玉(仮)のあの被毛の長さでは、確かに生活へ諸々の支障が発生するだろう。
実際、毛玉(仮)が長兄の腕から逃れられないのは、その長すぎる被毛のせいで、暴れることすら阻害されているせいだ。
「邪魔だって、いいじゃないかっ!
こんなにも素晴らしい触り心地なんだからっ!!!」
そう叫んで、長兄は毛玉(仮)を抱きしめる腕に力をこめる。
魔性の毛皮の魅了効果に屈したらしい長兄に対し、次兄は残念なものを見る目であった。
基本、脳筋の次兄は、性格のひん曲がった長兄に言い包められてばかりなので、こういう場面は珍しい。
「……兄上、走れぬ獣は死ぬだけです」
次兄のいやに重々しい言葉は、師との修行の中での実感に基づいたものか。
「そんな。
ここはお前が思っている様な大自然ではないのだから、このままだって問題無いよ」
毛玉(仮)にとっては、大有りだろう。
駄々っ子状態の長兄に、シャルロッティは内心で突っ込む。
こんなに長兄に接触されていては、毛玉(仮)の毛皮を狙う変態はさぞかし多かろう。
義姉も、微笑まし気に見守っていないで、何とか言ってほしい。
困った様に頭を掻く次兄を見かねてか、静かに身を伏せていたわんこ集団が、すっと立ち上がる。
「――え、ちょっと、ええっ?!」
「うむ、感謝するぞ、お前達」
見事な連携を以て、抱きつく長兄をひっぺはがし、毛玉(仮)を次兄に差し出したワンコ集団に、次兄は笑みを浮かべる。
ワンコ達が一斉に尻尾を振ったのを見ると、次兄に褒められるのが嬉しいようだ。
そのまま、わしっと毛玉(仮)の毛を掴んだ次兄の横で、切った後の毛を貰うべく、シャルロッティは麻袋を広げる。
「……ひどい。
何時も頑張っているお兄様のお願いを聞いてくれないなんて、酷いよ、弟よ……」
ワンコ達に邪魔をされ、毛玉(仮)に近づけない長兄が、今度は目の無いワンコに抱きついて嘆いていたが、まあ、それはどうでもいい。
後で、義姉に慰めてもらえばいいと思う。
労わる様にぺろぺろと顔を舐める目無しのワンコに、長兄は頬を緩める。
「お前は、優しい子だね。
――ああ、お前の名前は暁でいいかな。
闇の中でこそ、光がよく見えると言うしね」
「あら、素敵な名前。
良かったわね、アヴギ」
「――ぬっ?!」
自分が名付けたワンコを勝手に改名され、次兄は愕然と長兄達の方を見やる。
長兄にアヴギと命名された、目の無い獣は、次兄に褒められた時よりも、大きく尻尾を振っていた。
テテテテッテッテ~ン
目無しはアヴギにかいめいした




