次期大公、怒る
怒り、という感情を、シャルロッティはようやく自覚した。
「無礼者」
口から出た声は、奇妙に凪いでいた。
あまりにも激しい感情は、ある一線で平坦になるのだと、シャルロッティは学ぶ。
身の内では、焼けるような灼熱と凍り付くような冷たさが荒れ狂っているのに、どうしてか、ちっとも表に出てこない。
相手を殴った扇を持つ手に少々違和感を覚えるが、行為に対しては全く後悔の念が浮かんでこない。
呆然とシャルロッティを見上げていた、晴れ渡る空を切り取ったような青い瞳から、大粒の涙が零れようとも。
髪の色を、憐れまれた。
――娼婦の髪色を持ってしまうなんて、御可哀想に、と。
言ってしまえば、ただ、それだけだ。
生まれ持ったものを、憐れまれても何も変わらないのだから、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。
だが、それだけのことが、シャルロッティはどうしても許容できなかった。
シャルロッティの鮮やかに赤い髪は、異国出身の高祖母から譲り受けたものだ。
シャルロッティの実母は、それが気に入らなかったようだが、シャルロッティ自身は、自分の真っ直ぐな髪を気に入っていた。
――夕焼けの色だと、義姉が褒めてくれたのだ。
養父が朝焼けの色だと愛でる、赤毛混じりの金色の髪を持つ義姉は、自分達の髪は空の色でお揃いだと、微笑んでいた。
その色を、娼婦、と。
……その言葉を耳にした時の心境は、到底表現できそうにない。
「――我ら王家の者が、娼婦の末裔とでも言いたいのですか?」
シャルロッティの言葉に、『陽輝姫』は泣きながら首を振ったが、彼女には腹立たしいだけだった。
憐れみを誘うような姿が、酷く癇に障る。
ドレスに忍ばせていた懐剣を抜きはらったのは、湧き上がる衝動に従っての事だ。
王家を侮辱したのだ。
不敬罪でぶち込まれる牢屋の環境は劣悪で、病弱な少女が堪え切れる筈もない。
――だから、いっそのこと、今この場で屠ってしまった方が、慈悲というものだろう。
幸いとも言うべきか、シャルロッティは、懐剣でどうすれば人を苦しませずに殺せるか、知っている。
シャルロッティは、両手で懐剣を振りかぶり――
「シャルロッティっ!!」
次兄の咎めるような呼びかけと共に、大きく節くれ立った手で、シャルロッティの懐剣を持った両手が掴まれた。
「ラザロス兄上、手を放していただけませんか?」
「放したら、お前が人殺しになるだろう」
シャルロッティが次兄を見上げれば、王家に特有の薄い琥珀色の瞳と目が合う。
青みを帯びた黒髪を刈りこんだ、精悍な次兄の眼差しは、険しくなっていた。
「――何を今更。 私も兄上達や陛下と同じように、王家の通過儀礼を受けています。 死刑が確定した確定した咎人とは言え、人は、人。 私達は、もう人殺しでしょう?」
シャルロッティが、王家の苛烈な通過儀礼をあげ、次兄に手を放すよう促すも、首を横に振られてしまった。
シャルロッティの小さな両手を掴む、大きな手に込められた力は緩まない。
「通過儀礼の意味を、はき違えてはいけないよ、シャルロッティ。 あれは、人の命を奪った両手でも尚、より多くの者の命を救う覚悟を養う為のものだ」
「ゼノン兄上」
艶めいた長兄の声に、シャルロッティは眉を顰めた。
血統上の家族といえど、邪魔をされるのは気分が悪い。
シャルロッティは反射に長兄を睨み付けたが、長兄のシャルロッティと同色の瞳は、微笑みを絶やさない。
父王と同じ――貴族階級に多い金髪は、同性でも道を踏み外しそうだと評判な長兄の容貌と相まって、今日も無駄に煌びやかである。
容姿の系統も髪色もてんでばらばらな王家の三兄妹であったが、瞳の薄い琥珀色だけはお揃いだった。
「――『咎を負うこととなった者を、蔑むな。咎を負わなければ、生きられない者を生み出した、己こそを恥じよ』」
初めて、己の両手で人の命を奪った時に、与えられた訓戒。
それをシャルロッティが口にすれば、次兄が、シャルロッティの両手から手を放す。
そして、長兄はよくできましたと言わんばかりに、にっこりと笑って見せた。
「王家の心得を忘れていないようで、何よりだよ、シャルロッティ。 ――どところで、君はこのおめでたい席で、何をしようとしていたのかな?」
長兄の言葉に、シャルロッティは漸く今が何処でどんな状況だったのかを自覚した。
――次期大公として出席した、王太子(長兄)の結婚式の祝賀会。
因みに、大公夫妻は、養父の体調が思わしくない為、大事を取って欠席をしている。
本当なら、大公妃だけでも出席するべきだろうが、結婚したばかりの年若い花嫁を、不慣れな場所に独りにしたくないと、養父が駄々をこねた。
シャルロッティも全面的に賛成だった為、勝手知ったる王城に、一人でやってきたのである。
――そして、己の髪への侮辱に激高し、相手の伯爵令嬢を扇で殴った上に、刺殺しようとした。
……しまった。
かつてないほどの失態に、シャルロッティは頭に上がっていた血が逆流するのを感じた。
今まで、こんな事はなかったので、らしくもなく真っ白になる。
為政者は、心のままに行動すべきではないのだ。
どんな事で悪意ある者に付け入る隙を与えてしまうのか、分からないのだから。
しかも、国の柱たる王太子の結婚式なだけに、今は他国からの人間の数も多い。
自分がさらした醜態が、他国にどの様に解釈されるかを考えただけで、シャルロッティは眩暈を覚える。
他国の者達が調子に乗った場合の対処法を、シャルロッティが真剣に考え始めた時、長兄が優しく笑い、彼女の頭を軽く撫でた。
「君がどれ程、王家を誇りに思っているのか、為政者としての矜持を持っているのか、私も陛下も、分かっているつもりだよ。 ――君が敬愛する大公殿の母君であり、私達の高祖母である女性を侮辱されては、君が怒ることも仕方がない。 けれど、私達や、君自身が思っていたよりも、君は幼かった様だね」
シャルロッティを詰る様子の無い長兄の言葉に、彼女は内心首を傾げた。
ここは、王太子として、失態を犯した王女を叱責するべき場面ではなかろうか。
「シャルロッティ、落日の赤が、君ほど似合う姫はいないだろうね」
シャルロッティの半分下した髪を梳きながら、長兄は妖艶な笑みを浮かべるが、含みを感じるのは彼女の気のせいではあるまい。
「――ゼノン兄上、私の髪は、夕焼けの色なのです。 ……娼婦の色ではありません」
「知っているよ。 だから、ふくれっ面はもうおよし」
長兄に頬をつつかれ、シャルロッティは自分が子供っぽく頬を膨らませていることに気が付いた。
――今までは、表情筋を動かす必要性を感じていなかったが、最近、気が付けば勝手に表情が動いている。
「君の髪を馬鹿にされたくなければ、君と同じような髪色の女性達の境遇を、良くしていけばいい。 シャルロッティ、君にはその権限も、義務もあるだろう?」
「そうですね。 王家の者は、髪の毛一本まで血税でできていますもの。 民の生活をよりよくするための努力は、当然のことです」
長兄の言葉に、シャルロッティは頷く。
シャルロッティは、次期大公だ。
王家に次ぐ大公家の力もまた、民の為に存在するものである。
「――もう、私ったら、どうして世間知らずのお姫様の言葉に反応してしまったのでしょう? 親兄弟にも匙を投げられた顔が綺麗なだけの中身が空っぽな人形が囀る言葉など、聞くにも値しませんのに」
『陽輝姫』への殺意がまだ消えていなかった為、シャルロッティは自分に言い聞かせた。
「シャルロッティ、君はまだ十二だよ。 病弱でろくな教育も受けていないとはいえ十六のご令嬢が、言ってはいけない言葉の区別もついていないのだ。 考え無しに不敬罪になりかねない言葉を吐いたご令嬢を、君が殴ったって、仕方がないだろう」
「あらいやだ、ゼノン兄上ったら。 私は、次期大公ですもの。 一刻も早く、為政者としての振る舞いを身に着けなくては、お養父様に申し訳ありませんわ。 今だって、お養父様は、老体をおして頑張っていらっしゃるのですから。 ――嫁ぎ先を見つけられそうにない金髪の愛玩人形と、同じ様に扱わないでくださいな」
笑顔の長兄に向かって、シャルロッティも満面の笑みを浮かべる。
何とか平静を取り戻せた気がするので、シャルロッティは『陽輝姫』に顔を向けた。
座り込んだまま固まっている少女の姿を、無様だと思う。
腫れた頬を見ても、全くもって、罪悪感は湧かない。
「――この祝いの場で、いつまでその見苦しい姿を晒しているつもりですか? 気分が悪いなら、早くお帰りなさいな」
こんな無礼者に笑顔を向けられる自分は大人だ、と、シャルロッティは自画自賛した。
***
――嫌な事を思い出した。
義姉の領地で作られたという香草茶を前に、シャルロッティは迂闊にも顔を顰めた。
目の前で優雅に微笑む王太子妃には申し訳ないが、義姉の領地関係は『陽輝姫』を連想して無駄にイラつくので、シャルロッティとしては避けたいのだ。
微笑まし気な目でシャルロッティを見る王太子妃は、波打つ黒髪にこの国にはない褐色の肌の、蠱惑的な容姿と肢体を有している。
王太子妃によく似合っている、鮮やかな瑠璃色のドレスは、身に纏う者を選ぶ代物だ。
熱砂の国から訪れた王太子妃は、奔放そうな見た目に反し、いたって真面目な性格をしている為、似たような性格の長兄と気が合うようだった。
片や、色香を垂れ流す王子様。
片や、妖艶な美貌の姫君。
華やかな容姿と責任感の強い中身が噛み合わない者同士、主に苦労等で通じ合うことが多いらしい。
「あらあら、シャル、そんな怖い顔をしては、可愛い顔が台無しだわ」
王太子妃は、シャルロッティの顔を見て、ころころと鈴の音の様な声で笑った。
「折角、以前の大公妃様が好んでいた香草茶を用意したのだから、一口味見するぐらいはいいでしょう?」
「是非ともいただきます」
王太子妃の言葉に、シャルロッティは最高の笑顔で即答した。
早速、シャルロッティが用意された香草茶に口を付けると、爽やかな香りが鼻を抜けた。
これは、眠気覚ましに丁度いいかもしれない。
お義姉様が飲んでいた香草茶だと思えば、『陽輝姫』のことなど空の彼方にうっちゃって、しみじみと味わってしまう。
シャルロッティは香草茶を堪能するのに忙しく、生暖かい視線が己に向けられていることにも、王太子妃付の女官達の腹筋が危機に曝されていることにも、気づいていなかった。
……これだから、次期大公は大公妃限定でちょろい、と陰口をたたかれるのである。
まあ、指摘したところで、シャルロッティはどや顔で開き直るに違いないため、誰も彼女に向かって言う気はないのだが。
*王家の三兄妹の容姿*
・ゼノン(長子)
癖のある金髪で、薄い琥珀色の瞳。
髪は肩甲骨あたりまで伸ばして、首の後ろで括っている。
お色気むんむん、フェロモン系王子。
左目の目元に泣き黒子有。
・ラザロス(次子)
短く刈り込んだ、青みがかった黒髪で、薄い琥珀色の瞳。
ストイックで精悍な騎士系王子。
軍部に所属しているため、ガタイ良し。
・シャルロッティ(末子)
腰まである真っ直ぐで鮮やかに赤い髪に、薄い琥珀色の瞳。
綺麗な女王様系お姫様。
*他の人の容姿*
・大公妃(長女)
赤毛混じりの金色の髪に、暗めの青い瞳。
おっとりとした、癒し系お姉さん。
・『陽輝姫』(末子)
明るい色調の金髪碧眼。
ふわふわ妖精系美少女。
・王太子妃
波打つ漆黒の髪に、黒い瞳。
白人系の他とは違い、肌は褐色。
エキゾチックな妖艶系美女。