第二王子の私信の行間、或いは、某騎士による報告書より その三
ちょっと短めです。
馬という動物は、草食という属性からくる安全そうな印象とは裏腹に、人間を簡単に殺せる生き物だ。
人間の十倍はする重量に押し潰されれば、圧死するし、その巨体を支える脚力及び固い蹄の合わせ技である蹴りは、当たりどころが悪ければ即死もあり得る。
それをよく理解している為、ラザロスは仕方なく、アストゥラビに蹴り飛ばされた神官に近づく。
一応、乗り手として、愛馬の行動には責任を負うのだ。
肥え太った神官は、地面の上で白目をむいていた。
軽く確認したところ、神官には骨折も、内臓破裂も無いようだ。
また、アストゥラビに蹴り飛ばされて地面を転がっている最中に、頭を打った様子も無かった為、命に別条はあるまい。
ラザロスの愛馬は賢いので、手加減もできるのである。
当のアストゥラビは、苛立たし気に、地面をガスガスと踏み付けていた。
愛馬の足元にあるのは、小さな笛。
神官が吹いた白い笛は、どんな材質なのか、岩さえ蹴り砕いた実績のあるアストゥラビの蹄の踏み付けにも、びくともしない。
ラザロスには聞こえなかった音色は、アストゥラビの機嫌の悪さと、耳を押さえたり、苦しそうにしたりして、蹲っている獣達の様子を見るに、余りよろしいものではないのだろう。
――ラザロスに怯えない貴重なモフモフを苛めるとは、何とろくでもない笛なのだ。
己の愛馬を横に置いて、出会ったばかりのモフモフ達を心配したのを、察したのか、否か。
ラザロスの頭に、アストゥラビが噛みついてきた。
「アストゥラビ! 何をする?!」
ラザロスの抗議に、彼の愛馬は歯を剥き出しにする。
ラザロスが世話をしている、アストゥラビ用の畑の林檎や人参に手を出す不届き者の様に、髪を毟られないだけましだが、痛いものは痛い。
噛み付くだけでは収まらず、鼻面でゴスゴスと小突いてくる愛馬に、ラザロスは辟易した。
「何に対して怒っているのだ、お前は?」
ラザロスの問いかけに、アストゥラビは不機嫌に嘶くが、何を言いたいのか、さっぱり分からない。
言葉は万能ではないが、無いと不自由だ。
身振りと声と表情だけだと、意思疎通には限界があるのである。
そして、一体何を思ったか、アストゥラビは、ラザロスが佩いている神剣の柄を咥えると、彼が止める間も無く引っ張った。
当然、神剣は鞘から抜け、緋色の刀身が露わになる。
「……アストゥラビ、お前は何がしたいのだ?」
ラザロスの疑問に答えるように、彼の愛馬は、咥えたままの神剣の刃先で、踏みつけていた笛を突っついた。
それでも、笛は真っ二つにならないのだから、もしかしたら、神器に類する代物であるのかもしれない。
「……その笛を、壊したいのか?」
ラザロスが、アストゥラビの行動からの推測を口にすると、そうだと言わんばかりに、彼の愛馬は大きく縦に首を振る。
かなり根性のある笛の耐久性に、アストゥラビは苛立っているようだった。
愛馬が差し出してきた神剣を、ラザロスは反射的に受け取った。
神官の持ち物を勝手に破壊するのは問題だろうが、元々、隣国には喧嘩を売る気満々であったので、まあ、別に良かろう。
それに、断ったら、今度は頭を嚙まれるどころか、アストゥラビに髪を毟られかねない。
ラザロスは、神剣を構え直すと、勢いよく地面に振り下ろした。
壊すには梃子摺りそうだ、という、ラザロスの覚悟とは裏腹に、手に伝わったのは、酷く軽い感触。
笛が砕ける音とは別に、何かが断ち切れるか細い音が、聞こえた気がした。
はて、と、ラザロスは、奇妙な感覚に首を傾げた。
笛を砕いたと同時に、何かを切り裂いた感触が微かにあったので。
笛の材質が変わっているのかと、ラザロスは、しゃがみ込み、笛の残骸を調べようとする。
ラザロスが、白い欠片に触れる、その前に。
――アストゥラビの踏み付けも、それなりに効果があったのだろうか。
笛だったものは、風に吹かれて砕け散り、跡形もなく消え去った。




