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第二王子の私信の行間、或いは、某騎士による報告書より その一

 道中は、矢が飛んできたり、仕入れた食料に毒が仕込んだりしていたが、(おおむ)ね順調であった。

 (むし)ろ、日程的には早いぐらいである。

 これは、アストゥラビのやる気が、他の馬にも伝染した結果であろう。

 また、護衛対象が大変静かであったため、休憩の回数を、最低限にできたことも大きい。


 そんなこんなで、目的地である隣国側の国境沿いの町に辿り着いた時、ラザロスは予想外のものと遭遇することになる。


 ***


 ――まず目につくのは、顔に刻み付けられた、大きな傷跡。

 切創の跡であり、火傷の跡でもあるそれは、軍部に所属している故にそういうものを見慣れているラザロスから見ても、無残なものだ。

 運良く傷を免れたのであろう瞳は、澄んだ紫。

 稀有な色は、女神の末裔と同色とは思えないほど、その瞳を印象深く彩っている。

 汚れてくすんだ被毛は、だが微かに月光めいた蒼銀の輝きが見て取れた。

 きっと、洗えば、アストゥラビ同様に見応えがあるのだろうと思えば、薄汚れてしまっている現状が、酷く惜しい。


 暴れ回る鼓動を痛い程感じながら、ラザロスは慎重に腕を伸ばした。

 そっと、被毛を指先で撫でると、意外にしなやかな感触を得る。

 紫色の瞳を(うかが)えば、何処か心地良さげに目を細めていた。

 相手の悪くはない反応に、ラザロスは思い切った行動に出る。


「お手」


 崖から飛び降りるつもりで差し出した掌の上に、むにっと、肉球の肌触り。

 人生初の、片手では余る大きさの感触に、ラザロスはいたく感動した。

 文通友達から、わんこ・にゃんこの肉球の良さを力説されても、怯える相手の肉球を堪能する気にはなれなかったラザロスだ。

 己に怯えない貴重な相手を前にして、ラザロスの心は何時になく浮足立つ。

 アストゥラビの脚にあるのは、肉球ではなく(ひづめ)の為、文通友達に勧められていた肉球むにむには、半ば諦めていたのだ。

 らしくもなく、浮かれたラザロスは、調子に乗った。


「お座り」


 ラザロスの声に、相手はさっと地面に腰を下ろす。

 肉球が掌から離れたのは惜しかったが、目の前にある紫の瞳には、恐怖も隔意も感じられず、また肉球を堪能しても問題なさそうだ。


「伏せ」


 またラザロスが声をかければ、目の前にあった紫色の瞳が、下の方へ移動する。

「うむ。 お前は賢いな」

 地面に伏せたままラザロスを(うかが)う紫眼に、彼は相好を崩して薄汚れた被毛を撫で繰り回す。

 アストゥラビとは異なり、毛足の長い被毛は、汚れていても触り心地はそれなりに良い。


 ……これが、もふもふ体験と言うものか。


 今まで、もふもふ系の動物にもふもふさせて(もら)えなかったラザロスは、しみじみと蒼銀に輝く被毛の感触を堪能(たんのう)していた。


 が。


 後頭部に走った衝撃に、ラザロスは人生初のもふもふ体験を中断せざるを得なかった。


「……アストゥラビ?」


 ラザロスが後ろを振り向けば、鼻面で小突いてきたアストゥラビが不機嫌そうに(いなな)いた。

 蒼穹の瞳は、何やってんだ、とばかりに半眼になっている。

 それどころか、アストゥラビはラザロスを押しのけると、彼がもふっていた相手に、頭突きをかました。


 頭蓋骨(ずがいこつ)同士(どうし)がぶつかり合う、痛そうな音。


 だが、アストゥラビの頭突きを受けても、灰色に薄汚れた獣は、引かなかった。

 鎖の絡みつく太い脚を踏ん張り、アストゥラビを押し返そうとする。

 アストゥラビもアストゥラビで、押し負けるつもりはないらしい。

 お互いに額をくっつけ合った状態での押し合いは、均衡状態に(おちい)ってしまった。

 お前は何がしたいのだと、アストゥラビの行動に首を(ひね)っていたラザロスは、押し合いへし合いしている愛馬と獣を見ているうちに理解した。


「ああ、お前もじゃれ合いたかったのか」


 かっと、アストゥラビが目を見開いたところを見ると、当たっているらしい。

 アストゥラビが頭突きをしたのは、あれか、ツンデレというやつか。

 女性との機微にはとことん疎いラザロスでも、周囲に教えてもらったおかげで、素直になれない人種をツンデレと呼ぶことぐらいは知っている。

 更に力の(こも)った愛馬達の交流を、ラザロスはほのぼのとした気分で眺める。


 天馬の先祖返りであるアストゥラビと相対するのは、肩高がラザロスの肩辺りに達する大きな犬だ。

 連れてきた隣国の神官曰く、神の犬の先祖返りらしい。

 きっと、神に連なる獣の先祖返り同士、通じるものがあったのだ。


「あの、団長……」

 部下の声に、ラザロスは我に返った。

 ラザロスに怯えないわんこの存在に、うっかり有頂天になり、つい忘れてしまっていたが、今は公務の最中である。

 国の代表として、恥じない態度で臨むべきであったが、ラザロスを怯えないもふもふに気をとられてしまった。


 恐るべし、もふもふ。


 深く反省しているラザロスへ、部下達が向ける視線は、可哀想なものと生温いものが入り混じっていた。


 駄目だ、この人。

 ――自分がしっかりしていなければ……。


 部下達に共通した心の声は、神ならざるラザロスには届いていない。

 騎士団長たるラザロスの、動物に無意味に畏れられる体質も、私生活におけるポンコツ仕様も周知の事実である。

 また、いたって真面目に馬鹿をやるところは、妹姫にそっくりだと、(もっぱ)らの評判だ。

 実は、容姿がてんでばらばらの割に、王家の三兄妹は、妙に中身が似通っているのだ。

 特に、兄妹の中で、一番自分がしっかりしていると、それぞれが思っているあたりが。


 健気な部下達の、何度目かも知れぬ誓いなど露知らず、ラザロスは彼らを迎えた神官に向き直る。

 隣国を作り上げた女神を奉じる神殿の、でっぷりと肥えた中年の神官は、どうしたことか、ラザロスを魔性でも見る様な目で見てきた。

 出迎えた当初は、(わず)かながら侮蔑(ぶべつ)(にじ)ませていたというのに、一体どうしたことやら。


 ――女神の末裔に懐かなかった、出来損ないの神の犬に、現人神へ不敬を働いた不届き者を喰わせようとしていた神官達の企みなど、ラザロスは知る由も無い。

 ましてや、その不届き者が、己よりも大きな犬を嬉しそうにもふりだし、その行為を神の犬が許容したことに、神官が驚愕していたことも、ラザロスが関知するところではなかった。



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