次期大公、私信を読む
兄上とシャルロッティへ
あちらの神官から、神剣と引き換えに犬を譲ると言う申し出があったが、断った。
逃げ出した犬を拾った。
私にお手をする、良い犬である。
お座りも、伏せもできて、賢い。
スカー、毛玉、一つ目、三つ脚、目無し、縮れ耳、二つ尾、ベロ出し、チビ、六つ指と名付けた。
スカーは、アストゥラビに似ている。
汚いが、帰ったら洗う。
トイレは躾けるので、王城内で飼ってもいいだろうか?
神の犬の原種に近いので、良い護衛になると思う。
***
行間も読めと言わんばかりの、次兄からの手紙に、シャルロッティはがっくりと肩を落とした。
隣国の留学生を叩き返す任務に就いていた次兄から、私信が届いたと思ったら、どこもかしこも突っ込むしかない内容である。
軍の伝書鳩をわざわざ使用して、何故送ってきたのがこれなのだ。
「……ラザロス兄上は、説明が足りなさ過ぎます」
次兄は軍事馬鹿なだけに、私生活の面ではポンコツ仕様だ。
その気になれば、馬鹿でも分かる作戦計画を立案できるのに、どうして私信は、下手をしたら子供以下の内容になるのだろう。
次兄の脳筋ぶりに、頭を押さえたシャルロッティに対し、長兄が慈愛に満ち溢れた笑顔を向けた。
「シャルロッティ、これでもラザロスは成長しているんだ。
それだけは、認めておやり。
――元帥との修行の旅に出かけた時は、ラザロスからの手紙に、進んだ距離と方角しか書かれていなかったこともあったのだよ」
「ゼノン兄上、それは手紙に分類してよろしいのでしょうか?」
文書ですらないのならば、暗号と大して変わらないのではなかろうか。
私生活における次兄の文章能力の散々たる有様に、シャルロッティは閉口するしかない。
まず、一読しただけでは、状況がはっきりと分からない。
明確なのは、次兄が、神の犬の血が濃い犬を十頭拾ったことぐらいか。
――しかもその犬達は、恐らく大半が奇形だ。
シャルロッティ達の祖先が、愛馬と共に地上に降りた様に、隣国の女神も、傍らに侍らせていた犬を連れてきたと言う。
奇形ばかりであるのは、――アストゥラビの件と同様、愚かなことを考える人間は、何処にでもいるということだ。
後、スカーは傷が目立つのだろう。
スカーと言うのは傷跡を意味する、異国の言葉であるからして。
……次兄よ、貴方が拾った犬たちに付けた呼び名は、名前ではなく身体的特徴だ。
一頭だけ、頑張って捻ってみたのなら、残りの九頭の分も頑張ればよかろうに。
身体的特徴だったら、渾名にしかならないのではなかろうか。
「シャルロッティ、スカー以外の子達の名前は、今から候補を考えておこうね」
「毛玉などが名前だと、品性が疑われますものね」
にこやかに名前辞典を捲っている長兄に、シャルロッティは真顔で頷いた。
まあ、所詮は脳筋だ。
神の犬に相応しい、気品ある名前を求める方が間違っている。
「それにしても、ラザロス兄上は、何をなさっているのでしょうか?」
空白の多い便箋を眺め、シャルロッティは首を傾げる。
主神の加護を受けようと、鬼子と呼ばれようと、言葉が徹底的に足りない手紙一枚で状況を全て察する程、シャルロッティは人間をやめていないのだ。
「大丈夫だよ、シャルロッティ。
こんなこともあろうかと、随伴した騎士に、報告書の作成を命じておいたから。
相変わらず、我が弟はやることなすこと面白いね」
多分、面白がっているのは、長兄ぐらいだ。
一枚目から、暗殺未遂の報告が記載されている紙の束を流し読み、シャルロッティは心の中で突っ込んだ。
因みに、栄えある第一回目の暗殺未遂では、次兄は飛んできた矢を掴んで打ち返したらしい。
実の兄ながら、身体能力の程が謎だ。
次兄は、山登りや崖登りの賜物などと、大真面目に言っていたが。
大自然は、斯くも人間を鍛え上げるものらしい。
犬と一緒に、次兄が野生化していたら、どうしよう。
不意に頭に浮かんだ懸念は、非常に真実味があって、笑えない。
だって、私生活ではポンコツ仕様の脳筋だ。
ある意味、周囲の想像を超えていく人種であるから、気の迷いとも言いかねる。
拾った犬の躾云々よりも、寧ろ、次兄に犬を躾けさせる方が恐ろしい。
シャルロティは、これまたツッコミどころ満載の報告書を頭に入れながら、今まで手を出してこなかった犬の飼育書を読もうと心に決めた。