次期大公、闘神の加護持ちと
「……なあ」
進む馬車の中で、躊躇いがちな声がした。
義姉とお揃いのクマのぬいぐるみを堪能していたシャルロッティは、その声に視線を上げる。
彼女の前に座っていたのは、シャルロッティより二つばかり年上の少年であった。
くるくるとした黄みがかった茶色の髪が特徴の、小汚い少年。
シャルロッティが身に纏う深緑の最上級のドレスとは対照的に、少年が身に着けているのは、みすぼらしい生成りのシャツと渋染めのズボンである。
少年の身なりは、平民の中でも、下の方の階層の人間のものだった。
疲れたようなハシバミ色の瞳が、シャルロッティを映しこんでいる。
「――あの人たちに、俺は、何て見えていたんだ?」
少年はもう、答えを知っている筈だ。
だが、向き合えずに、シャルロッティに問いかけた様だった。
「――神様が下さった、便利な道具ではないですか」
シャルロッティには、少年に優しくする義理も、嘘を吐く必要性もなかったので、感じたままを答える。
傷ついた顔をする少年に対し、シャルロッティは言葉を連ねる。
「言いましたでしょう? 冥王の呪詛に惑わされた者は、主神の寵児やその周囲に仇を生すと。 貴方を主神から下賜された宝物ではなく、ただ手元に転がり落ちてきた有用な道具と見做したからこそ、あの方々は貴方の意思を蔑ろにしたのでしょう」
――シャルロッティは、その話を聞いた時、耳を疑った。
主神の恩寵を受けた子を旗頭として、独立しようとしている町があると。
あまりに馬鹿な話に、何度も聞き返したほどである。
だって、いくら調べようと、主戦力が主神の寵児一人だけだ。
そんなしょっぱいにも程がある防衛力で、一体どうやって町を守っていくつもりであったのか。
――元を質せば、その町の役人が、強欲な上に頭の悪い人物であったのが発端であった。
貧民街の破落戸よりも質が悪く、雇った護衛をたてに賄賂をせびるわ、カツアゲするわで、やりたい放題だったらしい。
普通ならそんな役人は即刻罷免するところだが、国中に分散する王領の中でも、辺境に位置するそこは、なかなか中央の目の届かないところであった。
また、これも中央の怠慢であったが、その役人の上官に据えられた人間も、賄賂があれば大概の事は目を瞑る様な者であったという。
当然、問題が発覚した時点で、いない方が都合のいい役人共は首にした。
が、町の者達にとっては、国の失態など知ったことではない。
平民、特に辺境に住む者の中では、「役人=お国」の図式が成り立っている。
役人への不満は、そのまま国への、ひいては国王への不満に転換し、町の者達の中に沈殿していった。
それが爆発したのは、役人が、シャルロッティの前に座っている少年の姉を、強引に妾にしようとした時だった。
チャンバラごっこでは誰にも負けない、という程度の認識だった少年が、主神の恩寵を与えられた人間だったと発覚したのも、この時である。
成人もしていない素手の子供が、帯剣した屈強な護衛を、数人丸ごと叩きのめしたのだ。
それでも尚、子供には傷一つなかったというのだから、その子供は普通ではないと嫌でも分かる。
主神の恩寵を与えられる人間は、徒人よりも秀でた能力を有するが、時折、ある方面の才が異様なまでに特化した者が現れる。
そういう人間は、主神が恩寵を与える際、配下の神より加護を与えられたのだとされる。
少年の場合は、闘神より加護を与えられた人間であったということだ。
まあ、そこまでは良かった。
返り討ちにあったとはいえ、ひ弱に見える子供に危害を加えるような人間だ。
少年の正当防衛は、認められる。
だが、どうしたことか、町の者達はおかしな考えに取りつかれたのだ。
――少年がいれば、何でもできる、と。
そうして、町の者達は少年に役人を追い出させ、挙句の果てには、大した特産品も地の利も無いくせに、国から独立しようとしたのである。
独立の理由は、役人なんて要らないから、だ。
ツッコミどころは山ほどある。
例えば、公共工事の財源はどうするつもりだ、とか、そもそも、主産業が材木の切り出しや木工品の作成であるから、食料を自給できていないだろう、とか。
その町が王領にあったため、上位の王位継承者の中では比較的自由に動けるシャルロッティが、町への謝罪・セットク及び、主神の寵児の回収に出張る羽目になったのだ。
シャルロッティは早く帰りたかったので、即行で用事を終わらせたが。
別に、珍しくはないことではある。
――主神の寵児の周囲にいる人間が、狂うのは。
……その原因を、冥王の呪詛だと、人は言う。
嘗て、長子として生を受けた冥王は、至尊の座の簒奪を恐れた父神に、真っ先に呑まれてしまった。
そして、末子であった主神に助け出された折に、最後に父神に吐き出された故に、末子となった。
本来得る筈だった至尊の座を弟に奪われた冥王は、怨み、妬み、主神の寵愛厚き末の子の周りに呪詛を振り撒くようになったとされる。
――主神の恩寵を、厭う様に、と。
正直、シャルロッティには、主神の恩寵も冥王の呪詛も、大差ない。
もしかしたら、主神の恩寵など何処にもなくて、冥王の呪詛だけが世界に蔓延っているようにも思える。
義姉のところも、少年の例と似たようなものだったのだ。
義姉の妹である『陽輝姫』にあったのは、人に好かれやすい才と言うべきもの。
本来ならば、それは、人脈を作るのに効果的であったはずだ。
もし、『陽輝姫』が商会を立ち上げたならば、あるいは、瞬く間に国一番の商会になりえたかもしれない。
『陽輝姫』が、まともに育てられていたら、の話だが。
折角の才能は、両親や長兄、使用人達の甘やかしという形で発揮され、『陽輝姫』は見た目が綺麗なばかりの愛玩人形と化してしまった。
また、そのとばっちりを受けた以前の義姉は、愛情を得られずに歪んでしまったのである。
義姉の元家族にくれてやる同情は欠片もないが、図らずも騒乱の種になりかけた少年には、情状酌量の余地はある。
どんなに町の者達に強要されようと、少年は、人の命を奪うという一線だけは、決して越えなかったのだから。
また、町の者達にしてもそうだ。
ある種の狂乱状態になった彼らは、外部要因により冷静な判断ができなくなっていただけなのだ。
それ故、税の支払いを不当に拒んだとしても、あまり目くじらをたてることではない。
後で、遅延金込みで取り立てればよいのである。
「……俺は、どうすればいい?」
――どうすれば、前の様に人として見てもらえるのか。
少年の問いかけを、シャルロッティは意図的に無視した。
そんな事、シャルロッティには分からない。
「貴方には、大公家で侍従教育を受けていただきます。 護衛ができる侍従は、何かと便利ですから」
王侯貴族――特に王族は、その責任の重さ、政治的利用の際の有用性により、軽々に損耗することは許されない。
人を殺したがらないとはいえ、闘神の加護持ちならば、いくらでも使いようはあるのだ。
「――そうですね、時間もありますから、説明でもしておきますか。 お義姉様の事とか、お義姉様の事とか、お義姉様の事とか」
「え?」
何故か身を引こうとする少年の両手を、シャルロッティはがっちりと捕まえる。
これは、大事なことなのである。
「お義姉様は、何かと危険な立場にいらっしゃいますから、貴方に護衛してもらう機会も多いと思います。 警護対象者の情報を知るのも、護衛の仕事の一つですよ」
そう、だから、シャルロッティが義姉の自慢をしたいわけではない。
養父も使用人達も、義姉の素晴らしさをよく知っているから今更だし、血縁上の家族達は仕事で忙しいから、義姉自慢ができないのを不満に思っている訳ではないのだ。
――決して、義姉の大好きなところを心ゆくまで語ってみたいなどと、シャルロッティは思ってなんていない。
仕事なのだ、仕事。
「……お前、シスコンかっ?!」
「シスコンですとも」
いきなり大声で叫んだ少年に、シャルロッティは勝ち誇った。
シャルロッティの義姉は、彼女がシスコンになるくらい、素敵な女性なのである。