次期大公、巫女姫役になる
湿気を孕んだ風が、頬を撫でた。
老神官の掲げる灯りが払っても尚、そこかしこに凝る闇は深い。
「……初代国王も、どうしてこのようなところに……」
「それは、姫様もお分かりでは?
――徒人では、傍にいることさえ畏れ多い品ですから」
慣れない衣装に難儀しながら、ぼやいたシャルロッティに、彼女を先導していた老神官が声をかけた。
最高位神官の一人である老人の、皺の刻まれた顔は、身に着けているヴェールのせいで少々見づらい。
何故、ヴェールなんて邪魔なものが正装に含まれているのだと、シャルロッティは心の中で愚痴る。
シャルロッティ達が歩いているのは、剥きだしの岩壁に囲まれた、地下へと続く階段だ。
長々とした階段の先に、ぽつりと灯る光が見えるが、炎のそれとは違っている。
見えない何かが満ちた異質な空気は、魂さえ侵しかねないと錯覚してしまいそうだ。
「まあ、ここが相応しい雰囲気だということは、よく分かりますが……」
お陰で、適当な王族の姫に押し付けるつもりが、予定が狂ってしまった。
頑張って言いくるめようとしたのだが、全員この場の空気に怖気づいて、逃げ帰ってしまったのである。
王家の血筋を誇っていた割には、全くもって使えないご令嬢達である。
王家の政教分離の方針により、シャルロッティは神殿とは進んで関わろうとはしてこなかったが、今回だけは目を瞑らなければいけない。
シャルロッティがこれから取りに行こうとしているのは、神殿が弾圧の――虐殺の憂き目を見ようとも、紫眼の愚王より守り通した代物だ。
持ち出すならば、王家の血を引く巫女姫の手で、と言う、神殿側の謎のこだわり位、呑んでみせるのが筋だろう。
シャルロッティは、巫女姫の条件に合っているし、異質な空気位で怖気づく程軟弱でもない。
――正直、巫女姫の作法はいちいち面倒なのであるが。
突貫教育で取り敢えず身に着けた巫女姫特有の歩行方法も、縫製の無い巫女服も、とにかく慣れない。
歩き方で神を賛美するとか、シャルロッティにはそうする意味が分からないので、やる気も削減される。
もっと、効率的にはならないものか。
神官に聞かれたら、神への敬意が等と怒られかねないが、それがシャルロッティの偽りなき感想である。
――神の存在は信じていても、祈っているだけで物事が改善するとは、欠片も思っていない為、シャルロッティの信仰心はあまりなかった。
それでも、わざわざ時間を作ってまでこの場にやってきたのは、それが必要だと判断したからだ。
気休めだろうとなかろうと、神と敵対するならば、相応の武器を携えるものだろう。
確かに、半神の血筋とされる王家には、隣国の様に不思議な力など伝わりはしなかった。
けれど、神の存在の証となるものは、この国にも遺されていたのである。
◆◆◆
緋色の刃が閃く。
――そうして、人が一人、消失した。
正しくは、焼失、だろうか?
微かに焦げた様な臭いがシャルロッティの鼻につき、一人の青年が存在していた場所には、僅かに灰が散らばっていた。
――次兄が、緋色の刃を以て青年の頸を刎ねた、と認識したのと、同時であった。
剣から奔った光が、青年を舐め尽くしたのは。
「……兄上、シャルロッティに徒労をかけるのは悪いですが、この剣は今すぐ元の場所に戻してきた方が良いのではないでしょうか?
これは、人の手に余る代物でしょう」
目の前にシャルロッティが運んできた剣を掲げて、固まっていた次兄が、何とも言えない表情のまま、そんな事を言い出した。
まあ、気持ちは分かる。
大神殿の地下に安置されていたところをシャルロッティが運び出し、今は次兄の手にある剣は、初代国王の遺品であった。
初代国王――主神の血を受け継いだ半神の愛剣は、鍛冶神が鍛造したと伝わる、正真正銘の神剣である。
正直、千年以上前の遺物であるから、最早錆びないだけのよく斬れる剣となり果てているのではないかと、シャルロッティは勝手に予想していたが、とんだ誤算だ。
ここまでしっかりと、神の力が残っているとは。
シャルロッティは、自分の眉間に皺が寄るのを自覚した。
シャルロッティは、神の存在は信じるが、神の力も加護も嫌いだ。
人の世にあると、碌なことを引き起こさないので。
本日は、隣国の貴族の強制送還及び、末姫に危害を与えようとした危険人物の処分日である。
従者を処分したら、隣国の留学生を即刻叩き出す予定であったため、シャルロッティ達は城門の近くに集まっていた。
シャルロッティ達王家の三兄妹に、父王と叔父を加え、まだ体調のすぐれない養父以外の王位継承者が全て揃っていた。
――この場でなされていることは、この国の王権の所持者達の総意であるという証として。
シャルロッティが先祖の愛剣を持ち出したのは、こちらの本気度を隣国に示す意味もあった。
女神の威光のお陰か、万年脳内に花が咲き乱れている人間が多い為、言葉だけでは中々こちらの考えが伝わらないのだ。
本当は、政教分離の方針を盾に、神殿に遺物の持ち出しを拒否されると思っていたのだが、それはもう快く応じてもらえた。
……主神を祭る神殿の人間に、あれ程嫌われるとは、隣国の者達は、今まで一体ナニをやらかしてきたのだろう。
神剣を持ち歩くのを拒否してきた次兄に、長兄はにっこりと笑って見せた。
「いやあ、弟よ、それは人の身には過ぎた代物だろうけれど、神の眷属と対峙するなら、それが無いとどうにもならないかもしれないよ。
――アストゥラビのような存在が、他にいないとも限らない。
隣国の祖神は、神々の御座で侍らしていた犬を、地上にまで連れてきたと言うしね」
己の名に反応して、次兄の愛馬が嘶く。
王家が所有する軍馬の中で、最も美しく、異質な馬。
――金色の光を纏う白色の体躯は、惚れ惚れする程逞しく、高く澄んだ空を写した瞳の青は、神々の御座から臨む空の色だとされていた。




