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閑話 しんまいじじょアレスくんの受難 後編

 休憩室の扉が、叩かれる音がした。


 奥方様に目で促され、アレスは扉を開ける為に歩き出す。

 王侯貴族と言うのは、基本自分で身の回りの事をしないらしく、扉なども使用人が開けなければいけないのだ。

 平民出身のアレスからしてみれば、非効率で面倒なだけだが、雇い主曰く、雇用を生み出すには都合がいい習慣らしい。

 高貴な身分の人間は、民から集めた血税を適切に彼らに還元するのも義務であり、労働を介さない富の還元は、過ぎれば毒になりかねないとかなんとか。

 貴族の道理は分からないが、要するに、働かざる者食うべからずという事だろうか?

 王侯貴族って謎だと思いながら、アレスは取っ手に手をかけた。


 扉を開けた途端、鼻の奥を急襲してきた甘い腐臭に、アレスは吐き気を(もよお)した。


 突貫とは言え、大公家で仕込まれた使用人の心得に従い、アレスは辛うじて不快感を顔に出すことは控える。

 いると予想していた男装の姫君の姿はなく、代わりに立っていたのは、別の人物であった。


 ――あ、どうしよう。


 名前は忘れた。

 だが、顔だけは覚えている。

 この国に多い金髪に、何処か冷たい青い目の青年。

 雇い主が、それはそれは忌々しそうな顔で、姿絵を摘み上げ、奥方様に近づけるな、と言っていた、――奥方様の元婚約者。

 この男を見つけたら、可及的速やかに離れるよう誘導しろ、と、雇い主から()わった目で命令されていたが、当人から近づかれたら、どうしろと。


 ――そもそも、王族に近い立ち位置の大公妃は、本来好き嫌いで会う人間を選べない立場だ。

 そして、高位貴族の一人である元婚約者を近づけないようにと言う命令は、何の権限も無いしんまいじじょには、無茶ぶり以外の何物でもない。


 雇い主から無理難題を押し付けられたことに、気づいていなかったアレスが思考停止していると、元婚約者が不快気に眉を寄せた。


「人払いを。 少し、大公妃殿下と話がしたい」


 無理だっちゅーの。


 命の危機に覚醒したアレスは、反射的に飛び退くと、衣服の下に隠していた武器を取り出す。


 奥方様を、元婚約者と二人きりにしたら、……ドシスコンに殺されるっ!!!


 あの男、お義姉様を傷つけるだけ傷つけておいてうふふふ、と、笑っていない目で(わら)い声をあげていた少女の姿は、アレスの人生の中でも指折りの恐怖映像であった。

 侯爵家なんて、くそくらえだ。

 じじょの無礼に、侯爵子息は怒りの表情を浮かべたが、アレスのバックについているオヒメサマの方が、遥かに恐ろしい。

 雇い主の許可は得ているので、アレスは虎の威でもなんでも借りる所存である。

 こっちくんなぁ~っ!!! と、内心半泣きで絶叫しながら、アレスは支給された武器を元婚約者に向けた。

「お引き取り下さい」

 口にしながら、もう少し脅し効果がある武器にすればよかったと、アレスは少し後悔した。

 アレスが手にしているのは、彼の肩から手首にかけてと同じくらいの長さの金属棒である。

 剣でないのは、アレスが殺傷能力の高い武器を持つことを渋ったせいだ。

 黒い棒きれはいまいち迫力に欠けるが、特殊鋼で出来ているだけあり、驚くほどの軽さとは裏腹に、量産品程度の剣なら簡単に刃毀(はこぼ)れさせる強度を誇る。

 それ故に、護衛の為の武器には問題ないが、脅しには使い辛いのだ。

「奥方様に不用意に近づく赤の他人を、姫様はお許しになっていらっしゃいません」

 薄らぼんやり覚えていた台詞を言ってやれば、青年貴族は不機嫌な表情のまま目を細めた。

「元婚約者だ」


 元な時点で他人だろう、あんた。


 アレスは呆れ果て、突っ込みも口から出てこなかった。

 奥方様と旦那様の幸せいっぱいのラブラブぶりを知るだけに、元婚約者のおかしな自信がアレスには理解不能だ。

 確かに、巷の三文小説では悪役令嬢が年老いた悪徳貴族に嫁がされるが、奥方様と旦那様はそうじゃないだろう。

 アレスは、何だか頭が痛くなってきた。

 それは、元婚約者に塗りたくられたような、爛熟(らんじゅく)した果実の腐った臭いのせいもあるけれど。

 あっち行け~、もう帰れ~、と全力で念じながら、アレスは途方に暮れてしまった。

 雇い主と比べて残念なアレスの頭では、分からず屋の青年貴族を言いくるめて追い返すなんて離れ業は不可能だ。

 かと言って、目の前の青年の言う通りにしたら、……アレスの人生が詰む。


「――人払いはしなくていいから、武器をしまいなさい」


 苦笑交じりの奥方様の言葉に、アレスは素直に従った。

 うっかり取り出してしまったが、雇い主に嫌われているとは言え、何もしていない無手の人間をぶん殴って追い返せば、悪者はアレスになってしまう。

「申し訳ございません。 その子は、私の養女の専属騎士ですから、どうしても彼女の言葉に従ってしまうのですわ」

 騎士団の引き抜きが面倒、という理由で、アレスは大公家ではなく、王家の末姫個人に雇われる形となっている。


 ……専属騎士の(はず)なのに、どうして自分はじじょをやらされているのだろう……。


 アレスは理不尽な現実を改めて突き付けられ、虚ろな目になった。

 それでも、奥方様を守らねばいけないので、アレスは元婚約者の前から身を(ひるがえ)し、何時でも奥方様を(かば)える位置に移動する。

 使用人としての礼儀はなってなかろうが、そんなものより、奥方様を守ることが、ただ今のアレスの最優先課題なのである。

 元婚約者は、アレスに対して苛立っているようだが、ぶっちゃけそれはどうでもいい。

 アレスは他人からの評判よりも、自分の人生の方が大事だ。

 難しそうな貴族の会話は適当に聞き流そうと、しんまいじじょは不真面目な事を考えていた。


 聞き流そうと、思っていたのだが。


 元婚約者同士の、妙に噛み合わないやり取りに、アレスの脳内では疑問符が踊っていた。

 この人の情報収集能力大丈夫? と、アレスは侯爵子息に対して失礼な感想を抱く。

 何故か、侯爵子息の中では、大公夫妻が政略結婚扱いになっているし、奥方様とドシスコンの雇い主のそりが合わない事になっていた。

 ついでに言うと、奥方様は使用人に当たる人でもない。

 雇い主が聞いたら、ふっ、お義姉様のことなど、何も知らないのですね、とか、物凄く見下した感じで言いそうな現実とのズレがある。

 それにしても、奥方様はすごいと、アレスは思う。

 アレスが辟易(へきえき)している臭いが存在しないかのように、完璧な微笑みを浮かべ続けているのだから。

 でも、奥方様は笑顔の仮面より、旦那様と一緒にいるときの笑顔の方がずっといいので、元婚約者はとっとと帰ればいいのに。

 アレスが元婚約者をジト目で見た時、不意に異様な気持ち悪さを感じた。


 ――この青年には、本当に奥方様が見えているのだろうか?


 胸の中に落ちてきた疑問は、妙に重たい。

 そうだ。

 だって、おかしい。

 侯爵子息の視線は、ずっと(・・・)ぶれ続けて(・・・・・)いる(・・)

 会話中、視線が固定されたままであるのも、それはそれで重いと思うが、青年のそれは、不自然に定まっていない。

 雇い主に引きずられていった裏町で見た、末期の薬物中毒にも似て。


 ――ここ(・・)()だめ(・・)()


 何故かは、自分自身でも理解できない。

 ただ、この場所から――侯爵家の屋敷から早く出ていかなければと、強く感じた。

 アレスが聞き流した話に何を思ったのか、青年が立ち上がる。

 同時に、アレスの思考を邪魔する様が如く、甘い腐臭が一層強く香った。

 訳も分からぬまま、身体だけが動いて、アレスは奥方様と元婚約者の間に滑り込む。

 余りにも濃厚な腐臭に慣れてしまいそうな錯覚を覚え、アレスがぞっとした時、あっけなくその臭いが薄れていった。

 そして、扉が開く気配。


「――君は、私を、愛していただろう――」


 え、何それ。

 突如消えた臭いに内心で首を傾げていたアレスは、元婚約者の迷言に目を丸くした。

 記憶喪失の奥方様に、それを言ってもどうにもなるまい。

 この人、本当に大丈夫? と、アレスは同情たっぷりの目で青年を見てしまった。

 そう言えば、扉が開く気配がしたなと、アレスが目線だけをそちらへ動かすと、――魔王がいた。


 黙って立っていれば、少々のきつさはあるものの、匂うような美少女なのに、浮かべる形相が恐ろし過ぎて色々台無しである。


 ――言いつけを守れなかったのを、ドシスコンに見られたっ!!!


 青年がどう動こうとも対応できるように身構えながら、アレスは心の中でのたうち回る。

 今の状況は、不可避だったのだ。

 やむにやまれぬ事情があったのだ。

 そもそも、言いつけ自体、しんまいじじょの手には余った案件であったのである。

 ぐるぐると目を回しているアレスの後ろで、奥方様は困った様に微笑んだ。


「申し訳ございませんが、貴方を愛していたと言う『私』は、記憶を失った時に死んでしまって、もう、何処にもいないのです」


 だろうね。

 奥方様の言葉に、アレスは納得する。

 奥方様は、前の事を、きれいさっぱり忘れてしまった。

 いくら頑張っても、望まれても、決して同じように振舞えないのならば、『前』の奥方様は、死んでしまったのと、どう違うのだろう。


「以前の『私』の事は、忘れて下さって構いません。 今の私が愛しているのは、旦那様ですもの。 ――どうか、貴方は貴方の愛する方と一緒に、幸せになってくださいませ」


 こんなにも幸せそうな奥方様の笑顔を、元婚約者は見たことがあったのだろうか?

 優雅な一礼は、別れの挨拶代わり。

 奥方様に自覚は無かろうが、元婚約者に止めを刺したようなものだった。


 ……元婚約者と初めて会ったアレスでさえ、ちょっとざまあと思ったのだ。


 ――お義姉様大好きなオヒメサマが、すんごいあくどい笑顔を浮かべて拳を突き出し、親指を下に向けたのも、仕方が無かろう。


 ……でも、お姫様がそんな事をしちゃ、いけないんじゃないかな……。


 この世の無情ぶりに心で涙していたアレスは、次期大公の頬を思いっきり引っ張った青年騎士を、心底勇者だと思った。



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