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閑話 しんまいじじょアレスくんの受難 中編

 休憩室の長椅子に腰掛けると、奥方様は疲れを(にじ)ませながらアレスに微笑んだ。

「ここまで、ありがとう。 貴方がいてくれて、良かったわ」

 アレスの名前を呼ばない奥方様の心遣いに、涙が出そうだ。

 アレスと言うのは、どうあがいても男の名前なので、侍女姿で呼ばれたくはない。

 上司からは侍女姿で口を開くなと言いきかされていた為、アレスは淑やかに一礼することで、奥方様への応答とした。

 アレスに向かって柔らかな笑みを浮かべる奥方様は、現在男装中の腹黒姫よりアレスが抱くお姫様のイメージに近い。

「悪いのだけど、お茶をいただけるかしら?」

 奥方様のお願いに一つ頷き、アレスは休憩室の片隅に用意されていた茶器を手に取る。

 雇い主に散々駄目出しされた甲斐(かい)があり、料理の経験は野菜の皮むきぐらいだったアレスも、お茶を()れる腕前は、先輩に褒められるほどのものになった。

 前よりも出来ることが増え、アレスは不思議な気分になる。

 故郷の大人達は、闘神の加護持ちだからとアレスに戦いを強要したし、彼自身も自分には戦いしかないと思っていた時期かあったから、(なお)(さら)だ。

 雇い主の、奥方様の前と平素の態度の差は普通に怖いし、女装なんて勘弁してほしいが、それでもアレスは、図らずも変えてしまった故郷より、大公家の方が息がしやすかった。


 故郷ではもう、アレスは人間ではいられなくなってしまったから。


 主神の寵児。

 闘神の加護持ち。

 ――姉以外の故郷の人間は、最早そのレッテルでしかアレスを見ることはない。

 確かにアレスはそう言う存在だが、けれど、それだけの存在ではないのに。


 雇い主から与えられた懐中時計で、茶葉を蒸らす時間をきっちりと計り、丁寧な手つきで白磁の茶器に注ぎ入れる。

 初めてお茶を()れた時の様などす黒い色ではなく、綺麗な紅茶色であることに満足し、アレスは茶器を奥方様の前に差し出した。

 お茶に口をつける奥方様の所作は、惚れ惚れする優雅だ。

 お姫様とは、こんな感じであるべきだろうと、アレスは脳内で雇い主と比較しながら考える。

 実のところ、王家の姫君の礼儀作法は完璧なのであるが、如何(いかん)せん言動が強烈すぎて、そのお手本のような動作をアレスが認識することはない。

「美味しいわ」

 そう言って微笑む奥方様に、アレスは心を込めて頭を下げた。

 お礼を言われるなら、奥方様の方がアレスは嬉しかったりする。

 赤毛のお姫様の場合、なんというか、態度がふてぶてし過ぎて、礼を言われている気分にならないのだ。

 以前のアレスの周りには、雇い主程いろんな意味で突き抜けた人種はいなかった為、好き嫌いを論じる以前に、存在自体に未だ慣れていない。

 ティーカップを皿に戻した奥方様は、不意に(うれ)いの表情を浮かべた。

「……ごめんなさいね。 シャルが、迷惑をかけて」

「……」

 唐突な奥方様の謝罪に、アレスは無言を通した。

 口を開けないのもあるが、迂闊(うかつ)な返答を返してしまった時の、雇い主のお仕置きが恐ろしかったせいもある。


 ……以前、お仕置きと称して、歴史の詰め込み教育を受けた時は大変だった。

 書類仕事の片手間とは言え、次期大公直々の講義って何なのだ。

 腹黒姫は、流れるような書類(さば)きとアレスへの口頭での講義を並列して行っていたが、よくあれで頭がこんがらがらなかったものだ。

 ――講義、試験、講義、試験、同じところを二度間違ったら不味いにも程がある健康茶を飲まされ、また講義……。

 雇い主は先人の失敗は学んでおくものだと言っていたが、おっそろしい政治の裏側の血みどろ劇などを参考にできる経験なんか、したくもない。

 お仕置き後も、(しばら)くの間、アレスの頭の中では年号や人物名が総出で踊り狂っていた。

 それは、座学を苦手とするアレスの精神を、的確に(えぐ)ってくるお仕置きであった。


 遠い目をしたアレスを見て、奥方様は困ったように微笑む。

「あの子を嫌いにならないで、とは、お願いできないわ。 ――でも、あの子が普通でいられなかったことだけは、覚えていてほしいの」

 アレスは、奥方様から後光が差している気がした。

 アレスに何かを強要しないところが、奥方様の素晴らしいところだ。

 アレスに無理矢理女装させた雇い主には、是非とも見習ってほしい。

 奥方様の浮かべる表情は、故郷の神官が慈しみのものだと語った、神殿の女神像のそれによく似ていた。

「旦那様がおっしゃっていたのだけれど、あの子は、誰かに甘えることよりも先に、王族としての自覚と振る舞いを、覚えてしまった子だから」


 ――アレスがおかしくしてしまった故郷にやってきた、お姫様。

 武装した護衛付きとは言え、沢山の大人達に怒鳴られ、(なじ)られても、ピンと伸びた背筋は、揺らぐことさえなかった。

 鋭く重たい言葉で、歪んでしまった大人達を叩きのめして、それから、仕方がないとばかりに、最後は(ゆる)した。


 偉い人だから。

 そんなレッテルを取り払ってしまえば、頭が異様に回るだけの、十二歳の女の子なのに。


 ……誰にも言わなかったが、次兄である騎士団長の行軍演習から半死半生で帰ってきた雇い主が寝込んだ時、アレスは心底ほっとしたのだ。

 王家の鬼子も――自分と同じ主神の寵児も、人間でしかないのだと。

 ひいては、アレス自身も、人と違うナニカではなく、人間だと確認できた気がしたので。


「あの子は、旦那様や陛下、兄君方以外を、全員守るべき民だと思っているわ。 ――あの子はそれを良しとしないでしょうけれど、貴方が嫌でないのなら、どうか、少しでもいいの、あの子を支えてあげて。 あの子は、私に甘えてくれるけれど、私では、あの子の寵児(ちょうじ)としての苦悩を理解したつもりにしか、なれない……」

 奥方様の微笑みは、いつの間にか、何処か泣き出しそうなものに変わっていた。


 ――ああ、愛されているのだな、と思った。

 (うらや)ましい、とも。

 だが、アレスがその言葉に(うなづ)いたのは、養女を想う奥方様の願いに心を打たれたからではない。

 赤毛のお姫様が、独りきりでも大丈夫だと認めることは、自分が誰にも手を差し伸べられなくてもおかしくないと、アレス自身が認めるのと同じだったのだ。


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