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次期大公、高笑いする

「――団長、どうしましょうか?」

 いまいちやる気を感じられない声は、次兄の部下のものであったか。

 まだ痛みが残る頭をさすりながら、シャルロッティが声の方向を見やれば、無精ひげの生えた男が会釈を返した。

 騎士服を着崩した灰色の髪の男は、悪い意味で年齢不詳に見えるが、まだ三十代前半である。

 態度がよろしくなくとも、平民から副騎士団長に抜擢(ばってき)されただけに、実戦での功績もあり、能力も満遍(まんべん)なく高いらしい。

「連れていけ。 ――両者ともだ」

「仰せのままに」

 声音のやる気の無さはそのままに、だが、丁寧な仕草で副団長は次兄に対して一礼した。

 また、入口の方から騎士服を(まと)った者達がやってくるのも見える。

 次兄は、部下を何名か引き連れてきていたらしい。

「無礼なっ!」

 この期に及んで、自分が何をしたかを理解していない銀髪紫眼の青年が、強引に己を立たせた副団長の手を、振り払った。


「私を、誰だと思っているっ?!」


 空気が、塗り潰された。


「無礼なのは、貴殿だろう」


 殺気では、勿論ない。

 薄い琥珀色から、金色に塗り替わった次兄の瞳が、異国の青年に向けられる。


「聞こえなかったのか? ――貴殿の従者は、女神の威光を言い訳として、許される一線を越えたと」


 次兄の声は、抗議しようとした隣国の貴族の反意を軽々と圧殺した。

 紫眼を見開いた青年は、口を開け閉めしたものの、その(のど)が空気を震わせることはない。

 シャルロッティからすれば、失笑ものの根性の無さである。


「それ以上駄々をこねるつもりなら、従者の行いを、貴殿の意思と見做(みな)すぞ」


 怒りも苛立ちも奥底に沈め込んだ声音は、ひたすらに()いでいた。

 次兄に見据(みす)えられた青年はおろか、大広間中の人間が身動きをとらず、辺りからは衣擦(きぬず)れの音一つ聞こえなくなっていた。


 シャルロッティの知る限り、父王と王位継承者が本気で怒った場合、大概こんな感じである。

 シャルロッティにはいまいち理解できないが、他人にとっては、怒った際の威圧感がとにかく凄まじいらしい。

 相手からの反論を一切抑え込めるのが利点だが、発動条件が純粋な怒りである為、時と場合を選べないのが悩ましい。

 と言うか、次兄はもう少し感情の制御を考えるべきではなかろうか。


 今までのやり取りの一体どこに、そこまで激怒する要素があったのか?

 どうせ叩き潰す相手だ。

 わざわざそんな相手の為に、怒る体力や時間を割くことなど(わずら)わしかろう。


「……団長、そこまでになさって下さいよ」

 部下である副団長に(たしな)められ、次兄が我に返った様に瞬きする間に、金色になってきた瞳の色が、薄い琥珀色に戻る。

 額に脂汗をかいた灰色の髪の男は、ぎこちなく口の端を持ち上げた。

「ここは我らにお任せを。 団長は、王太子殿下の命を果たしてください」

「すまない」

 部下の進言にばつの悪そうな顔をした次兄は、剣を鞘に収め、手で肩に触れてシャルロッティを促す。

 何故か棒立ちになっている主催者に捕まるのも面倒なので、シャルロッティは次兄に促されるままに歩き出した。

 次兄の視線の先で、気配が揺れた。

 シャルロッティは、義姉に己の影を何人か付けており、その中の一人がこちらに来たのだ。

 義姉が倒れた際、シャルロッティは、影に後で義姉の元へ案内するよう命じていたのである。

 義姉が不調から回復しているか、シャルロッティは非常に心配であった。

 ――次兄には悪いが、義姉の体調が悪いままであったら、長兄の要請は放って帰ってしまおう。

 王太子が聞いたら、()ねてさらに面倒臭くなりそうな決意を固め、シャルロッティは足を速める。


 王位継承者第二位と第三位の兄妹の行く手を阻む者は、いなかった。


 ◆◆◆


 大広間から少しばかり離れた場所に、茶会の参加者の気分が悪くなった時に使用する為の、休憩室が設けられていた。

 シャルロッティの影によると、幾つかある休憩室のうちの一室で、義姉は休みをとっているらしい。

 義姉が在室しているという休憩室の扉の前に来ると、シャルロッティは条件反射で取っ手に飛びついた。

 頭の悪い男に絡まれたり、次兄に物理的に振り回されたりして、彼女は一刻も早く癒しが欲しかったのだ。

 その為、シャルロッティは後ろにいる次兄にも構わず、無作法にも声すらかけずに休憩室の扉を開けてしまったのである。




「――君は、私を、愛していただろう――」




 身勝手極まりない台詞を吐き出したのが、誰かを認識した時、シャルロッティの身の内で膨れ上がったのは怒りと殺意だ。


 よし、アレスの賃金は、一年程カットで。

 お義姉様に声が聞こえる範囲まで、あの男を近づけるなど――。


 そんな見当違いの八つ当たりまで考える程、シャルロッティの思考は荒れ狂っていた。

 そもそも、平民出身の新米従僕が、一応何もしていない侯爵家の子息を叩きだすなど、土台無理な話だ。


 大好きな義姉はシャルロッティに背を向けた状態で立っていたため、その表情は(うかが)えない。

 義姉を(かば)う位置にいる侍女服姿のアレスは評価してやってやらないこともないが、もう少しどうにかできなかったのか。

 また、義姉の正面に立つ義姉の元婚約者の、傷付いたような表情が本気で意味不明だ。


 ……記憶喪失前の義姉がどんなに傷付いた顔をしていても、お前は、何もしなかったろう――。


 シャルロッティの激情が口から吐き出される前に、義姉がふわりと微笑む気配がした。

 浮かんでいるのはきっと、困った様な笑みであろう。


「申し訳ございませんが、貴方を愛していたと言う『私』は、記憶を失った時に死んでしまって、もう、何処にもいないのです」


 そうして義姉は、『彼女』が言えなかった言葉を紡ぐ。


「以前の『私』の事は、忘れて下さって構いません。 今の私が愛しているのは、旦那様ですもの。 ――どうか、貴方は貴方の愛する方と一緒に、幸せになってくださいませ」


 優雅な一礼は、別れの挨拶代わり。

『彼女』が、出来なかったことだった。




 ――手に握っていたと思っていたものは、とうの昔に粉々に砕けて、掌からすり抜けていた。


 馬鹿馬鹿しい事に、元婚約者は今頃になって自覚したらしい。

 何もかもが、今更だ。


 最悪な気分であろう元婚約者とは対照的に、シャルロッティは非常に爽快な気分であった。

 自分が思っていた以上に、シャルロッティは義姉の元婚約者が大嫌いであったらしい。

 シャルロッティは身内から性格が悪いと評されるが、こんなにも愉快な気分になるのなら、自分の性格が悪くて本当に良かったと心底思う。

 記憶の箱をひっくり返して、今の場面に相応しい言葉を探していたシャルロッティは、丁度良い記憶に思い当り、にんまりした。


 あれだ。

 あれである。

 次兄の師の一人である、元騎士団長にして現元帥のご老人が言っていたのだ。


 義姉が見ていないのを良いことに、シャルロッティは元婚約者に向かって思いっきり拳を突き出し、親指を下に向け、声を出さずに高笑いしてやった。




 ――ざまあっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!




 シャルロッティ渾身の高笑いの表情は、これはないだろうと言う次兄の判断により、すぐさま頬を引っ張られ、強制的に変更されてしまった。


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