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次期大公、物申す

 ぐい、と上着の背中の部分を掴まれる。

 と、感じた途端に、シャルロッティの視界は、上下左右に目まぐるしく動いた。

 何だ、と思う前に、鼓膜に金属音が突き刺さる。

 時間にして十秒程度か。

 シャルロッティを襲った異常は、骨が折れる音で終わったが、それでもシャルロッティの足は地に着いたような感覚がしない。

 と言うか、宙に浮いたままでは、地面に着きようがないのであるが。

「……ラザロス兄上、か弱い妹を何だと思っているのですか……」

 次兄に猫か何かの如く宙吊りにされ、シャルロッティの足が、ぶらんと揺れた。

「お前は、減らず口を叩けるぐらいには図太いから、問題ないだろう」

 目が合う高さまで彼女を持ち上げ、真顔で返してきた次兄に、シャルロッティはイラッとする。

「私は図太いのではなく、兄上のガサツさに慣れざるを得なかったんですっ!」

 シャルロッティは自分をぶら下げる腕をぽかぽか叩きながら、次兄に叫んだ。


 ――思い出すのは、次兄が中級編だといった軍事演習。

 場所は、峻険で知られる山脈だった。


 ちょっとそこまで。

 荷物は自分が持つし、お前は登るだけだから、大丈夫。

 自分は十歳の時に登ったが、問題なかった。


 ――次兄の言葉を信じた己を、シャルロッティは恥じることになる。

 ……何故、純粋培養の軍事馬鹿の言葉を、鵜呑みにしてしまったのか、と。

 そもそも、五歳の時から前騎士団長の元で厳しい鍛練を続けてきた次兄と、生活スタイルが文官寄りのシャルロッティでは、体力的な積み重ねが違い過ぎるのだ。

 シャルロッティは、次兄から野営の基礎を学んでいたが、急峻な山岳地帯での行軍演習は、イロイロとかっ飛ばし過ぎであった。


 ……結果から言うと、行軍演習中のシャルロッティの記憶は、辛うじて四分の一を過ぎたあたりからほぼ、ない。

 シャルロッティが覚えているのは、自分を背中に括り付けた次兄が熊の首を両断したことと、次兄が見せたがっていた、山頂からの朝日ぐらいか。

 勿論、シャルロッティは、帰宅後一週間ほど寝込む羽目になった。


 この件では、貴重な時間を無駄にしてしまい、シャルロッティは非常に反省している。

 これからは、次兄の体力的判断は、絶対に信用なんかしてやらない。

 気絶したり寝込んでいたりした時間に、一体何枚の書類が(さば)けたのだろうか。

 詫びの品として進呈された、熊の毛皮ぐらいでは許せないくらい、次兄に対しては腹が立ったものだ。


「兄上はその様なのだから、駄目なんですっ!! 単身で熊と相対して、無傷でいられる人間の方が珍しいのですっ!!! か弱い、十二歳の、少女と! 体力お化けの、騎士が! 同じ事が出来ないと! 理解位、して下さいっ!!!」

 腹立たしさのあまり、力いっぱい次兄の腕を殴りつけながら、シャルロッティは怒鳴る。

 理解させねば、万が一にでも義姉が被害を受ける可能性がある為、彼女も必死だ。

「……シャルロッティ、まだ、怒っているのか……」

「何故、怒りが持続しないと思われるのですか?」

 困った様な次兄に、シャルロッティは真顔で返した。

 行軍演習への参加は、まあいい。

 遅かれ早かれ、するべきものであったのだから。

 ――だが、体力に見合わず、行った記憶が殆ど無い演習が、身になるものであると、果たして言えるのか。

「兄上のせいで、処理が遅れた書類が、どれほどあるとお思いですかっ?! ――兄上の背中に括り付けられているより、有用な時間の使い道はいくらでもありましたっ!!」

「……す、すまなかった……」

 シャルロッティの剣幕に、次兄は目を泳がせた。

 ――言われるまで、本気で気づいていなかったところが、次兄のダメなところである。

 次兄にぶら下げられたままのシャルロッティは、ふと、気が付いた。

「そう言えば、ラザロス兄上はどうしてここにいらっしゃるのですか? 兄上は、仮にも騎士団長なのですから、わざわざ呼ばれてもいないお茶会にいらっしゃる程、暇ではないでしょうに」

 シャルロッティの問いかけに、次兄は遠い目をした。

「……兄上が、()ねた……」

「……今度はどのようなことで拗ねられたのですか? ……ゼノン兄上は、どうしてこんなに面倒臭いのでしょうか……」

 本人も望んでいない無駄な色香が引き起こした諸々で、長兄の性格は大分(ひね)くれてしまっている。

 それでも、王家の三兄妹の間には、家族愛や兄弟愛に類する感情があるのだが、長兄は仲間外れにされたと感じると、勝手に拗ねるので非常に面倒臭い。

 ――長兄は政、次兄は軍事、シャルロッティは兄達の補佐。

 それぞれが、己の役割を十全に果たそうと努力をしているだけであって、シャルロッティにも次兄にも、長兄を仲間外れにするつもりはないのである。

「シャルロッティは、兄上の前で男装をしたことがなかっただろう。 義姉上も見たというのが、気に喰わなかったらしい。 ……直ちに、登城しろと言う話だ」

「それで、ゼノン兄上に伝令役にされたのですか。 ラザロス兄上も、大変ですね」

 シャルロッティの同情の視線に、次兄は溜息を吐いた。

「兄上は、私達よりも大きな責を担っている方だ。 重責に(さら)される兄上の心労を軽減する為なら、一走りするぐらい、どうということはない」

 次兄は長兄が好き過ぎるのでは? と、シャルロッティは思う。

 部下達を訓練で死屍累々にしている癖に、長兄には酷く甘い。

 ――だから、王立図書館で、兄達の薄いほん――

「シャルロッティ、何を考えている」

「兄弟仲が良いのは、素晴らしいことですね」

 いきなり(まと)う空気が重くなった次兄に、シャルロッティは棒読みで返した。

 か弱い淑女を前にして、次兄の態度はいただけない。

 これだから、ろくに女性と付き合えないのである。

「……伝令の為に、この場を訪れてみれば、妹に切りかかろうとした馬鹿がいたのだ。 寿命が縮むかと思ったぞ。 お前も、もう少し気をつけたらどうだ?」

「気を付けておりましたとも。 影の者達が、対処できる位置におりました。 隣国の狂信者が、そんなことも察することが出来ない無能であっただけです」

 己の身を守ることも、王位継承者の義務だ。

 然るべき時に、その首を差し出すために。

 だから、シャルロッティの身辺を守る影達は、養父の力も借りて、厳選した者達ばかりだ。

 次兄が介入しなくとも、銀髪紫眼至上の駄犬がシャルロッティを傷付ける可能性はなかったのである。

「……それでも、貴殿は、貴殿の狂犬を抑えるべきだったな」

 シャルロッティとお揃いの、薄い琥珀色の瞳が、シャルロッティから外れ、尻餅をついたままの青年に向けられた。

 微動だにしない次兄の剣の切っ先は、隣国では神の目と尊ばれる、紫色の瞳を貫く寸前の距離で固定されている。

 自分では、うっかり突き刺しそうだ、と、シャルロッティは暢気に感想を抱いた。


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