閑話 第二王子、招かれざる場にて
*次兄視点
招かれざる場所は、何処であっても居心地が悪い。
個人の邸宅としてはそれなりに広く、金がかけられていると分かる大広間は、庭に面した大きな窓が解放され、外からの風が流れ込んでいた。
華やかな衣装を身に纏う人々の中で、質実剛健な騎士服姿のラザロスは、疎外感を覚えて溜息を吐いた。
兄の『お願い』にかこつけて、兄夫婦のイチャコラ現場から逃げ出したラザロスは、茶会の会場にて、やさぐれた気分で妹とその養母を探していた。
兄に悪気はないのだろうが、目の前であまりにも義姉と仲睦まじくされると心が荒んでくる。
だから、ラザロスは大公妃を早く見つけて、彼女の笑顔に癒されたかった。
大公夫妻の間に漂う空気が、ラザロスは好きだ。
大公妃の幸せそうな笑みは、見ている方も、胸が温かくなる。
一方、同じおしどり夫婦でも、兄夫婦には、あまり近付きたくない。
……独身のラザロスには、新婚夫婦の甘い空気は毒なのだ。
本気で、心が折れそうになるので、勘弁して欲しい。
婚約者は作らないと決めたのは、ラザロス自身だが、あまり近くでお熱い様を見せつけられると、独り身の寒さが身に染みるのである。
兄夫婦のイチャコラに比べれば、妹の小生意気な毒舌など、可愛いものだ。
容赦なく自分に突き刺さってくる視線に、ラザロスは辟易する。
一応、主催者の侯爵には非礼を詫びたが、仕事服で直行したのは、まずかっただろうか?
兄夫婦の前から逃げ出す方に気をとられ、服装の方にまで頭が回らなかったのは、内緒である。
主催者には、急ぎの案件なのだと、誤魔化したが。
ラザロスとしては、礼服などより、騎士服の方が慣れているし、帯剣するなら動きやすい服装の方が良いのだが、生憎と、お茶会では浮いてしまっていた。
ラザロスは年若い令嬢や婦人達が苦手だが、歩いただけで一歩引かれるのは、さすがに傷付く。
――戦いの直後であっても、障りなく主君に拝謁する為に、血の汚れが目立たないよう、黒で統一された騎士服。
それは、戦う者特有の身のこなしや、周囲に駄々漏れのやさぐれ具合と相まって、ラザロスの雰囲気を近寄りがたいものにしていたが、当人は理解していない。
軍事馬鹿、脳筋の評価がまかり通る第二王子は、幼少時より騎士団や影の中にどっぷりと浸かり、ある方面では大分浮世離れしている。
特に女性関係は、すぐに思い浮かぶ異性が、鬼子の妹、浮気者の母親、兄に群がる気狂いや軍事関係者であったせいで、絶望的に疎かった。
そもそも、母親が己の野望の為に不義を犯したり、結果的に兄が招き寄せてしまった気狂いのとばっちりを受けたりする時点で、ラザロスは致命的に女運が無いとも言える。
そして、女性への見方の基準が可笑しいのでは、女心を理解しようもない。
その中で、大公妃への態度は非常に分かりやすいものであったのだが、当人の無自覚が最大の壁である。
既婚者だから、という自覚を拒む理由はまっとうで、鈍くて不器用な部分も美点なのだけど、とは、兄である王太子の言だ。
密かに、第二王子の恋の行方が賭け事の対象になっているが、当然の如く、第二王子が知るところではない。
因みに、賭けの胴元は王太子であったりする。
不意に、視界の隅に銀髪を見つけ、ラザロスは嫌な気分になった。
隣国の王族とは、どうにもそりが合わなかったので、出来れば遭遇したくはなかったのだ。
隣国の王族の血を引く青年は、その身に流れる女神の血を誇っており、自ら剣を振るうラザロスを遠回しに野蛮人扱いしてきて、気分が悪い。
ラザロスは、己の理由で、覚悟を持って自分の道を選んだのだから、猶更だ。
また、兄や妹や老大公も、隣国の王族には思うところがあるらしいので、これはもう血筋レベルで相性が悪いのではないか、とラザロスは考えていた。
そうして、銀髪の近くで揺れる鮮やかに赤い髪に気が付き、ラザロスは眉を顰める。
どうしてか、銀髪紫眼の青年に、男装姿の妹が腕を掴まれていたのだ。
ラザロスは、足を速める。
世間からすれば奇矯な言動が多いとは言え、正統な王家直系の姫君に、たかが隣国の王家の血を引く程度の一貴族がして良い行為ではない。
青年が、妹の腕を強く引き。
――ラザロスの目は、非常に悪い感じに吊り上がる、妹の口元を捕らえた。
よろめいた妹の足が踏み抜いたのは、青年の足の小指。
そして、妹が履いているのは、ラザロスが以前妹へ贈った鉄板仕込みの長靴である。
あれは痛そうだ。
他人事の様な感想を抱いたラザロスは、嫌な気配を感じ取り、地面を強く蹴った。
その時、ラザロスは運良く、一跳びで妹の位置まで辿り着ける場所にいたのである。
腕を伸ばして、妹の上着を掴み、己の方へと引き寄せる。
抜き払った剣に、衝撃が走った。
斬りかかってきたのは、銀髪の青年の護衛だ。
……狂信者が、と、ラザロスは胸中で毒づく。
隣国には、女神の血筋を過剰に有難がる人種が存在していて、妹を害そうとした護衛もそのたぐいの様であった。
隣国の銀髪紫眼至上主義者は、昔に比べ数を減らしているようだが、敵に回すとひたすらに面倒臭いのは、今も昔も変わらない。
殺さない限り報復を諦めない人間が、後に残すのは遺恨だけだ。
ざわりと蠢く、密やかな気配に、ラザロスは静止の意味を込めて一瞥を贈った。
反王政とまではいかないが、王族に親しみを持たない貴族の茶会で、大公家の影が出張るのは、後々面倒になりそうだったので。
そして、再度振り上げられた殺意が妹に届かないよう、ラザロスは刃を受け流す。
下手に肉を切ろうと、向かってくる人種だ。
――ならば、骨を断つまで。
鈍い感触と共に、ラザロスが蹴りつけた相手の膝が砕けた。
動きが鈍る相手に、ラザロスは容赦なく追撃し、剣の腹で利き腕を叩き折る。
さらに、脇腹を蹴って吹き飛ばし、ラザロスは無理矢理襲撃者から距離をとった。
だが。
ラザロスに向けられた青い瞳には、未だ歪な熱が凝っている。
骨を砕いた程度では、狂信者が抱く炎を鎮めることはできないらしい。
ラザロスは、苦々しく思いながら、尻餅をついていた青年の紫眼に、剣を突き付けた。
空気を読めない駄犬も、漸く、己の行動によって尊い瞳が損なわれかねないと、理解したようだ。
狂奔の色が瞳から薄れたが、ラザロスは安心できない。
「……ラザロス兄上、か弱い妹を何だと思っているのですか……」
ラザロスが、どうしたものかと思案している時、片手にぶら下げたままだった妹が、不機嫌な声を上げた。