閑話 王太子、拗ねる 前
*長兄視点
「酷くないかい? 私だけ仲間外れなんて」
ゼノンは機嫌悪く、弟に愚痴を言った。
気がつけば、家族でゼノンだけ妹の男装姿を見ていなかったのだ。
目の前の弟が、死にそうな目をしているが、ゼノンは気にしないことにしている。
兎の如く繊細な心を持つゼノンは、寂しすぎると、死にたくなってくるのだ。
愛する妻の膝枕で癒されなければやっていられないので、ゼノンは休憩室のソファーの上で横になっていた。
「シャルロッティも、兄を何だと思っているのだろうね。 ――政務の時や、問題が起こらない限り、私のところに寄ってこないなんて」
「まあ、それは寂しいことね」
嘆くゼノンの頭を、妻が撫でてくれた。
妻との出会いは政治戦略的なものであったが、素晴らしい女性を娶ることができ、彼は大変満足している。
家族との触れ合いとは良いものだと、ゼノンは毎日しみじみと感じていた。
父王は父王で忙しいし、弟妹は、ゼノンは放っておいても大丈夫だろうとの要らない信頼から、放置をかましてくるのである。
――弟よ、妹よ、兄は、ちょっかいを出さない限り構ってくれなくて、とてもとても寂しいです。
最も、それは、ゼノンが弟妹をうまく甘やかせなかったせいも、あるのだろうけれど。
彼の弟妹は、王族の義務を真面目に果たしているが、それは、ゼノンを守る為でもあった。
生まれ持った無駄な色香のせいで、ゼノンの幼少期は中々に壮絶なものであったのだ。
兄妹の中で、王族の特権を一番享受しているのは、間違いなくゼノンだ。
恐らく、大国の、それも最高権力者の長子に産まれ付かなければ、ゼノンはとっくの昔に何処かの変態の慰み者になっていただろう。
正直、身を守るのが精一杯で、あまり弟妹に構ってやれなかったことは、非常に反省している。
言い訳をするなら、部屋の外に出ると変質者をホイホイしてしまい、しかし、王太子の立場故、部屋に閉じこもる訳にもいかず、ゼノンも苦労していたのだ。
……もう、ゼノンは盲愛も狂愛もお呼びじゃない……。
――盗まれた私物を欲望の代用とされたりとか、贈られた食べ物に身体の一部が入っていたりとか、完全に怪奇小説の世界であろうに。
付け加えると、知らない人間との心中未遂は珍しくもなかった。
基本、毒物よるものが多かったため、兄妹の中では一番毒に詳しい自信がある。
心中未遂の相手に、お前が悪い、と言われたが、悪いのは犯人共の頭だろう。
――ゼノンにつぎ込まれた血税が、何故、犯人共の命と等価になるのだ。
よく精神崩壊しなかったな、と弟の師に言われたこともあるが、家族や忠義者の傍仕え達の存在が無ければ、ゼノンは心身ともに危なかったに違いない。
今のところ、故郷の謀略合戦で鍛え抜かれた頼もしい妻のお陰で、彼は毎日平穏を享受できている訳だが。
ゼノンは弟妹にちょっかいを出しながら、ほのぼの家族愛とは心の底から良いものだと、本気で思う。
妹など、露骨に面倒臭がってはいるが、ゼノンのちょっかいに真面目に対応してくれる位には、兄妹愛は存在しているようだ。
善き哉。善き哉。
王位継承者の数の違いのせいであろうが、妻の故国の様に、親兄弟で熾烈な蹴落とし合いを繰り広げるなど、御免被る。
そんな事をするよりも、堅物な弟をおちょくる方が面白――激励する方が、ゼノンの性に合う。
ちなみに、大公妃絡みで、頓珍漢な行動を大真面目にやらかす妹の観察も、最近のゼノンの趣味であった。
表情豊かになった妹の姿は、大変おもしろ――微笑ましい。
「そう言えば今日は、シャルロッティが大公妃殿と一緒に出席する、お茶会があったね」
妻の膝枕を堪能しつつ、ゼノンが言えば、弟の瞳からは一切の光が消え失せていた。
弟よ、そこは発奮するところだろう。
そんな反応も面白いけれど。
恋人一人作ったことのない弟の為に、ゼノンは家族の良さを知らしめようと、妻と仲睦まじい姿を見せつけているのだが、思ったように効果は現れない。
ゼノンの予定では、自分達の仲の良さを羨んだ弟が、彼に教えを乞う筈だったのだが、はてさて、人の行動は頭の中の通りにはいかない。
ゼノンに近づきたいが為に、弟を利用しようとした人間は山といた為、弟の恋愛偏差値は地を這っている。
また、弟は残念ながら脳筋寄りの為、女性の扱いもなっていない。
だが、それらを改善したいという兄の愛は、残念ながら弟には伝わっていなかった。
初恋すら自覚がない弟が、兄は心配なのである。
反応が楽しいのではなく。
「私も、可愛い妹の凛々しい姿を目にしたいのだけどね」
思わせぶりに流し目を送るゼノンに対し、弟は悟りでも開いたような表情で口を開く。
「……兄上、王太子として、次期大公を急ぎ召喚するつもりでしょうか?」
「そうだね、緊急の要件があるからね」
ゼノンは、愛妻が用意した衣装を身に着けた、妹の男装姿が早く見たい。
「伝令は、目の前にいる騎士団長にでも、お願いしようかな」
それは、要望の形をした命令だ。
血筋ではなく、己の才と努力で、時には前線にも赴く騎士団の長に上り詰めた弟は、ゼノンが全幅の信頼を寄せる一人である。
どうせなら、確実にゼノンの望みを叶え得る人間に命じた方が、効率が良いのだ。
「――賜りました」
微笑むゼノンに臣下の礼をとり、弟は煤けた背中で部屋を後にした。
――頑張れ、弟よ。
お前が大公殿に勝てるのは、今のところ体力腕力と、寿命ぐらいだから。
愛妻の膝枕を続行しながら、ゼノンは心の中で弟に激励を贈る。
ゼノンにできるのは、陰ながらの応援と、ささやかな機会を作るぐらいだ。
流石に、妹とは違って老獪な王家の鬼子に、真っ正面から喧嘩を売るなんて、恐ろしいことはできない。
――大公妃が大好きな妹が敵に回らない分、他の男よりは多少望みがあるよ。
その恋心や、己の有利を自覚できるかは、弟次第であるのだが。