次期大公、踏みつける
シャルロッティが生まれ育った国は、内陸に在り、四方を異なる国々に囲まれている。
南へ行けば、隣国のさらに向こうに兄嫁の故郷である熱砂の国があり、西へ行けば、養父の母の出身である、中小の国によって形成された連合国がある。
北にあるのは、シャルロッティ達王族にとって、色々と因縁がある国だ。
豊穣の女神と闘神の間に生まれた娘を祖に持つ、その国の王族は、代々白銀の髪と紫色の瞳を有していた。
別にそれは良いのだが、かの国は、その身体的特徴を過度に有難がっているのである。
王になる必須条件が髪と瞳の色であるのも理解しかねるが、その血の濃さを維持する為に、幾つかの例外を除き、祖神の眷属を祖とする十二の家以外と婚姻をしてこなかったのも、共感しようがない。
――最も、ここ数十年ほど、かの国では恋愛結婚が流行っており、王家の婚姻も伝統から脱却しつつあるのだが。
その流れで、彼の王家の末姫が長兄を狙っているらしいのが、シャルロッティの頭痛の種だ。
……何が悲しくて、頭の中まで甘ったるい砂糖菓子の姫君と、親戚付き合いをしなければならないのだ。
今のところ、長兄は義姉に首っ丈で、側室の打診を事あるごとに蹴散らしているのが救いである。
養父もそうであったが、シャルロッティも、彼の王家とは、血統レベルで相性が悪いといってもいいかもしれない。
――腐った林檎。
いつも飄々としている養父が、酷く珍しく嫌悪を露わにして口にした言葉だ。
――取り除くなら、早い方が良いよ。 他の林檎にも腐敗が広がって、使い物にならなくなるからね。
薄い琥珀色の瞳に、激烈な金色の光を宿して、養父は言った。
彼らの生家が一度凋落したのは、かの国から嫁した妃が、故国との環境の違いを最期まで理解しなかったことに起因する。
またさらに言うなら、その息子が好き放題した挙句、不満を爆発させた臣下達に反乱を起こされ、一目散に母親の故国に亡命したのが最大の理由でもある。
……玉座から逃げるくらいなら、初めから王になどならなければ良かったものを。
当然だが、尻拭いを押し付けられた次の王――養父の祖父の怒りは凄まじく、異母兄がのこのこ帰ってきたら首を落とすと、主神に誓いをたてる程であったとか。
その悪影響は、養父の若かりし頃にも色濃く残っていたという話であったから、養父の態度は可笑しいものではない。
恨みというのは、中々消えてならないという、好例だろう。
あちらの方は、そんな事などすっからかんに忘れて、こちらの態度を非難するが、思い上がりもここまでくれば、いっそ清々しいものだ。
――もう、国に籠って、出てこなければいいのに。
銀髪紫眼の青年に腕を掴まれ、シャルロッティは溜息を吐きたくなった。
自称・義姉の元婚約者の親友は、隣国の王家に連なる貴族の出であり、血の薄まりにより数を減らしつつある王位継承者の一人だ。
ただ今、この国に留学中である。
色々と面倒臭い人間なので、とっととお帰り願いたいが、ところがどっこい、『陽輝姫』に夢中になって帰る気配がない。
元婚約者を慕う『陽輝姫』可愛さに、自分の親友(笑)に婚約破棄を進めていたとか。
……周りの空気も婚姻の政治的な意味も理解できないのは、隣国の王族の仕様なのだろうか?
ほぼ鎖国状態のかの国の環境を思えば、王位継承者にそんな能力が発達しなくとも、ぶっちゃけ問題はないのだけれど。
関わりさえしなければ。
まあ、折角異国へ留学したにも拘らず、青年の花畑回路が改善しなかったのは、どうしようもないというしかない。
……愛だけで何もかもがうまくいくのなら、今頃、シャルロッティを産んだ女は、情人と共に玉座に在ったことだろう。
青年に掴まれた腕が痛い。
周囲に勘付かれない様に、シャルロッティは努めて痛みを表に出さない様にした。
揉めたらもめたで、悪い具合に開き直る一族なので、もう何も起さないのが一番だ。
シャルロッティの青年に対する評価は、毎秒ごとに下降中である。
妹への扱いが、下町仕様と軍仕様が混ざっている次兄でも、加減はきちんとしているというのに。
シャルロッティはジト目になりながら、青年の言葉を右から左に聞き流す。
……『陽輝姫』など知ったことか。
もうシャルロッティの近辺に関わりさえしなければ、存在そのものがどうでもいいから、許すも許さないも興味がない。
早く、義姉のところに行きたいというのに、何なのだ。
と言うか、限りある思考の容量を、そんなのに割きたくない。
無駄の極みだ。
義姉の体調不良を理由にお茶会を辞そうとしたのに、とんだ人間に捕まったものである。
もう早く帰りたいのだが。
そんな事を思っているときに、青年に場所を変えようと乱暴に腕を引っ張られ、シャルロッティは魔が差した。
実際、ふら付いてしまったが、狙いはもう定まっている。
――ちなみに、本日のシャルロッティの履物は、次兄からの贈り物である。
女性への扱いに大分難がある次兄らしく、それは養父も乾いた笑みを浮かべる様な代物だった。
兄よ、履くのに足の筋力の鍛練が必要な履物は、女性へ送るものではないと妹は思います。
騎士服に相応しい衣装の、鋼鉄を仕込んだ編み上げの長靴。
次兄は、身を守る為に準備が必要だと言っていたが、これを履きこなすのに準備が必要だった。
問題なく歩けるようになるまで、三ヶ月ほどかかった贈り物を、これ程有り難いと思う日が来るとは。
次兄に感謝の念を贈りつつ、シャルロッティは青年の足の小指を思いっきり踏みつけた。




