星は重ならない(二)
やはり、彼女は全てを知っていた。
「遅かったじゃないか、ニア。待っていたよ」
玉座のような大げさに飾り付けられたイスに身を預けながら彼女は言った。艶やかな金髪は丁寧に肩口辺りの長さで切り揃えられており、蠱惑的な色を見せる青い瞳は深い闇を落としながらニアキスを見据えている。透き通った雪のように白い肌、見るものを魅了する魔力を秘めた美しい顔の造形は人間味が感じられず、人形のように無機質な印象を相手に与える。女性にしては長身で、手足も長くどことなく扇情的でもある。
容姿だけは完璧と言える女は、メフィス・レイデンムーンという名だ。彼女は口元を歪ませながらニアキスに意地の悪い笑みを見せた。
「昨日は中々、面白そうな事があったらしいな」
こういう女だ、と理解していてもやはり慣れない。わざと言葉を選び、ニアキスを不快にさせる彼女は性格が悪い。
しかし、開口一番に言った言葉はニアキスにとっても喜ばしい情報が含まれている。遅かった、待っていた、などと言われて気付かない馬鹿はいない。少なくともニアキスはそこまで察しの悪い人間ではなかった。きっとニアキスがここに来るのも、そして目的も知っている。優秀な彼女の事だ、もしかするともう調査を終えているかもしれない。
「アンタも、愉快な事が大好きだろ?」
敢えて、遠回しな言い方をしてみたニアキスはすすめられてもいないのに無駄に豪華なイスに腰掛ける。この行為が無礼な態度だと咎められているのであれば、ニアキスは既に何度も殺されている。
その様子を見たメフィスは笑みを深め、唇を舐める。なんとも官能的な仕草だが、ニアキスの心には波紋を残さない。これで騙された男は悲惨な運命を辿る事になるのを知っているからだ。
「君が連れているあの娘は不愉快極まりないけど」
少し動揺しながらメフィスを見る。彼女が不機嫌になるなんて、とんでもない災厄の始まりだ。
今にも逃げ出しそうな心を押さえ付け、どうにか声を出す。
「珍しいじゃねぇか。アンタが素直に本心を見せるとはな」
「私も人の子だからね。嘘や湾曲された言葉だけでは生きていけない」
悪魔が何を言うか、という突っ込みを心の中でする。
ニアキスも彼女の本質を掴みきれていない。もう二年以上の付き合いなのに、不気味で仕方がないのだ。
だが、それほどの人物でなければ彼女はこの地位にいない。兄弟を蹴落として、親から奪い取ったレイデンムーン家当主という座を揺るがす存在はこの都市には存在せず、もっと言うならこの国において彼女の影響力が及ばない場所はめったに無いだろう。あの魔術師ギルドでさえ、例外ではなく。
「飼っている魔術師から報告があった。何とも、愉快で不快な報告だったよ」
テーブルに並べられた紙に目を通しながら、彼女は内容を読み上げる。
「魔術師ギルドの中で冒険者ギルドへの虚偽の疑いあり。許可なく灰魔術石での魔術使用を確認」
もしこの報告を信じるのであれば、これはとんでもない出来事だ。完全に、冒険者ギルドやレイデンムーン家に喧嘩を売っている。勢力間で戦争が始まってもおかしくない事実。いや、結局はレイデンムーン家が勝つという意味では粛清、に近いだろう。
「確かに、アンタにとっては面白くない事だよな」
「それは違う。間違っている。こんな事は久し振りだから、私も興奮しているよ。魔術師共がどんな遊戯を仕掛けてくるのか、楽しみで仕方がない」
邪悪な笑み。何かに餓えた表情を見せるメフィスに、ニアキスは冷や汗が垂れる。彼女にとって、この都市で起こる謀略は全て児戯に等しく勝利が確約された遊戯である。だけど、それを心の底から楽しみながら相手を蹂躙する。それがメフィス・レイデンムーンだ。
ーー勘弁してくれ……。
巻き込まれる立場のニアキスはこれ以上ないほどに憂鬱な気分に苛まれた。何度か、この状態のメフィスを見た事があるニアキスは、これからろくでもない事が繰り広げられるのを知っていた。
「で、アンタは俺に手伝ってほしい、ってわけか」
「察しが悪いな、ニア。普段のお前ならこんな事、数日前に気付いていたはずだ」
そう、ニアキスは『朝』にここへ来ていた。本来なら約束を取り付けるだけのはずだったが、示しあわせたように彼女は予定を空けていた。偶然ではない。見事に、メフィスに誘導されたのだ。
言葉一つで、仕草一つで人間を容易く操ってみせる彼女に寒気がするが、これも能力故か。そう思うことにして、ニアキスは話を続ける。
「忙しかったんだよ、あのクソガキのせいでな」
冷徹さが垣間見える目を細め、何かを思案するような表情を作るメフィスは、邪悪な笑みはそのままでニアキスに言う。
「……アレは、得体が知れない。報告によると魔術師共が探ってるのはあの娘らしい」
「おいおい、心臓に悪い冗談は止めろよ。びびっちまうじゃねぇか」
メフィスの言葉には重みがあった。彼女に得体が知れないと言われるのは、神や化け物の類いだ。ニアキスにしてみるとメフィス自身が得体の知れない怪物なのだから、間違いない。
「ニアらしい反応だ。臆病者が粋がってあんなメスガキを助けるからこんな事になる。さっさと冒険者なんて辞めると良い。私が飼ってやる」
「アンタのペットになるんなら一生、冒険者でいるぜ」
この勧誘めいたやり取りは数えきれない程にしている。なぜただの冒険者でしかないニアキスを欲しがるのか、未だに誰も知らないだろう。メフィスに聞けば、気分だとはぐらかされるのが目に見えているので、あえて疑問を言葉にはしない。馬鹿な質問には相応の罰が与えられるからだ。
肩を竦めながら平静を装うニアキスに、メフィスは汚泥の混じったような瞳を向ける。感情は読み取れず、彼女の魂を構成しているはずの悪意さえ見えない。
「……まあ良い。代わり映えしない間抜けな答えにも、今は目を瞑ってやるさ」
彼女は言う。声ではなく、その存在を表に出して。「お前など、私が望めばどうとでもなる」、と。実際、彼女がその気になれば指先一つで思いのままだ。それだけの力と資格を持っている。何の力も無い冒険者を引き入れる事など息をする程に簡単な事。
しかし、彼女はそれをしない。その心をニアキスが理解出来るはずもなく、今まで綱渡りのような関係を続けてきた。命は惜しいが、メフィス・レイデンムーンの人形になるくらいなら本当に死んだ方がましと思える。
「そりゃどうも。いい加減、話を進めようぜ」
無礼な態度にも無関心な彼女は、いったい何を考えているのだろう。何度も、何通りも推測した事がある。だけどやはり推測は推測でしかなく、メフィスという人物を推測し断定する行為がどれだけ愚かな事かニアキスは理解していた。きっと、彼女の意図は一生かかっても解らない。
「うん、それで間違っていない。私も飽きてきたところだ」
「俺が要求するのは情報だ。あのガキと関係する情報の全て」
目的は履き違えていない。魔術師ギルドの事や王宮魔術師の事も気にはなるが、最優先はセラである。もし彼女に魔術師達が関連しているのならば、メフィスはきっとニアキスの意に沿う情報を与えてくれる。
最も危険なのはその対価か。ある程度の覚悟はしている。メフィスが要求する対価は、ニアキスの能力の範疇を越えない。その辺はわかっているはずだ。
「では、私はこれから起こる謀への対処を頼もうか」
だけど、無茶な要求はしてくる。メフィスが代価としてあげたのは、今までで最も困難な事だろう。
「対価、だよな?」
天秤にかけて、果たして並ぶ程の価値があるのかという意味を込めてニアキスは言った。
「ニア、それは愚問だ。お前らしくない」
疲労感が大波となって押し寄せる。やはり、対価なのだ。思いもよらない拾い物に、ニアキスは悪態をついた。セラに対してと、自分に。どれだけ愚かな行為であったか、今になって多大な後悔で潰されそうになる。気紛れでは済まされない失敗。あの時、セラを見捨てていれば面倒な事にはならなかった。あの少女は、遺跡の中で死んでいれば良かったのだ。
「確認だよ、確認。まあ、予想通り過ぎて涙が出てくる」
「それは何よりだ。気に入ってもらえて嬉しい」
井戸の底から這い出たような、薄暗い邪悪を強制的に見させられたような錯覚に陥る。今回の要求、というより依頼はかなり不透明だ。わざとぼかした言い方をするのだから、彼女なりに狙いはあるのだろう。
だけど、盤面の駒の一つにされる不快感は拭えない。きっと、お遊戯にすぎない謀の中でニアキスがどう動くのか、彼女は楽しんでいる。未来に起こる何か、それを対処しろと言うのだから筋金入りだ。
ここ数日で一年分のため息をついた気がするのだが、やはりここでも出てしまった。
「災難だぁ……」
ニアキスは駆け引きも、メフィスの遊びも得意ではないのだ。本音を吐いてしまうのも無理はない。
これから与えられる情報を求める反面、憎らしく思うのであった。
構成を改変している為、更新速度低下。