神信の魔術師と王宮魔術師・雨
埃っぽい部屋。石造りの、おそらく第一紀の技術を似せて造られた建物の一室に、三人の魔術師がいた。円卓を囲むように並び、部屋の中央に置かれた灰色の石に魔力を注ぎ込んでいる。
第二紀の星走と呼ばれる期間から人間は魔術を自在に扱う術を身に付けた。彼らは内に秘める魔力を用いて絶大な力と共に今の世を創ってきた。畏怖され、同時に崇められる彼らの中には信仰の対象となる人物も出てきている。
最も有名なのは、第二紀の偉大なる女王メラス・ルナ。神の如き力と優れたカリスマを持ち合わせた彼女は、いつしか月の女王と呼ばれ変革を司る神にまでなった。もちろん、メラス・ルナが本当に神なのかは重要ではなく、神として相応しいかどうかが重要なのだ。
薄暗く、淀んだ空気が充満するこの部屋にいる三人は、月の女王の信徒だった。この部屋は月の女王の影響下にあると信じられ、彼女を信仰する魔術師はこの場所では強い魔術を扱う事が出来る。
三人は増強された魔力で、とある魔術を発動していた。第二紀の遺物である石は灰魔術石と呼ばれ、込められた意思を形にする。彼らが使っているのは生命体の感知が込められたモノで、それを用いて目的の人物を広範囲に渡り捜索している。
「居た。この街に。遺跡地区の端、冒険者共が蔓延る汚れた地に」
三人の中の一人、クルモアルはその濁った瞳で石を見つめ、そう言った。全身をフード付きの黒いローブで隠し、肌には花から抽出された黒い塗料が塗られており、徹底的に自分を黒に染めている。あまりにも異様な風貌からは低い、熊を連想させるような声が発せれた。
クルモアルに続き、もう一人が甘い声で囁くように言う。
「君の冒険者嫌いはまだ直っていなかったんですね」
全体的に細く、華奢な印象のある彼は自らをファインメルと名乗っている。第一紀において『ファ』と『メル』を同時に入れた名前は大いなる反逆者という意味を持ち、本名でないにしろ彼の名前はファインメルになっていた。
厳めしい名前からは想像もつかない程の優男である彼は、三人のまとめ役をしている。甘ったるい声と女性と見間違える程の容姿を持った彼は三人の中で最も信心深く、人々が勝手に作ったメラス・ルナの教えに忠実だ。それは同時に、月の女王が遺した物や魔術を最も上手く扱える事を示している。
この魔術も、ファインメル抜きでは成立していない。
『天高くから見下ろす者』と呼ばれるこの魔術はメラス・ルナの遺物の中でも扱いが難しいとされ同時に最も有名な魔術と言っても良い。
先日、幸運な事に灰魔術石を確保出来た。冒険者から買い取った物だが、魔術の知識が疎かったのか思っていたよりも安値で買えた。もし、『天高く見下ろす者』が秘められた魔術石と分かっていれば、ギリギリまで額を引き上げられていただろう。
鑑定を行った者をファインメルの息がかかった人間にし、仲介を行った冒険者ギルドを騙してまで手に入れたのはファインメル自身だ。多大なるリスクを犯したのも、全てはこの魔術を行使する為。事が露呈すれば、グリブスレイドの冒険者ギルドと魔術ギルドにとって深い確執を生む事だろう。もちろん、ファインメルも全てを失う事となる。
やや緊張した面持ちで、未だ言葉を発しない一人を見ながらファインメルは無理やり微笑んだ。
「貴方も、冒険者が嫌いでしたね?」
最後の一人、ミブルカは無表情で答える。
「メラス・ルナの遺跡を荒らす恥知らず共を好く理由は無い」
狂信的に、あたかも己の信仰する存在が世界の中心であるように、彼は言った。三人の中で一番の年配者である彼は、クルモアルやファインメルがメラス・ルナを信仰する時には既に長くメラス・ルナを崇拝していた。時に教えを背いてまでメラス・ルナを信仰する姿はまさに狂人である。
狂気は長い年月をかけて更に研磨され、これが真実だと言わんばかりの正常さを彼から感じる。
三人が所属する魔術ギルドは入った時に任意で名を変えられた。ファインメルやクルモアルは名を変えているが、ミブルカだけは違う。クルモアル、それは第二紀の星走においてメラス・ルナが使役した魔物の名だ。八つの蛇の首を持ち、巨大なドラゴンの身体を持つ彼女が使役した魔物の中でも側近の扱いを受けた存在である。メラス・ルナの暴力を具現化させた存在としても知られ、クルモアラと正反対の性質を持ち合わせているが、この名を好んで使っていた。
しかし、ミブルカは改名を行っていない。それは彼の生まれに関係している。両親は熱心なメラス・ルナの信者で、産まれてくるミブルカに対して呪いとも言える魔術を放った。『暗黒に這い寄る者』、この魔術を掛けられたミブルカは物心が付く前に、既にメラス・ルナへ忠誠を誓わされた。
ーーいずれ来る降臨の時の為に。
自らの生をただそれだけの為に消耗する彼の生き方はおそらく、並の人間には到底不可能な事だ。それを可能にするのは両親が掛けた呪いによるところが大きい。ミブルカ自身が一つの魔術として生きている。
それを初めて知らされたファインメルは背筋が凍る程の狂気を覚えた。なんと羨ましい、嫉妬すら感じる完成された存在なのだろうか。これ以上はあるか。否、あらゆる人間を見てきたファインメルでも、どれほどメラス・ルナに忠誠を誓っていようとこの領域には到達出来ない。
ファインメルも、クルモアラも、ミブルカも全てを犠牲にしここまで来た。
今こそ悲願が達成される時だ。幾つもの偶然が、奇跡が重なり発生した好機を逃すまい。必ずやり遂げる。
彼ら月の教団が目指す最終地点、月の女王の帰還、メラス・ルナの降臨を、この時代で。
▼▼▼
魔術師のほとんどは変人でプライドが高い傾向にある。特に有能な魔術師であれば、その性質は色濃く表れる。国に認められ、トップクラスに位置する王宮魔術師のエルメラも例に漏れず、変人と呼ばれるような人物であった。
彼女は恐ろしいまでに真面目である。何事にも手を抜かず、更に少しの悪事も許さぬ正義感溢れる人物だ。しかし心が狭いわけではなく、罪を憎み人を憎まずの精神である程度の寛容さも持ち合わせていた。
そんなエルメラが子供を殴る男を見れば動かないはずはない。雨避けの魔術がかけられたローブを脱ぎ、器用にも片手でそれを畳みテーブルの上に置いた。昼間の酒場は数人の男がそれぞれ景気の良さそうな顔でジョッキを持っている。誰も注意をしないのか、という憤慨が沸き上がってくる程に平和な酒場。
長い金髪を靡かせ、エルメラは妖艶ささえ醸し出す自らの腰に手を当てる。鳥類をイメージさせる鋭い目は子供を虐待する残虐非道な男に向けられ、気品溢れる美しい顔は怒りを堪えているような無表情。その歩き姿は男達の目を自然と惹き付ける、堂々として清廉さを感じさせるものだ。
情報収集の為に入った酒場で早速、エルメラの中で許せない行為に出会ってしまった。この治安の悪い都市に入って一時間も経たず、エルメラは問題を起こそうとしている。こういうトラブルを引き起こし引き寄せるところが魔術師が変人と言われる所以なのかもしれない。
「今日も頑張りましょうね、師匠!」
既に正義を行う事以外に意識は向いていない。ただ、少女が何かを言っているな、という認識しかエルメラの中には無かった。どんな理由があるにしろ、子供を殴るのは悪だ。弱き者に力を振りかざすのは憎むべき暴力であり、それを粛正するのもまた弱き者でなくてはならない。
少々変わった思考回路の持ち主であるエルメラは、暴力の溢れる世界で暴力を極端に嫌う。だが、暴力というのは彼女にとって単純に身体を傷つける行為を言う。つまり、それ以外なら比較的愉快な解釈をしてしまう性質を持っていた。悪を粛正する為には暴力は使わない。金、権力等を駆使して正義を行うのがエルメラの考え方だ。
この考えは、今の時代には合っていない。暴力に暴力で返す世でエルメラの思想は進んでいるとも言えるし、遅れていると言える。未だ安寧とは無縁な社会で生きるには辛い考え。平和主義、というものではないが法が完全に施行されていない場所では彼女は平和主義になってしまう。
だからこそ、本来の目的を疎かにしてまで人助けをしたがる。心は広いが視野の狭い、一言で表すなら馬鹿なのだ。
冷気を放っているかのように彼女の周りには異質な空気が漂っていた。無意識に、自分の魔力を魔術として表に出している。これが出来るのは現在この国ではエルメラを入れて五人だけと言われていた。無意識の魔術、偉大な魔術師が扱える魔術の極地。その片鱗を行使出来るエルメラは間違いなく、王宮魔術師として申し分ない力を持っている。
酒場にいる者達は異変に気付き、顔を青ざめる。少女を殴っていた男もこちらを見て物凄い表情を作っている。エルメラが放つ魔力に怯えているのか、もしくは単純に悪事を見られたから焦っているのか、心の機微に疎いエルメラには判断が出来なかった。
「お、王宮魔術師……」
数瞬の間、男は呟いた。
警戒レベルを引き上げる。どうやら、目の前の男はただの馬鹿ではないらしい。光が薄い黒い瞳はこちらを観察するように鋭く、だがとても理知的とは思えない容貌である。引き締まった筋肉や隙の無い立ち振舞いを見るに、年季の入った冒険者か。手入れされていないような傷んだ黒髪は短く、粗暴な彼の性格を引き立てている。比較的、軽装だがその身に隠された武器や魔道具の数々は、この都市の治安を象徴しているかのようだ。別段、見た目からは特別なものは感じ取れない。どこにでもいる冒険者だ。
しかし、彼の目がエルメラを警戒させた。見透かされ、何もかもを『暴く』瞳。この目を、以前見たことがある。ファメルダの墓の一つ、第二紀に造られた遺跡を探索する為に赴いた街で、彼と同じように朝から酒を浴びていた老人。下品な笑いとしぐさの目立つ老人であったが、エルメラはその印象的な目だけは覚えていた。
まるで今にも心の深部に入り込み、自分の人生すら暴かれるような錯覚。忘れもしない、エルメラに初めて暴かれる恐怖を与えた人物であった。あまりにも似すぎている。姿形ではなく、あの瞳だけが。
嫌な思い出に歯を食い縛り、どうにか耐える。この怒りに不純物を入れてはならない。決して理不尽な行いになってはならない。どこまでも清廉で、正しくなくてはエルメラの信念が一気に歪む。それは彼女自信の崩壊に繋がりかねない事だった。
凛として、堂々と背筋を張っていれば良いのだ。まずは、言葉を交わさなければ始まらない。意思の疎通は大切だ。悪にも理由があると理解しているエルメラは、粛正は決定事項としてそこに至る敬意を聞かなければならない。罰は、本人に苦しみだけを与えるものではなく悔い改めさせるものだ。つまり、彼の中に巣食う悪を取り払い、光を注ぐ行為。
それを念頭に入れ、エルメラは口を開いた。
「ひれ伏せ、悪党。理由を話す時間を十秒だけ与えてやる。さあ、話せ」
曇天に覆われた空から雨粒が降りしきる日に王宮魔術師エルメラと、冒険者のニアキスは出会った。
その横には目的の少女を添えて。