自堕落
「事務所の方に来てくれますか?」
私服警備員らしき中年男性に声をかけられた。何故なのかは自分でよくわかっている。私は万引きしたのだ。毎日のように行っている近所のスーパーで。
「……」
無言のまま頷き、男性に右の二の腕を捕まれて歩き出す。周囲にいた顔馴染の店員や来店客が斜目で私の事を見ているのが俯いていてもわかる。そして口々に何かを囁き合っているのも感じられる。
「かけて」
中年男性は私に事務所のパイプ椅子を勧めた。私は無言のまま会釈だけして静かに腰を降ろす。
「ウチの店をご贔屓にしてくださってるお客さんですよね?」
男性はテーブルを挟んで向かいの椅子に腰掛けながら私を見た。
「……」
男性は溜息を吐くと、
「別に生活に困っている訳じゃないですよね? 近所でも評判の鴛鴦夫婦で、ご主人も大手企業の部長だそうじゃないですか?」
他人には、私が何故万引きをしたのか、不思議で仕方がないのだ。収入もあって仲が良くて何が不満なんだ? そんな顔で私を見ているのがはっきりわかる。
「……」
それでも私は口を開かない。只ジッとテーブルの上にできた醤油か何かの染みを見つめる。
「だんまりですか。そうなると、ご主人の会社に連絡する事になりますが、かまいませんか?」
警備員は私を哀れむような目で見て告げた。彼はそう切り出せば、
「それだけはやめてください! 代金はお支払致しますから」
と私が慌てふためくとでも思っているのだろう。
とんでもない。その逆だ。まさに私はその台詞を待っていたのだ。
「はい、連絡してください。一向にかまいません」
私はニヤリとして警備員を見つめる。彼はそんな反応があるとは思わなかったのか、ビクッとした。
「ほ、本当に連絡しますよ。ハッタリじゃないですよ。いいんですか?」
警備員は慌てていた。私が開き直ったと思ったのだろう。私は更に、
「ええ、どうぞ。是非連絡してくださいな。それが私の望みですから」
と言い添えた。警備員は唖然として口を開けたままで私を見ていた。
夫の浮気。しかもその相手は同じ会社の秘書課の若い女。それを問い詰め、離婚を持ち出しても、その女と再婚するつもりの夫は喜ぶだけ。ならば私はその上を行くのみ。自分のした事を骨の髄まで後悔させてあげるわ。
「ついでに警察も呼んでください。私はお金を持っていませんから」
私のその言葉に警備員の顔が引きつる。私は大声で笑い出した。何もかも失う夫の事を思って。