第三章 ~運命の始まり~②
「これは…現実か?」
その後イリアスの部屋には、すぐに知らせを聞いたミディウスもやって来ていた。
シェルミアが傷の手当をし、さすがにあのままイリアスの部屋に寝かせるわけにはいかないので、鳥人間を何とかその隣の部屋のベッドに寝かせた。
ふと見渡せば、今では数人もの人間が鳥人間の周りを囲み、本当ならばイリアスの事を心配していたハズが、いつの間にか、鳥人間のことで頭がいっぱいだった。
「イリアスが目を覚ましたと聞いて来てみれば……鳥人間がここに眠っている。これは一体――」
ミディウスがイリアスの目を見るが、イリアスは首を横に振った。
「とにかく、このことはまだ誰にも知られないようにせねば。シェルミア。お前はこの回廊の見張りと代われ。イリアスの部屋と、二つの部屋を特にお前の管轄にする。この少年が目を覚ま
したらすぐに私に知らせろ。まずはこの鳥人間が誰かに目撃されていないか聞いて回ってくれ」
「はっ」シェルミアは頭を下げて答え、すぐに扉の外に立っている兵士の所へと向かった。
「それにしても、まだこの世界に生き残りがいただなんて。それに、何故鳥人間がこんなところに……? 見れば、まだ子供じゃないか……」
ミディウスは深く考え込んだ。
「一体どこからやってきたのか……。千二百年だぞ。千二百年もの間、人の目に触れることのなかった鳥人間が、何故このようなところに。絶滅したはずでは――」
言いながらに腹の傷へと目を移した。
そのような傷をみかけたところで、何かわかるわけではないが、ただ首に下げているペンダントだけは、ふとミディウスの記憶の何かを探らせた。
「とにかく、危害を加えないことが分かるまではどこかに隔離して様子を見るしか――」
ミディウスはイリアスの腕を心配して見た。
シェルミアがすでに処置を施してくれて、包帯が巻いてあるが、それほど大きな怪我ではなかった。ただ今までは魔法で守られていた分、これからの怪我はきっと治る速さが今まで通りとは限らないだろう。しかしイリアスはそんなことを気にはしなかった。
「閉じ込めたりしなくても大丈夫だよ」ミディウスの言葉にイリアスは静かに反発した。
ミディウスは横たわっている鳥人間の前に立ちはだかるイリアスに困惑の表情を見せた。
「しかしイリアス。そうは言っても、もし鳥人間が何か取り返しのつかないことでもすれば……目が覚めて、また手を出したりなどすれば」
イリアスは強く首を振った。そして、リオンの顔をその優しい瞳で見た。
「リオンは絶対そんなことしない。私にはわかる。リオンも分かってくれる。さっきはひどく興奮していただけだもの。あんなにきれいな瞳をしているんですもの。落ち着けばきっと分かってくれるわ…」
ミディウスはそんなイリアスの横顔をじっと見つめていた。
「大切なのは安全な対策だけじゃない。信じることよ、お父様」
一生懸命に説得をするイリアスに、ミディウスは小さく微笑んだ。
その笑みの上でなお、イリアスは言葉に力を込めた。
しばらくして、そっと横たわる鳥人間の傍へとミディウスは近づいた。
「この鳥人間の名前はリオンというのか」
鳥人間を見つめ、優しく包み込むように言ったそのミディウスの言葉の意味はイリアスにも伝わった。
「それだけでもわかっていてよかった。何度も鳥人間と呼んでは確かに……可哀そうだからな」
ミディウスがそっとイリアスの頭をなでて言った。その意味が示すところ、イリアスの熱意が伝わったようだ。イリアスはほほ笑んだ。
「自分の傷は分かっていても、他人の傷を理解するのは難しい。目に見えない方は特にね。お前は本当に優しい子だ。私の自慢の子だ。怪我も軽くすんでよかった。本当ならば、ティリーナの時のように祝杯を上げようと思っていたのだが、こんな事態だ。いずれまたの機会にでもしよう。話さなければならないこともあるしな――」
「話さなければならないこと?」
そういえば儀式の日も試練などという言葉を発していた。それについてのことだろうか。しかしミディウスの返事は期待に応えてはくれなかった。
「そうだな、だが今日はもう遅い。また明日にでもしよう。食事はシェルミアにここまで運ばせるから、何も心配しなくていい。本当ならば起きていることも体には辛いはずなのだからな。あれからたったの一週間ではまだ体も馴染んではいないはずだ」
「い…一週間? そんなに私は眠っていたの?」イリアスは自分の感じていた時間の感覚とあまりにもかけはなれていたのでひどく驚いた。
「ああ、しかし眠っていたというよりもこん睡状態に陥っていたのだ。それに、そんなにではなく一週間ですんだ、とも言えよう。本当に危険なものだ。魔力というものは。指輪がなければと思うと……だが目を開けてくれて本当によかった」
ミディウスの頬を一筋だけ涙が流れた。精一杯隠したつもりだろうが、イリアスの目にそれはしっかりと映った。
「お父様……」
ミディウスはそれでもさりげなく、すっと指で涙をぬぐった。
「さあ…もう休みなさい。私には一生分からない事だが、今もイリアスの体には負担がかかっているはずなのだ」
「私は平気よ。まだしっかりとは歩けないけれど…」
「あまり無理をするな。ここからは少しずつでいいんだ。ティリーナも初めは寝床から落ちてしまったとも言っていたよ」ミディウスは赤い顔をごまかすように思い出しながら笑って言った。
「お母様が?」イリアスもそれを聞いては笑わずにはいられなかった。
「ああ、そうだ。だから今日は寝ていなさい。鳥人……リオンの方もこのまま寝かせてあげることにしよう」
ミディウスはすっとリオンの傍から離れ、いつの間にかドアのところで待っていたシェルミアに頷いて見せた。
理解したシェルミアはすっとドアを開け、ミディウスに道を譲った。
振り返りざまにイリアスと目を合わせ、イリアスがにこりと笑ってみせると、ミディウスは王の間への階段を上っていった。本当ならばこの時間は様々な仕事があるハズなのだ。
実際のところ、今までの一週間、ミディウスはイリアスのことが心配なあまり仕事に手つかずにいたのだった。今ではいつも以上にやらなければならないことがたくさんあった。
部屋を出て行く父を見送り、イリアスはまたリオンと向き合った。しばらく無言のままに、じっと一点ばかりを見つめて。
いつの間にかだいぶ時間が経ってしまったようだ。もうこの部屋にはシェルミアの姿もなく、二人だけになっていた。
「どうしてあなたはここに来たの?」
しばらくしてから、返事が来ないと分かっていても、イリアスはリオンに質問した。
「いままでどこにいたの? どうして何百年も人の目につかないところにいたの?」
端に広げられた右側の翼は、包帯に巻かれてそばの机まで乗りかかっている。
先程まで閉じていたときは小さく見えたが、広げてみるとこんなにも大きかったことに驚いた。瞳を閉じたリオンはもう落ち着いて、静かに呼吸しながら眠っている。
イリアスはもう一度腹部にある大きな傷をじっと見つめた。
「ひどい傷…何があったのかしら」
しばらくそこに留まっていた視線は、やがてその胸に輝くペンダントに移り、それを見たイリアスは思わず「綺麗…」と呟いた。
丸い基盤に十字の飾り、そして肩から延びる翼を模り、中央に埋め込まれた青い石が輝く。それはイリアスのはめる指輪に埋め込まれている石と相違ない輝きを帯びていた。その視線はやがて、ほとんど白色の髪に留まった。
「色が違うと思ったけれど、やっぱりあなたは、私の見た鳥人間に間違いないわ……」
イリアスはリオンの手の上に、自分の手を重ねた。まだ指輪のせいで、手をあげることすら重く感じたが、なんだかリオンの手に触れると、暖かく感じられた。
「不思議だね……初めて会ったのに、全然そうは思えない」
そう言うイリアスは、もはや体に限界がきたのだろう。目を閉じているリオンの顔を見ていて、イリアスまでもが眠くなってきたようで、リオンのその横に、フラリと頭を横にして、ベッドにもたれかかるように、リオンと同じく眠りについてしまった。
区切りを考慮すると、各話の長さがとてもばらばらですけれども、これは仕方のないことなのかなあ。