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第一章 ~姫君の予見~

第一章 ~ 姫君の予見 ~




バッと窓を開ければ、朝日の光が、街のにぎわいをさらに活気づけてみせる。この窓からみる景色は、今日もいつもと変わりはない。澄んだ風が一気に部屋のなかへと流れ込んできた。空に浮かぶ雲も、目の前を飛ぶ鳥の親子も、今日もいろいろな街へとでかけるのだろう。


透き通るような美しい肌に、さらさらと長いブロンドの髪を風になびかせて。淡い水色の服に身を包まれ、イリアスはすっと深呼吸をした。

「今日も皆いい一日が過ごせますように」


 後を振り向いて、部屋の中央の壁にかかっている一枚の絵。イリアスに似ている…いや、イリアスが母親に似ているというのが最も正しいのだろう。


イリアスと同じブロンドの長い髪に、女王らしい風貌の中に、微笑みを浮かべている美しい女性が椅子に腰かけている絵だった。指にはめている指輪がきらりと日の光を反射させてみえた。一年後、イリアスも十八になれば成人としてその指輪をはめることが許されている。


イリアスは母の前に笑顔で、「おはようございます、お母様。行ってきます」と言うと、元気に部屋を飛び出した。


この部屋の上には、城の最上階に位置する王の部屋がある。イリアスは父に見つからないように、いつものようにそっと階段を下りた。


城の兵士に合う度に、「今日もお仕事ご苦労様」と笑顔で挨拶をしながら、廊下を駆けていく。イリアスは正門の反対側に位置する〝秘密の裏口〟 を目指した。回廊に敷かれている長いカーペットの上を走り、柱の隙間から見える外の景色を楽しみながら、下へと向かっていった。


しかしその道の途中にある一つの部屋の扉がゆっくりと開き、一人の男がイリアスの前を塞いだ。

「姫様、どこへ行かれるのですか?」野太い声で、きゃしゃなイリアスとは正反対に、鍛え抜かれた体に、金色の髪が靡く。腰には見るからに強そうな鋼の剣をさやにおさめている男が、にやっと笑いながら言った。


「おはようございます姫様」


「おはようシェルミア」にっこりと笑顔でイリアスはシェルミアと挨拶を交わした。


「フフッ。では今日もわたしは寝坊してしまったので、決して姫様が裏口から外へ出て行くところなど見てはいませんから」いたずらにそう笑っていいながら、シェルミアはすっと部屋に戻

っていった。


「ありがとう。シェルミア」イリアスはまた駆け足で城の外へと向かった。


 中庭に広がる垣根のその端に、人一人やっと通れる程の大きさの抜け穴がある。かつてイリアスが小さかった頃、皆には内緒でシェルミアと一緒に拵えた、〝秘密の裏口〟 は、今ではイリアスにとってなくてはならない外の世界への入り口となっている。誰にも見つからないようにと、その出口は街の裏路地になっていて、城の庭師でも判別できないほどにうまく隠されたその秘密の裏口にイリアスは潜っていった。


 皆には内緒で、というのはつまりこの場合ではおかしなことに、皆が知っているということに等しかった。


 それ故にその頃からは兵士の間で、役職の一つに、裏口の見張り番というものが特別に、ある時間にのみ配属されることになった。それは秘密の裏口の出口にあたるところ。城下街へと続く人通りの少ない裏道に、見つからないように立っているというもの。簡単に言えば、つまりはこれこそが〝内緒〟というものだと言えるだろう。もちろんそれが決まってから、当の本人にはこれまで、一度たりとも見つかったことはない。


 それにこの国においては、そんなにかしこまって見張りなどというものはほとんど必要ではなかった。城の外壁にそびえるいくつかの塔にも、それなりに見張りがいるが、ここしばらく争いごとなどは見かけたことがない。


 アヌシュミール。別名トパーズの国。この世界(ルカリュシオン)に存在する三つの大陸の内の一つ、シュメール大陸最大の国であり、近隣諸国とのバランスも最良に保たれている。他国との交易も十分になされ、その名の通りトパーズの産出国としても有名であり、植物も良く育ち、ブドウ園もあれば、広いかぼちゃ畑からは、それはそれは大きなかぼちゃが採れる。魚だって西の港からはたくさんとれるし、時期によって泳いでくるものも変わったりと、決して飽きることはない。そういうわけでこの国は物資に困ることもなく、街のものは平和に暮らすことができている。イリアスにとってこの光景はもはやあたりまえの平和ともいえるが、それをあたりまえだと思ってはいけな

いと、自覚していることが、またこの国の良きところであると言えよう。


 イリアスは、誰にも気づかれないように…そっと裏口から出て、城下街へとのりだした。


今日も街中ではいろいろな店がズラリと並び、自慢の商品を広げては他の店と競いあったり、笑いあったりしながら物を売っている光景が続いていた。そしてまたそれを買いにきている者たちの間でも、楽しそうな話が様々なところで繰り広げられている。今日はとても大きな、それも大人一人分寝そべったくらいの大きさの魚を一本釣りで釣りあげたということで、魚屋の店主が騒いでいるのが見えた。


「あっ、姫様だ!」魚屋の息子のミーネロが、いち早くイリアスに気付いたので、それに続いて街の者が皆イリアスに気付き挨拶し始めた。子供達はイリアスの周りに駆け寄ってきて挨拶をし、大人たちは皆笑顔を見せ、その場で深くお辞儀した。


「イリアス様。おはようございます」


「おはようございます姫様。ご機嫌よさそうでなによりです。りんごでも持っていきますか?」果物屋の主人はそう言ってイリアスにりんごを一つ手渡した。


「どうもありがとう!」イリアスは満面の笑顔で、それを受け取った。


 街の者は皆その笑顔見たさに、好意で店の商品をいつもイリアスにくれるのだ。


 少し前に一度、帰る頃には抱えきれないほどの物をもらって帰ってきたことがあったほどだ。その時は実はシェルミアがそれを見て驚いて、イリアスには内緒で、街の者に代金を払いにいったこともあった。もらいすぎ又はあげすぎの注意をシェルミアに受けたにもかかわらず、こうしてまた皆イリアスの笑顔のために、ものではなく心を手渡しているのである。それは、イリアスが街の者達を愛しているとともに、皆もイリアスのことを愛しているからだ。


 イリアスは皆に挨拶をしながら商店街をぬけ、街のはずれにある大きな木を目指した。そこは、城の部屋と同じく、しかしまた違う街の景色を一望できる小高い丘の上。そこはかつての初代アヌシュミールの王ゼルセウスが、初めて国を見下ろした地と言われ、その向こう側に少し離れたところには王家の聖地が存在している。


 実はこの聖地は、城の裏から道をたどるのが正規のルートなのだが、イリアスは毎度わざわざ街の間を、遠回りをして通ってくるのだった。そうすることでこの街ではイリアスの顔を見たことのない者が一人もいない。


 イリアスは丘の上にある大きな木の下に立ち、街を見下ろした。ここからは街の建物がとても小さく見える。目のいいイリアスには誰がいるかまでは分からずとも、そこに人がいることくらいは見える。今日も城下街にいる人々はもちろん。果物や野菜を育てている人々も、いつも威勢のいい声が飛び交う港の人々も元気に働いていた。広場にいる子どもたちは球蹴りでもして遊んでいるのだろうか。この時間に、この丘で街を眺めているのはイリアスくらいだ。


いつも見ている、接している。優しくて、大好きなみんな。最近になってからここに立つ度にいつのまにかイリアスは思うようになったことがある。


初代国王であるゼルセウス様が、かつては何もなかったこの地に降り立ち、どれだけの苦労をしてこの国をつくったことだろうかということを改めて思うようになったのだ。それは誰かに言われたわけでもない、直感で感じるようになったこと。今ではこんなにも立派な国として存在しているからこそ心の底から考えるようになったのだ。


平和だからこそ、みんなそれぞれが自由に生きていける。これからもみんなが自由に生きていくためには王家として、そんな国を守らなければ…わたしも王家の者ならば、いつか必ずみんなの為に何か……。


イリアスは手を強く握りしめながら頷いた。そこからの景色に満足すると、ゆっくりと後ろを向いて、聖地へと足を進めた。





 日の光が、辺りを流れる水面に反射し、まるで光の帯がそこにいるイリアスを取り囲んでいるかの様に見えた。頬をなでるような優しい風は、草花をイリアスに向かっておじぎをさせているように見せている。イリアスは聖地の一角にある王家の墓地にいた。


イリアスは母の墓の前にしゃがみこむと、じっとその墓を見つめていた。


 ふいに誰かの足音が聞こえたと思ったので後ろを振り返ると、そこにはシェルミアが花を手にしながらイリアスに向かって歩いていた。


「見回りですので…」シェルミアはイリアスの隣までくると、その優しげなピンク色の花束を墓石の前にすっと置いた。墓の前で手を合わせ、目をとじた。少ししてから、イリアスに振り向くことなく話しだした。


「ティリーナ様がお亡くなりになられてから、明日でもう十七年になるのですね」


 シェルミアは少しでも優しく聞こえるように言ったが、内心は同じ日にして同じ年を刻むイリアスのことをとても心配していた。


「えぇ――」イリアスは目を閉じながら、ただ一言そう答えた。


 イリアスの母であり、アヌシュミールの女王でもあったティリーナは、命にかえてイリアスを産んだ。それ故にイリアスは当然母親の顔を知らない。たとえ絵として残っていたとしても、それは所詮絵でしかない。街の中で母親の生前のことをいくら話されようと、それはやはり過ぎ去った記憶でしかない。それはイリアスに向けたものではなく、街の者に向けた素晴らしさだったに違いない。母親の温もりとはそういうことなのだ。


しかしそれだけにイリアスの心の中には、他の誰にもない母親を思う強い気持ちがあった。いないからこそ、その気持ちはイリアスの心のなかで、憧れと尊敬と…そして母親に向けての愛となって、絶えることがないのである。


「きっとティリーナ様も、姫様の立派なお姿を見られて喜んでいらっしゃることでしょう」


 シェルミアはすっと立ち上がった。すぐ横を流れる水面をイリアスがちらりと見ると、そこに映っていた自分の顔にかっと赤面し、あわててその顔を洗った。この国の気持ちの良い水が、イリアスを元気づけてくれた。


「そうよね。もっともっとしっかりしてないといけないわよね」イリアスはシェルミアの方を向いてにこりと笑ってみせた。その輝く笑顔には何人の不安も、心配も軽くさせる。そんな力を感じさせる…と、そうシェルミアは思っている。だからシェルミアも、それに応えて心からの笑みを返すことができた。


 ふとイリアスが空を見上げると、そこには青い空のなかで、一羽の鳥が飛んでいた。今までイリアスが見たことのない鳥だった。


 シェルミアもその視線の先に気付いて、一緒にその鳥を目で追った。


「あれは、ヒルルク…ですね。こんなところまで飛んで来ようとは、なんと珍しい。きっと山の向こうから越えてきたのでしょう。」


 イリアスはその鮮やかに空を舞う一羽の鳥に目を奪われていた。赤い鳥が、小さな体に長い尾をひらひらと漂わせて、イリアスの頭上を飛んでいる。


 初めてみるその鳥は、自由に飛べるあの空から、一体どこまで見渡せることだろう…。どこまで遠くに行くことができるのだろう…。


 イリアスは今までに山を越えたことはもちろんのこと、国の外にもでたことはなかった。知っていることはみな、イリアスが生まれる前から城に仕えているシェルミアに聞いたり、本で読んだりイリアスの父、現国王に聞いたりしたことだけであった。シェルミアは昔、遠い国から様々な地を踏んでこのアヌシュミールにやってきたので、いろいろなことを知っているのだった。


やがて一羽のヒルルクは、東の方へと飛んでいった。


この国の東には大きな森があり、普通ならば、入ることすら禁止されている危険な森だった。かつてのこの森は通ることができたとも言われているが、それは本当に昔の話のようで、今ではほとんどが西の港から船で行われていた。イリアスはこの森をだれかが通ったと言うのを聞いたことがない。


その時、城の裏側。細く長く、草や花がつくるその道の奥に位置する、イリアスに仕えしシェルミアと王に仕える神官様を除けば王家の者のみが訪れることのできるこの聖域にまで、時を打つ鐘の音が鳴り響いたのだった。


目には見えなくとも、城の向こう側にある城下町からは、昼になってきていっそうざわざわとにぎわってきているのが分かる。


「姫様」というシェルミアの声にうなずき、イリアスは最後にもう一度だけ墓石へと振り返ろうとした。


 その時だった。急にイリアスを、突然の変な感覚が襲ったのだった。それはまるで一瞬時がとまったかのような感覚、そして目の前に広がる景色全体が黄色く、それとも緑色に光って見えるような。イリアスの平衡感覚はその一瞬で奪われた。


 しばらくしてその光は少しずつ薄らいでいき、徐々にその体の感覚も戻っていった。風の音が聞こえ、目の前には母の墓がある……はずだった。


 しかし、イリアスには今、全く別の景色が目に見えていたのだった。いや、それともそれは別のものだろうか。イリアスの目に映っているそれは、水にうつる姿めがけて石を投げ込んでみたような、波打つものを見ている感覚のそのさきにあったもの、それは――。


人…かしら。ううん、人じゃない。だってアレには……。


 しかしイリアスに意識があったのはそこまでだった。足に力が入らなくなっていき、太陽の光が目に飛び込んできた。そして体の横を風が勢いよく流れていったのを感じた。


 そしてその時最後に覚えていたのは、シェルミアが急いでかけよってきて言った「姫様!」という言葉だった。イリアスは気を失い、その場に倒れていた。






 いつからだったのだろう、こういうものが見えるようになったのは。六歳のとき? 七歳のときだったかもしれない。初めてのときはただの偶然の出来事だと思っていた。初めてそれが見えた時は、そんな特別なことだとは考えもしなかった。


 あの時は庭で遊び疲れたせいか、つい草むらの陰で眠ってしまったの。ひんやりと気持ちがよく、空を見上げると雲がぷかぷかと浮いていて。うとうとしながら、シェルミアが部屋のベッドまで運んでくれたことを覚えてる。その時に見た夢はまるで夢を見ているということが分からないほどに意識がはっきりしていた夢だった。その夢の中では――。






イリアスはいつもと同じように部屋をでて、シェルミアの部屋を通る城の階段を下りていった。いつものようにシェルミアが、「姫様、今日はどこへおでかけなさるおつもりですか」なんて言いながら部屋から出てくる。シェルミアはイリアスがどんなに音をたてないようにしても必ずその後に「おはようございます」と言って出てくるのだ。いつかシェルミアを出し抜いてみたいとイリアスが思うようになったのはその頃からだったかもしれない。それが叶えられた日はもちろん一度もなかったが。


 しかし、その時限りはその笑顔を見ることはなかった。それどころか不思議なことに、城に仕える兵士にさえ、誰一人としてそこで出会うことは無かったのだった。


 誰もいないのに、声もしないのに、まるで誰かに手を引っ張られているかの様に、その不思議な感覚にイリアスは連れていかれたのだった。


 いつも使っている脱出用の出入り口ではなく、イリアスを引っ張るその感覚は、城の階段を降りると、正面の扉へと向かっていた。ふと気付けばそこから中庭に出たところで、イリアスの手を引く不思議な感覚は消えていた。辺りを見渡すと城の正面の門が開いていた。そこから城の大きな階段を下りれば、いつもの城下街へとでられる。道を変えれば城壁の向こうには国の外へと続く道だってあった。しかし別段その不思議な力はそれ以上イリアスをどこかに連れて行こうとはしなかった。


「ここに何かあるの?」と、イリアスはその時声にならない声を発した。当時のイリアスはまだ幼かったし、一人で外を出歩くこともまだ少なかったから、誰もいないその状況にやはり心細く、涙も滲んできていて、その声は小さな声だった。


 当然誰も答えてくれるわけもなく、不安な気持ちを抑えながら辺りを見回すと、そのすみの方に…中庭の中央にある噴水を挟むように置かれている銀色のベンチの後ろの茂みのそばに、きらりと光る何かがあるのがふと目に入った。イリアスは涙の出てきた目をこすりながら、そこへと歩いていった。そこにあったのはシェルミアがいつも着けている腕輪。王家に仕える者にとっての勲章である、トパーズの埋め込まれたミスリルの腕輪だった。


 なんでこんなところに落ちているのだろう、と考えながらそれを拾った時に、イリアスはその夢から覚めたのだった。


夢から覚めてイリアスが最初に思ったことは「やっぱり夢だった」だ。


一息つくと、気がつけば汗をかいていた。服を着替え、部屋をでてみると、そこにシェルミアが大慌てで回廊を走っていたのが目に入った。イリアスは誰もいなかった夢を見た後だったから余計にほっと胸をなでおろした。


「シェルミア!」イリアスは後ろ手で扉を閉めると、手を大きく振りながらそう叫んだ。


 シェルミアはイリアスがそこに立っていることに気がつくと、息せき切ってすぐにイリアスの方まで走ってきた。


「お…おはようございます姫様……じゃなくて。ダメじゃないですか! また中庭でねむってしまうなんて。風邪などひかれてしまっては困ります。国王になんて言えばよいやら…」シェル

ミアは肩で息をしながら頭を掻いた。


「ごめんなさい」イリアスは舌を出して謝った。


「それよりシェルミア。そんなに大慌てで何をしていたの?」


イリアスが話をそらすようにそう言うと、シェルミアはまごついた口調になった。


「いや、それが…。いえ、これは私の問題ですので、姫様は気にしないでください」


「ううん、シェルミアが困っているんだもん。協力してあげる。私だって役に立つかもしれないでしょ?」イリアスが首を振って、そして笑顔でそういうと、シェルミアは、

「ありがとうございます。ですが…いや。実は…その…私の大切なものをどこかに…失くしてしまったようで」と辱めながら言った。


 その時のイリアスはそれを聞き、何の考えも無しにとっさに、

「ねえシェルミア。それってひょっとして…腕輪?」と聞いた。シェルミアはその言葉に驚いた。


「ひ、姫様。そんな大きな声で言わないでください。このことが国王の耳に触れたら――。え? どうしてわかったのですか? 私が失くしたものが腕輪だって」


シェルミアに聞き返されたが、正直イリアスはこれをどう説明すればいいか分からなかった。そして、説明するよりも、まさかとは思うが、もしかしたらとシェルミアを中庭まで連れていくことにした。


夢にでてきた中庭の茂みのそばまで二人は行くと、夢と全く同じところに、その腕輪が転がっているのを見つけた。するとシェルミアはまるでこのことを誰にも気づかれないようにと、急いで腕輪を拾った。それは確かにいつもシェルミアが着けているミスリルの腕輪そのものだった。


「ああ、こんなところに。きっと姫様を抱えたときに落としたのでしょう。見つけてくださって本当にありがとうございます。何とお礼を言えばよいか」


「別にそんな…。じゃあ私が外で眠ってしまったこと、二人だけの秘密にしてくれる?」


「もちろんですとも。今日のことは、もう何も言いません、腕輪に誓って。本当にありがとうございます」

シェルミアはうっすらと涙のにじむ目でイリアスの手をつかみ、二度も三度もお礼を言った。


「もういいじゃない、無事に腕輪も見つかったことだし。それに私は偶然夢にでてきた中庭にもしかして、だなんて思って来てみただけだったんだから」

イリアスの手をにぎっているシェルミアはそれを聞いて、それ以上お礼を言うのをピタリと止めて顔をあげた。「姫様。今…なんと?」


「だから、偶然夢に出てきた中庭にきてみただけって…。私変なことをいっているのかしら?」


顔がだんだん赤くなってきたので、イリアスはその手で自分の顔を覆った。


確かに、現実にそんなことが起こるのは稀だし、基本的に変だと思ってもそれは不思議ではないだろう。しかしシェルミアの反応はそのどれとも違い、驚きながら、しかしなかば興奮をも入り混じった口調で……、

「姫様、それはもしかしたら――」






ふと目を開けると、そこにはいつも見慣れた天井が見えていた。

 そうだ、あの日から私はこういうものを見るようになったんだ。


あれから何度見てきたことだろうか。最初の時に感じた偶然の重なり。ただそれによって助けられたことが幾度とあることも事実だった。


 墓地で倒れてから、シェルミアがイリアスの部屋まで運んでくれたようだ。静かに、そしてやわらかく光を遮る布を揺らして窓から入ってくる風と一緒にのってくる花のいいにおいがなんとも心地よく感じられた。


「具合はどうですか? 姫様」

 気づけばすぐ横にシェルミアが立っていて、その手には水を持ってきてくれていた。イリアスは体を起こして「大丈夫よ」と言った。


 シェルミアはイリアスの額に手を当て、体温を測り、「予見…ですか?」と心配そうに言いながら、手に持った水をイリアスに差し出した。


 イリアスはその水を受け取り少し飲んだ。乾ききった喉から、すうっと体の中を冷たい水が流れ、熱を冷ましてくれるようで、久しぶりに水を飲んだかと思うくらいに、いつもよりとてもおいしく感じた。大きく深呼吸をしてからイリアスは答えた。


「ううん。少し、違うかもしれないわ。何て言えばいいのかしら…いつもと違って、はっきりとは見えない夢だったの。ほら、いつもならはっきりと未来の出来事が見えるじゃない。でも今回のは何か…いつもとは違ったわ。ほんの少し覚えているのだけれど――」イリアスはもう一

口水を飲んだ。


「もしかしたら思いがけないことが起こるということかもしれないわね」イリアスはどこを見つめるわけでもなく、ただ目の前の一点だけに視線を集めながら、しかしどこか少し期待をも込めて言った。その思いがけないことが面白い事だったらいいのに、と思ったのだった。


 シェルミアはすっとその腰にささっている剣を床に置いた。

「それにしても、最近の予見はいつ見ることになるか分からない上に姫様の体への負担が大きすぎます。以前は月に一度。いえ、もっと前はそれより少なかったというのに。それに今回のように倒れるなんてこともなかった」

瞬間シェルミアの顔が歪んだのをイリアスは見逃さなかった。


「あら、私は平気よ。だんだん慣れてきたもの」

 シェルミアはそれを聞いて溜め息をつき、頭を抱えた。


「だから心配なのですよ。そもそも痛みや苦しみなど体の異常なんてものは慣れるべきものではありません」


「あら、全然痛くなんかないわ。立ちくらみが起きたり、体に力が入らなくなったりするだけよ」

 イリアスの自信に満ち溢れたその顔に、シェルミアはますます大きな溜め息をもらした。イリアスの持つ空になったコップを受け取り、そばにある木製の円い形をした小さな机の上にそれを置いた。


 その隣には大きな鏡のついたクローゼットがあり、それに写るシェルミアの姿に向かって、イリアスは鏡越しに思い出したかの様に言った。

「そういえばシェルミア。変なこと聞くけど……翼の生えた人間…なんて、聞いたことある?」


 シェルミアは少しだけ考えるとパッと表情を変えて答えた。

「翼の生えた…ですか。それでしたら私の知る限りでは鳥人間(ホルス)と呼ばれるものならば存じ上げて

おりますが」

鳥人間(ホルス)?」イリアスは首をかしげただがそれを見てシェルミアは首をひねった。


「…姫様。この話はいつかお聞かせしたことがあると記憶しているのですが――」

それを聞いてイリアスは申し訳なさそうに苦笑いした。しかしシェルミアの話は時に退屈なものもあり、つい眠ってしまうほどのものもあったのは事実だ。


「まあいいでしょう。千二百年前の戦争のことは覚えていますね?」


それはイリアスでもしっかりと覚えていた。お父様が何度か教えてくれた話。この国が生まれたのもその戦争の後からだったからだ。国の中枢を担う者のうちの一人として、そのくらいは知っていて当たり前だった。そう、この国では、語り継がなければならないわけがあった。そのわけというのは、シェルミアの話に起因するものだった。


イリアスがうなずくとシェルミアは満足そうによろしいと言い、続けた。


「今では民のほとんどの者が知ることのなくなってしまった話でございますが、その戦争以前に、我々人間と同じくらい、あるいはそれ以上に栄えていた種族こそ、人間に似通った、しかしま

ったく別の存在である、鳥人間(ホルス)と呼ばれた者達なのです。鳥人間(ホルス)が我々人間と共に歩むことはありませんでしたが、敵対することもなかった。人間が力に溺れるまでは。支配欲にかられた人間に対し、鳥人間(ホルス)達はドラゴンの力を使って我々と対抗したそうです。しかし、それは対抗というにふさわしくない力。私たちが想像を絶するもので、国一つ簡単に滅ぼしてしまう。それでも鳥人間(ホルス)は、自分の命を犠牲にしてでもドラゴンを呼び出した。その怒りに駆られたドラゴンをあやつることができたのは、鳥人間(ホルス)達の頂点に立つ不死鳥(ポイニクス)。そしてもう一人――魔法の力が使えたゼルセウス様だけだったと言われています」

 

 シェルミアはそう言い終わるとすぐに「そうだ、あれが…」とつぶやき、足早に部屋をでていってしまった。

 

そうだ、思い出した。あれは確かに鳥人間(ホルス)だ。でもなんで予見の中で鳥人間(ホルス)が見えたのだろう。


そもそもあれは本当に予見だったのか。そして何よりも、どうしてたとえほんのわずかであろう

とも、その姿を見たというのにそれが鳥人間(ホルス)だと今の今まで思い出せなかったのか。

 

そこまで考えると、イリアスはふと疑問に思った。


「私、今まで鳥人間(ホルス)の姿なんて一度も見たことなかったのに……」

 

無論姿を見るなど不可能な話だった。しかし見たことのないものが突然夢の中に存在できるの

だろうか。それともやはりこれは予見だったのか。あの姿は一体――。

 

その時、シェルミアが、出て行った時と同じように足早に部屋に戻ってきた。その手には分厚く、そしてそれが一目でとても古いものであることが分かる本を持っていた。


「姫様、ありました。鳥人間(ホルス)について書かれている貴重な文献です。」


 シェルミアは手ごろなイスを引っ張ってきてそれに座り、静かにその本を開くとパラパラとめくっていった。


「シェルミア。その本って…」


「はい。何故かこの国にのみ残っている、貴重な文献。〝歴史を紡ぐもの〟です。この文献で以前一度……」


「そうじゃなくて…」と言葉が喉まででかかっていたが、イリアスはその言葉を言うのを止めた。


実はイリアスはその本の希少価値は十分に知っていた。イリアスが今聞きたかったのはこの本の内容ではなく、国王の蔵書室にあるその本をどうやって持ち出したのかということだった。

しかし、まあよくよく考えてみれば、外へ持ち出したわけでもあるまいし、何より信頼の厚いシェルミアのことだ。問題にすらなることはないだろうという結論に達した。


「このあたりですね」シェルミアの手が、ちょうどその本の真ん中あたりにさしかかったところで止まり、イリアスに差し出した。そこには難しい言葉ばかりが並んでいた。あまりにも古く隅が破れやすくなっていることもあり、イリアスはその本を慎重に受け取った。


イリアスはかつて一度この本を手に取り、とても読む気にはなれず、すぐに投げ出したことを思い出した。その本だけでなく、その行為はほとんどの本にもあてはまるものでもあった。

 しかし今回かぎりは違った。そこには色褪せてはいるものの、少し大きく、太く目立った字で

確かに『鳥人間(ホルス)』と書かれていたからだった。


「人間と違い、鳥人間(ホルス)はその起源が全く分かりません。文献にも書いてあることは極わずか。一説によれば人間から進化したものであるとか、この世界(ルカリュシオン)の創世の時から存在していたものであるとか、はたまた人間が作り出したなどといった、推測の域のみの話しか書いてないため、他の事象に関しても完全には信じられるものではないでしょう。しかし存在していたことだけは事実です」

 

イリアスは「ふーん」と感心しながらその文字を目で追っていた。この項は鳥人間(ホルス)と書いてあったもの以外全て古代文字で書かれているため、古代文字の読める神官様や国王とは違いイリアスは眺めるという行動しかとることはできなかった。

 

パラパラとめくっていってもまるで理解できない。そろそろシェルミアに返そうと最後にページめくってみたその目に、信じられないものが飛び込んできた。


そのページには鮮明に描かれていた鳥人間(ホルス)の絵があったのだった。


「シェルミア! これ!」イリアスはすぐさまその絵を指さして叫んだ。

私、夢でこの鳥人間(ホルス)を見たのよ」イリアスはその中央に描かれている、一人だけ真紅の翼をもった者を指さし、はっとシェルミアを振り向いた。


「なんと。それは本当で?」シェルミアは驚愕したが、イリアスは首を大きく縦に振った。しかしそうは言われても、そう信じられる話ではなかった。


「いや、ですが…。現実に鳥人間(ホルス)はもう…いないのですよ」シェルミアが申し訳なさそうに話すが、イリアスは「だって、見たんだもの」というような顔をしてみせた。


 シェルミアは困った。イリアス自身、まだ知らないことではあるが、イリアスの予見は絶対であることは間違いない。それをシェルミアは知っているからこそ、なお困ってしまったのだ。だがそれが新たに結論を生んだ。シェルミアはある事を納得すると、

「ああ、なるほど。姫様の予見はまさにこれですよ」シェルミアは本を指さした。「この本を私が姫様にみせるということを予見なされたのですよ。きっと」


 シェルミアは、まるで不可解な現象をなんとか納得しようと自分に言い聞かせ、頷いていた。


しかしそれほど特に意味を持たない予見をしたのかと思うと、正直すこしでも期待していたイリアスにとっては拍子抜けだった。今までの予見といえば、何かを見つけたり、嵐が来ることを言い当てたりと何か大切なことを予見してきた。それはたとえ頻度が多くても、そして多少の出来事の大切さに差はあるものの、ほとんど同じだった。目で見る日常の風景とは違って、心で視る予見の事の重大さは、何か肌で感じ取れるようになってきたイリアスだったが、日常の……それも本を読むなどという行動の予見なんて初めてのことになる。が、確かに…そうかもしれない。イリアスはよく考えてみればその通りかもしれないと思った。もしイリアスの考えていることが現実に起きたとするならば……いや、仮定の話だとしても、それはあまりにもばかばかしいことだった。しかしそれでもイリアスはどこかほんの少しひっかかりを感じずにはいられなかった。

 

夢の中では、この人…動いていた…ような。動いていた? 動いていたのかしら。


 ひっかかりを感じてはいたものの、そもそも動いていたのかどうかでさえ、イリアスには曖昧だった。それ故に、もしかしたら本当にこの絵をみただけだったと思っても不思議ではなかった。   

そう、確証は全くと言っていいほどに無かった。それほどに、イリアスの見た予見はあまり多くのことを語ってはくれなかったからだ。


イリアスには、それ以上深く考えることはとうてい無理な話だった。そして、だんだんとシェルミアの言ったとおりの予見をしたという認識にならざるをえなかった。


イリアスはもう一度その絵をしっかりと見直していた。

「シェルミア。この中央にいる鳥人間(ホルス)は、どうして一人だけ他と違うの?」イリアスは最初に指さした真紅の翼を持つ鳥人間(ホルス)を見ながら言った。

 

シェルミアはイリアスの言う鳥人間(ホルス)をちらと見ると、すぐさま答えた。


「ええ…。これが、鳥人間(ホルス)の中でも特別な存在であるとされる、不死鳥(ポイニクス)と呼ばれるものですね」


そう。その絵は真紅な髪と翼で優雅に空を舞う不死鳥(ポイニクス)が、他の何人かの鳥人間(ホルス)とともに描かれているものだった。他の鳥人間(ホルス)はその真紅の不死鳥(ポイニクス)と違って、白い翼を持っていた。


イリアスの目は、ただその不死鳥(ポイニクス)だけに向けられていた。それはただの絵としてだけではなく、何か特別な感覚によるものだった。


「きれいな眼…」

その時不死鳥(ポイニクス)の眼だけが、イリアスにはそう見えたのだ。


「不死鳥なのに、今はいないの?」ふとイリアスは純粋な好奇心とともに、どこか納得のいかないというような声で言った。確かに不死と名の付くものが今この世にいないというのはずいぶんおかしな話だ。


「そうですね…誰も見ることはできない。だからこそ 〝いない〟 。そう思われても不思議ではないでしょうね。何故ならばいると言える人は今のルカリュシオンでは一人もいないのですから。」


 それを聞くとイリアスは残念、とばかりに肩をすくめた。


「ただ、私が思うに…。いないと根拠をもって言える人でさえも、おそらくはいないでしょうね。直接亡くなったところを誰かが見ていた訳でもないのですから」


イリアスの気持ちを察し、シェルミアはすぐに付け加えて言った。そう、シェルミアはイリア

スを元気づけようとしたのだった。


しかしその言葉がイリアスの輝きを取り戻すのには、十分だった。シェルミアがちらりとイリ

アスの顔を見ると、その目はどこか遠くを見ているように感じた。例え心の奥底ではいないことを否定できないとしても、それでもイリアスの意思は決して否定しない。それがシェルミアの信念でもあったからだ。


「いないと証明できた人も、いない…か」

 

イリアスがそうつぶやいた時、扉のドアを叩く音がした。


「シェルミア、私だ。入ってもいいかな?」


イリアスにもシェルミアにも、その声の主はすぐに分かった。シェルミアはすっと立ち上がって扉を開けると、その声の主に一礼した。


シェルミアより背は低いが、しかし感極まる威光を放ち、貫禄のあるというのはまさにこの事だと誰しもが納得のいくことだろう。立派な口髭を生やし、胸に下げたペンダントには王家の紋章が入り、その中央には立派なトパーズが輝いていた。その広い肩はばから、赤い刺繍の施されたマントに身を包まれているこの男が部屋に入ってきた。


「お父様」イリアスが喜んだ声をあげて立ち上がろうとしたが、それはシェルミアに抑止された。

「おおイリアス、目が覚めていたのか。シェルミアから知らせを受けていてね、心配していたのだよ。」国王は従えていた二人の兵士に外で待つように指示した。


国王ミディウスはイリアスの方へゆっくると近寄って言った。


「また、予見を見たといっていたが?」


 まるで風邪を引いた我が子にその病状を聞くかのような口調だったが、イリアスはシェルミアに聞かれた時と同じように説明した。妙に真剣な目つきで聞いてきた父の態度には少々違和感を覚えたが、話しながら今一度その内容を思い返してみれば、そんなことよりも予見のことの方が気になるのだった。


 特に確かなものが見えたわけではないと聞くと国王はただ「そうか」と言うだけだった。鳥人間(ホルス)の単語がでてくると、やや驚きの反応を示したが、それはシェルミアの見解のもとで話は終わった。イリアスは国王の予期せぬ反応に戸惑ったが、それでも特に気になることではなかった。というよりも、ただただうつむき加減に黙っていたので、何も話しかけることすらできなかったのである。しかしシェルミアは違った。


「ミディウス様?」シェルミアもまるで暗い雰囲気を醸し出したような声を出す。


そしてシェルミアはその時、国王と目が合った。だが、すぐにミディウスはイリアスの方へと向き直った。


 国王の不安げなまなざしの意味するところは、シェルミアのみ知ることだった。以前からシェルミアと国王で相談していたこと――イリアスの容体について。

 

しばらく国王は黙り込んで考えていた。そしてふと独り言のように呟いた。


「イリアスも明日で十七になるのか…」


イリアスにもシェルミアにも、その言葉は聞こえていた。だがその真意はイリアスには分からない。シェルミアは生唾を飲み込み、次にでる言葉を待った。

 

しばらくして国王の額には汗が流れた。「…明日しかない」


「ミディウス様! まさか!」シェルミアは叫んだ。


国王はシェルミアに向かって言った

「仕方がなかろう、イリアスの容体がここまできてしまっては…この前の予見からまだ三日だぞ? このまま間隔が短くなればやがて……」


「しかし…もう少し待ってみることは…まだ一年あります。幼すぎます!」


国王は額に手をやり、歯を食いしばった。「ダメだ! 魔力が強すぎる!」


 イリアスにとってそのやりとりには皆目見当のつかないものだった。一体二人は何のことを言っているのだろうか。


 私の容体? 魔力? イリアスは場違いにも意味の分からないこの単語を復唱した。


「お父様、私の容体って…いったいどういうことなの?」

イリアスは声を震わせながらも、恐る恐る聞いた。国王は興奮していた気持ちを一度落ち着かせ、ゆっくりと、重い口調で続けた。


「いいかい、イリアス。よく聞くんだ。今まで隠していたことは本当にすまない。それに突然こんな話を聞かされてもやはりすぐには理解できないかもしれない。しかしいつかは理解しなければならない。だから、よく聞いてほしい。イリアスの予見は、イリアスだけが見えるものではない。かといって当然何人も見えるものでもない。この国の王族の一部の者のみが持つ特別な力なのだ。そう、おまえの母のように」


「お母様も?」イリアスは驚いた。お母様も予見が見えた?


「そうだ。ティリーナだけでない。アヌシュミール家が代々受け継いできたものこそがまさにそれだ。そしてその力が……問題なのだ。シェルミアから立志式の話は聞いたことがあるだろう」


 イリアスは小さくうなずいた。確かに王族に伝わる儀式、立志式のことは昔、シェルミアから聞いたことがある。しかしシェルミアから聞いたことのある話に予見のことは全く関係がない。立志式というのは、十八になり、大人として国から認められ、王族としてこの国の支えとなるものの志を唱える儀式だと聞いていた。まるで予見の話など聞いたことがないイリアスは、ミディウスが何故そんなことを聞くのか不思議でしょうがなかった。


「おまえの母、ティリーナは、十八でそれを終えた。本来ならば長年我が王家では十八になるその時が立志式に最も相応しかったからだ。しかしイリアス、お前はティリーナの魔力をはるかに凌ぐ力を持ってしまっているかもしれない。一年早いが、今やらねば手遅れになる」


手遅れ? これもまた意味の分からない言葉だった。 私の見る予見って一体…?


「手遅れってどういうこと? 立志式って…正統な王族、それを認められる儀式のはずじゃ? 予見と何か関係があるの? それに魔力って一体どういうことなの?」


「それについては、今は気にしなくて良い。どうせ明日わかることだ。そして明日にしかわからないことも…ある。全てを今説明することは出来ないのだ。よく聞けなどといってしまってすまないが、今はこれ以上私から話すことはできないのだよ」


国王はすっと身をひるがえした。

「明日だ、イリアス。今考える事は一つ。立志式を見に来る国民の皆に立派な姿を見せる。確かにそれが立志式の目的なのだ。王族として恥ずべきことのないようにすることだ。」まるで呼

吸をもせずに、一気にそう言い切り、国王は扉へと向かった。


「ミ…ミディウス様! 考えを改めていただくことは――」シェルミアは国王に駆け寄った。国王は立ち止まり、シェルミアを見て、そしてシェルミアの肩に手をやって言った。


「分かってくれシェルミア、これは仕方のないことなのだよ。年を刻む日にしかできないのだ。これは儀式なのだから。次は……無いのだ」


もはやシェルミアに返す言葉は残ってはいなかった。シェルミアは前に突き出していた手を静

かに下ろした。

「あとは頼んだぞ、シェルミア」

 シェルミアは小さく、はいと言うと、国王は部屋を出て言った。



しばらく沈黙が続いた。シェルミアはそこに立ちつくし、イリアスはわけが分からなく、ただシェルミアを見ていることしかできなかった。


「シェルミア、一体どういうことなの?」やがてイリアスが沈黙を破った。

「姫様…」シェルミアはゆっくりとイスに座った。

「私の予見って、一体何なの? 知っているんでしょ?」


 イリアスはぐいっと顔を近づけた。

「私は多くの事をお話することができません。ミディウス様がおっしゃった通り、明日わかることは明日にした方がいい。ですがこれだけは知っておいた方がいいでしょう」

シェルミアは一呼吸置いた。

「姫様が見る予見は何一つ偶然なんかではありません。それはすべて姫様の持つ〝魔力〟によって見える未来なのです」


「未来?」


「いえ、正しく言えば、未来になり得る出来事とでもいうのでしょうか。たとえば予見によってそこに見えた出来事も、時に選択すれば違う結果が現れることもありますから。そもそも未来というのは現在の結果の連続なわけですから、現在の知識の変化が未来に影響せざるをえないことだってあるはずですからね。ですが大概は予見のそのままに事が起こる。それが予見なのです。そうティリーナ様はおっしゃっていました」


 そう。シェルミアがこの事を知ったのは、イリアスが生まれる前。ティリーナが亡くなる数日前のことだった。ティリーナの見た最後の予見。それを知ったからこそ、シェルミアはイリアスの付き人となったのだった。


 イリアスは何と言っていいか分からなかった。自分の中に眠る魔力。確かにあるのに、分からない、意識して扱えない、まるで自分のものではないように思う恐怖を、今初めて感じたのだった。

「明日、私は一体どうすればいいの。立志式って、一人前としてトパーズをその身に着けることが許されるという式ではなかったの?」イリアスはその瞳に微かに涙を浮かべていた。


「確かにそれもあります。立志式では姫様のおっしゃる通り、以前お話ししたような、その式にて姫様はトパーズの埋め込まれた指輪を授けられるでしょう。ですが実はそれらに加え、別の目的もあるのです。それは予見の力を持った者が現れた場合のみ起こるもう一つの儀式。姫様はそれを受けなければなりません。成長して、魔力の高くなってきたその日に。それが本来ならば、十八になる時のはずでした。」


そして次にシェルミアからでた言葉は信じ難いものだった。


「そう。魔力が高すぎて…命をけずってしまわぬ前に」


あまりにも衝撃的な言葉の前にイリアスは一瞬言葉を失った。驚きとともに、まさかというかのようにイリアスはシェルミアの目を見たが、冗談ではなさそうだ。いや、冗談であるわけがない。イリアスは恐怖にかられながらも、口に出した「わ…わたしはもうすぐ…死ぬの?」

 その言葉を聞いてシェルミアは慌てて否定した。


「いえいえ! めっそうもございません。そんなことになれば国中の誰もが嘆くことになりますよ。そうならないための、儀式です」


 イリアスは少しほっとしたような、しかしそれでもわからないことはたくさんあった。

「ならなんでもっと早くにやらないの? その…魔力が高くなるのを待ったりしないでもっとずっと早く」


もっともな疑問だった。何故わざわざ危険な状態になってからするのだろうか。しかし、シェ

ルミアはさも残念だというばかりに言い返した。


「それができないのですよ。先程も申し上げた通り、明日にしかわからないことですが、姫様の力がある程度つかないと、できない儀式でもあるのですから。早すぎず、遅すぎず。それ故、ミディウス様は明日に決行を決めたのでしょう」


 ――私の力がある程度つかないとできない? それはつまりどういうこと? だがそこまで

はシェルミアにも説明できるものではなかった。答えは明日に用意されている。明日、きっとお

父様が全てを教えてくれるはず。――予見のことも。


 イリアスは壁にかかっている母の絵を見た。お母様もこの儀式を…。


 イリアスのとるべき道は一つしかなかった。母の顔を見ていれば、こわばっていた緊張の糸も次第にほどけていく。

イリアスはいつの間にかほほ笑んでいた。きっとお母様がついていてくれる。

 もう覚悟は決まった。ゼルセウス様に誓ったのだから、王族として辿るべき道ならば決して避けてはいけない。


「私、儀式を受ける。お母様のように、立派な女王になるために…」


お母様に負けてはいられない。そうイリアスはさらに心の中で言い加えた。街の皆に言われていた母の姿は、どれも偉大なものだった。その母に追いつき、追い越したいと願うイリアスにとって、これは最初の試練かも知れない。


いつしか子は親を超えるものだ。親の背中を見、そしてそれ以上の道を歩む。母のいないイリアスとて例外ではない。いや、いないからこそなんとか理想にまで追いつこうと、必死に生きるのだ。そしていつの間にか、追い越していることに気づくこともなく、大きな存在として成長するのだろう。人間というものは、きっとそういうものなのだ。いや、そうであってほしい。

そう、イリアスが母を超える大きな存在となるのは、もう少し先の話である。

シェルミアは、その姿に満足すると、


「それでは姫様。明日のためにやるべきこともやらなければ」


「え?」イリアスはぶっきらぼうに言った。

「ミディウス様もおっしゃった通り、立志式とはつまり成長の証を国民の皆に披露するもの。以前にお話しましたよね? 姫様がやらなくてはならない、見せなくてはならないことを…」


シェルミアはそう言うが、イリアスは急な展開の連続なばかりに、そんなことがあったのかどうかさえ忘れていた。当然と言えば確かに当然だ。突然今までの当り前な日常が急転すれば誰であろうと一度に多くのことは考えられなくなるだろう。しかしそうは言っていられないのも、イリアスが王族であるがための運命であるとしか言いようがない。


シェルミアが続けた。

「国民の前に、初めて正式に王族として顔を出すのです。王族として、そして王女らしい言葉を残さなくては」


 今までイリアスは、街の者と親しげに話もしていたが、それは一国民であってのことだった。しかし時にはしっかりと、国を背負って立つものにある使命をまっとうしなければならない。頂点が威厳を失った国は滅びの道を辿ってしまうのだ。


 だがそれこそが、イリアスの最も不得意とすることだった。そうたやすいことではない。その上、人の上に立つということが一体どれほどのことなのか、何人が理解できることであろう。それを、たった十七の少女は求められているのだ。


 そうだ…忘れていた。でも…、

「私には…無理だよ!」泣きそうな顔でそう叫びそうになったが、イリアスはなんとか喉のところでその言葉をのみこんだ。


 何を馬鹿なことを、いましがた自分自身で決めたことではないか。その決意だけは揺らいではいけないものだ。イリアスは自分の頭を叩いた。


「…きっと、大丈夫」ほんの小さな声で、イリアスはもう一度自分に言い聞かせた。


プレッシャーが重荷になることはよくある。が…それを抱え、そして乗り越えたものに与えられる力は計り知れない。国の上に立つものに必要な試練とは、まさにそういうことだった。

そしてイリアスは、確かにその階段を一歩ずつ上り始めていた。それはいつも一緒にいたシェルミアにこそ、一番伝わっていることだった。


シェルミアはそのイリアスの姿勢を見ると、そのまま部屋を後にした。その顔に小さな微笑みが浮かべながら…。








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