第四章 ~決意の道標~②
四章続きです。
無邪気な御嬢様。モデルはいません。
翌日、イリアスの考えた〝いいこと〟というのは国中に広まった。
「おい、聞いたか? なんでもイリアス様がお目覚めになったそうだ!」
「ああ。あれから十日も経ってしまったよ。俺はここのところ毎日心配で寝不足ときてる。本当はもう少し早くに目が覚めていたというが、早くいつものようにこの城下街を走って来てくれないものかねえ?」
「さすがのイリアス様もそれは無理だろう。ティリーナ様なんか起きたってずっと部屋から出られなかったって言うじゃないか。だがイリアス様はもう歩くこともできるそうだ。むしろ歴代の女王様よりもすごい方になられるんじゃないか?」
「歴代ってあんた、クレア様とティリーナ様とイリアス様しか見たことないでしょうが。けれど確かにイリアス様はすごい力を持っていらっしゃるのは確かですよ。これでこれからもこの国はきっと安泰でしょうね。ああ、早くお顔が見られればいいのに」
「それが見られるのですよ、それもなんと明日に。そんでもって国全体で壮大にパーティもやるそうなんです。きっとイリアス様の言葉も聞けるに違いない。その上、大サーカスにこれってないほどのご馳走。そんで例の武術大会も開くとか開かないとか……」
「パーティ?」
「ああ。しかしまあ不思議なことに……仮装パーティ、だそうだ」
「………」
国中で広がったイリアスの話題は、人から人へ伝わり、その日は一日中、その話の絶えることがなかった。
つい昨日まで誰もが同じように心配の表情を抱え、暗い雰囲気の漂いつつあった街中も、まるで見違えるようにさんさんとしていて、まるで自分のことのように勝手に祝杯だと酒を煽る者もいたほどだ。
だがそれは、誰もがイリアスのことを思っているという証拠であるに違いなかった。
イリアスの事に加えパーティの話題も同じように広がる中、喜びの声の間に時折疑問の表情もあちらこちらで浮かんでいたが、決して思うままにそういったことを口にするものはいなかった。
自分の部屋から、城下町でのそんな光景を、イリアスは静かに見下ろしていた。
これを思いついた頃からのにやり笑いが絶えずイリアスの顔に浮かんでいた。そこに扉の外からシェルミアの報告がきた。
「姫様、出来上がりました」シェルミアが戸をたたき、失礼しますと言いながら部屋に入ってきた。
その手には大きく、そして細部まで白く輝いて見せるような二枚の、左右一枚ずつの翼が抱えられていた。そう、もちろんそれは飾り物だ。
「わあ、ありがとうシェルミア」
イリアスは喜びの声と共にすぐさま駆け寄り、出来上がったばかりの飾り物の翼を受け取った
リオンの翼と比べるとそれは一回り小さかったが、そこにあるのはあくまで立派な翼だった。
「いやあ、しかし参りましたよ。突然〝翼を作ってくれ〟だなんて。それも明日までに。まあ姫様の頼みですからお作りしましたが。これでも一睡もしないで作ったのですからね。最高の出来だとおもいますよ」
シェルミアもその出来に自分のことながら満足していた。
それはまるで本物のそれと質も形も間違う程にすばらしいものに仕上がり、イリアスが着けても大丈夫なように充分に軽くしていた。そしてシェルミアはそれを着けるために一緒に作った羽織の服も手渡した。
「さすがシェルミアね。これなら完璧よ。でもまさか今日出来上がるとは思わなかったわ」
「そこはまあ、何と言っても姫様のためですから。しかしあの鳥人間のためと考えるといささか癪ですが……」
「そんなこと言わないの。でもホントに本物みたい。着てみてもいいかな?」
イリアスは照れながらシェルミアに聞いてみた。シェルミアはにこりとうなずいて部屋を出た。
イリアスは羽織の肩に翼をしっかりと取り付け、そして袖に腕を通してみた。
サラリとした白いワンピースに合わせた白色の羽織。そして白い翼を背に抱え、そこに立っていたのは…まさしく天使のようだった。
「これなら隣にリオンがいてもおかしくないわね」イリアスは満足気に笑った。
そう。イリアスの考えた〝いいこと〟。それはリオンにもこの国を見せてあげたいということだった。
望んでいるのはそれ以上でも以下でもない、ただリオンに人間というものを見せてあげたいと思っていた。
例え記憶がなくても、今から創る記憶には何一つ嘘はない。もし本当に辛く長い旅に出かけることになるというなら、何か一つ、素晴らしい記憶を持ってその辛さを幸せに変える旅にしたいと願って。
国の皆もこぞって準備に取り掛かっていた。店をもつものはその日一日を楽しむために、二日分の仕事を進め、その間にそれぞれも仮装に使う小道具をいろいろと準備した。
城のものはサーカスの舞台を建てたり、武術大会の会場を設置したり忙しい一日となった。
それはシェルミアの提案だった。
(「鳥人間というのは人間よりも闘いを好む戦士という種族だと書いてありました。どうでしょう。かつてアヌシュミールで伝統的に開催されていた武術大会を復活させてみては? そういうところで体を使うのも良いものと思うのですが…。それに我々兵士にとっても…、願ってもないものでして……確かにこれはわたしのわがままでもありますが」)
そのような伝統があるのを初めて耳にしたイリアスも賛成した。
もちろん様々な配慮をした上での了承だったが、ミディウスにも相談の上で、久しぶりに、かれこれ何百年ぶりだという武術大会の開催に至ったのだった。
それは大々的に国中の強者の耳に入った。
たいそうな賞金もかけられていると聞けば皆腕を揮うチャンスだとばかりに参加者は殺到していった。
しかし大会と雖も、もちろん仮装を施した上でという条件だけは皆頭を悩ましていた。
人数制限もなく、予選大会なるものを行うことによって全ての者が参加できるという内容に加え、当日の参加も受け付けてもらえるという張り紙が大きく張り出され、それが余計に多くのつわものを呼び込むこととなった。
「漁にでること三十年。一本釣りで鍛えた自慢の腕を披露してやるぞ」
「ははは、それなら私だって負けませんよ。二十五年間大木と闘ってきた筋力にかかれば……」
「しかし大会には城の兵士達もでるって言うじゃないか。いくらなんでも経験が違う」
「経験ったって、この国では争い事なんて起きやしないから。実際やれば番狂わせも有り得るぞ」
自慢話も交えながらそういった話はあちらこちらで繰り広げられ、闘いなんかに興味もない者は当日に城の広場にて行われる立食パーティででる料理の話などもしていた。
しかしやはり皆こぞって口にする内容は決まってこの言葉から始まる。
イリアス様に早くお会いしたい
準備は夜中まで続き、日付としてはもはや当日という日になるまで皆忙しく動いていた。
もう少し時間をくれてもいいのに、と言う者は一人もいなかった。
そして少しでも惜しい時間を費やし、寝ずにいた者が準備をし終わる頃には既に、あと少しで朝日が昇るといった時刻にまでなっていた。
朝日が昇ると同時に、ほとんど国の全員が起き始めていた。
例え深夜にまで働いていてもこのような日に寝坊するわけにはいかないと、体が勝手に目覚めを催促したかのようである。
街が日の照らす光によってだんだんとあらわになっていく。さわやかな風が海の方角から吹いてきてなんとも心地の良い日となった。
すぐに街は人でにぎわうほどになった。
そろって何かに扮して街を歩く光景はいささか奇妙なものでもあったが、それはほんの少しの時間だけであって、少し経てば皆むしろ自分の仮装の自慢までするようになった。
中には衣装にこだわり過ぎて、笑いの的になっている者もちらほらといたが、皆楽しそうにその日を迎えられた。
イリアスは皆よりは少しだけ遅れた時間に、それでもイリアスにしてみれば早い方だと言える時間に起きだした。
今日も目覚めの気分は最高だった。
「いよいよだわ」
おもいきり伸びをして、自分はシェルミアの拵えた力作に着替え、腰にぶらさげたポシェットに必要なものを入れ終え、部屋を飛び出した。
そこにはシェルミアが待ち構えていた。
シェルミアは何故か海賊のような格好をしているが、この仮装についてはまったく触れないことにイリアスは決めた。
「おはようございます、姫様、あまりはしゃぐとお体がもちませんよ」かるく頭をさげて、その顔は充分ににこやかに笑って言った。
シェルミアとてイリアスが皆に元気な姿を見せるのを待ちきれないでいるのだ。
「おはよう。でも大丈夫。ほら、もうこんなに動けるわ」イリアスも笑顔を返し、その場でくるりと回って見せた。背中の翼がふわりとそこに舞う。
「ハハハ、姫様にはかないませんな。もう指輪に負けない程とは。ですが過信しすぎは禁物ですからね、その事を十分に肝に命じて……」
シェルミアがそう言い終わるまえに、イリアスはもうリオンの部屋へと走り出していた。
「まったく」その後ろ姿を見ながらシェルミアは苦笑いでその後を追った。
イリアスの部屋からリオンのいる部屋まではそう遠くなかった。むしろ一つ隣である。が、可笑しいのはその隣というのが、吹き抜けのこの回廊の丁度向い側だということだろうか。
「リオンおはよう!」
イリアスはいつにも増して元気にそう言いながら勢いよく部屋に入った。だがそこにリオンの姿はなかったことにすぐに気がついた。
「リオ…ン?」
窓が開いていた。
そこになびく布がイリアスの目に留まる。イリアスはすぐに窓に駆け寄った。
そこから見えるのはイリアスの部屋と同じ、街の景色だけだった。誰もが思うことだろう。そこに彼の姿が無ければ。イリアスの胸が急に苦しくなって、不安が高まった。
だがそれはイリアスの早とちりだった。
シェルミアが後から部屋に入り、すぐさまイリアスの隣から外をよく見回し、そしてあるところで目がとまると、半ば呆れた口調で笑った。
「あなたがた二人とも、すごい生命力をお持ちのようだ……」
イリアスはすぐにシェルミアの視線の先を追った。
リオンはそこからすぐ下の塀の上に立ち、ゆっくりとその世界を見ていたのだった。そこには無邪気な少年が不器用に感慨深くなっている、まさにそんな雰囲気だった。
イリアスはほっと胸を撫で下ろし、叫んだ。「リオン! おはよう!」
リオンはそこで初めてイリアスの存在に気づいた。
振り向くと、イリアスもリオンと同じように窓から飛び降りていた。
勿論この時シェルミアが慌てたのは言うまでもない。
だがそんなことはお構いなしに、危なげながらも堀の上に飛び乗った。
まだ体が完全に言う事を聞いているわけでもないのに、そんなことをされれば、シェルミアの立場から見ればたまったものではない。
よろめきながらも慎重に、ゆっくりとイリアスが近づいてきた。
「これがあんたのやりたいことか?」
イリアスのその姿には目もくれず、街の人々を見下ろしながら冷静に言った。
皆が皆、様々な衣装に身を包まれ、これなら例えば、もしも本当に異様な者が紛れ込んでいたとしても、決して騒ぎになることがないだろう。
「ええそうよ。驚いた?」イリアスも同じように街の皆を見下ろした。
「……いや」
期待していた答えは返ってこず、イリアスは少しがっかりして肩を落とした。
「だが――」リオンはそこで言葉を切った。どこからか風が吹いてくる。その風を体いっぱいで感じていた。リオンは天を見上げた。
「空が……青いな」
イリアスはその言葉で先の感情は消えた。
そしてもう一つ良いことがあったとすれば、それはすぐ横に、ふと見ればリオンの笑顔があったことだろうか。
イリアスの初めてみた笑顔だった。
例えそれがぱっとしない、小さな微笑みだったとしても、その意味は限りなく大きなものだったに違いない。
だがリオンはそんなイリアスの気持ちを微塵も考えることなく、すっとそこから降りてしまった。
無表情に戻ったリオンは、イリアスとのすれ違いざまに「だが…それだけだ…」とぼやいた。
一瞬でも心が開いたと期待したイリアスだが、そう簡単にはいかないようだ。
だが一筋縄ではいかないこの男の心を、なんとか動かしたいと思う気持ちは一層強くなっていった。
心を変えることはできずとも、動かすことはきっとできる。そうイリアスは思っていたのだ。
この時の天はやはりイリアスに味方していたのだろう。
イリアスは風を感じた。二人の後ろから、それはまるで何かを後押しするように綺麗な風が吹き――イリアスは走った。
「行こう!」
イリアスはパッとリオンの手をとった。
「お、おい、俺は……」
だがその時はイリアスの方が意志の力に差があったせいか、半ば強引にではあるが、二人は城の演壇へと向かったのだった。
次で第四章が終わります。
作者としては第五章から面白くなるのではないだろうかと思っております。
もっと読者をひきつける入りの文章を磨きたいものです。