第9話 謁見中の持ち出しはご遠慮ください
「勇者が正門に来ています」
その報告に、俺は手帳から顔を上げた。
「正門に?」
「はい」
「壁の横ではなく?」
「受付に並んでいます」
俺はゴルド監督を見た。
監督も俺を見た。
しばらくして、二人でうなずいた。
「成果ですね」
「ああ」
修繕の効果は、壁以外にも出ているらしい。
*
勇者は、ちゃんと受付を済ませていた。
訪問目的は『魔王との面会』。
剣は門番へ預けてある。
靴も、普通に歩いている分には問題なさそうだった。
「先日は、ありがとうございました」
金色の髪の青年が頭を下げる。
「今日は扉を使ったんですね」
「全部です」
俺はうなずいた。
言ったことを覚えてくれている。
それだけで、少し嬉しかった。
廊下を案内していると、勇者が壁の角を見た。
俺も見た。
勇者は前を向いた。
まだ、油断はしない方がよさそうだった。
「魔王様に、何のご相談ですか?」
「南の街道で通行証が手に入らなくて。城で発行している物らしいので、聞きに来ました」
「なるほど」
まともな用事だった。
俺は少し安心した。
*
玉座の間では、元の大きな椅子が使われていた。
問題の箇所は職人と魔術担当が手を入れ、点検も済んでいる。
下へ入り込めないよう、格子も取り付けた。
その上に、魔王様が座っていた。
大きな角。
黒い外套。
肘掛けに置かれた両腕。
やはり、休憩用の椅子とは違う。
俺が勇者を広間の中央へ案内すると、魔王様はゆっくり顔を上げた。
「よくぞ来た、勇者よ」
低い声が響く。
勇者が俺へ、小声で尋ねた。
「お話、長い方ですか?」
「多少は。謁見ですから」
「そうですか」
少し嬉しそうだった。
相談する時間が取れると思ったのだろう。
俺は一歩下がった。
「幾多の試練を越え、我が城へ至ったその力――」
勇者が右を向いた。
そのまま、歩き出した。
俺は首を傾げた。
「――人の世が貴様へ託した願い、その重さを――」
勇者が、壁際の宝箱の前にしゃがむ。
蓋に手をかけた。
がちゃ。
「ちょっと」
中をのぞき込む。
「薬ですね」
「閉めてください」
勇者は小瓶を一本、取り出した。
魔王様の目だけが、そちらへ動いた。
「――知ったうえで、余は貴様に問おう」
俺は駆け寄り、勇者の肩へ手を伸ばした。
触れた、と思った。
指が滑った。
鎧の表面をなぞるように、手が横へ流れる。
もう一度、つかむ。
つかめない。
勇者は困った顔で、こちらを見た。
「今は、たぶん無理です」
「何がです?」
「止めるのが」
俺は、自分の手を見た。
嫌な言い方だった。
*
リゼさんが近づいてきた。
「その小瓶を、元へお戻しください」
勇者は小瓶を見た。
宝箱を見る。
「開いたんですが」
「保管しておりますので、開きます」
俺はうなずいた。
とても正しい説明だった。
勇者は小瓶を持ったまま、隣の宝箱へ移った。
「――貴様の歩んだ道が、真に正義であったと――」
魔王様は、まだ話している。
声は堂々としていた。
ただし、顔は正面を向いたまま。
動くのは目だけだった。
がちゃ。
「こっちは金貨です」
「閉めてください」
俺とリゼさんの声が重なった。
勇者が袋を持ち上げる。
魔王様の目が、それを追った。
肘掛けを握る指に、力が入っている。
俺は玉座の前へ戻った。
「魔王様。いったん、お話を止めていただけますか」
「――しかし、余の言葉に耳を傾けるならば」
魔王様の眉が動いた。
口元が、わずかに引きつる。
自分でも、止めようとしているらしい。
「――貴様に、最後の選択を与えよう」
リゼさんが横へ立った。
「魔王様、聞こえていらっしゃいますか」
赤い目が、こちらを向く。
「余の配下となれ、勇者よ」
勇者は二袋目の金貨を持ち上げた。
配下になる態度には見えなかった。
「さすれば、国の半分を――」
リゼさんの目が細くなった。
「そちらは、事前に伺っておりません」
魔王様の指が震えた。
俺は慌てて口を挟んだ。
「今の発言も、本人の意思ではないと思います」
リゼさんは魔王様を見た。
それから、静かにうなずいた。
「承知しました。保留といたします」
魔王様の目が、ほんの少し閉じられた。
*
演説が終わった。
俺はすぐに玉座へ近づいた。
「魔王様」
返事はない。
魔王様は前を向いたまま、動かなかった。
勇者は三つ目の宝箱へ向かっている。
「話は終わりましたよね?」
「まだ選んでいないので」
勇者が答えた。
「何を?」
「配下になるか、断るか」
「では、選んでください」
「少し待ってください。まだ奥を見ていません」
リゼさんの手元で、紙が小さく鳴った。
俺は広間の入口へ走った。
廊下では、ゴルド監督たちが扉の留め金を点検していた。
「監督!」
「どうした」
「勇者が、止められません」
監督は俺の顔を見た。
工具を置き、すぐに立ち上がった。
*
広間へ入ると、監督は一通り見渡した。
動かない魔王様。
開いた宝箱。
金貨の袋を持った勇者。
「何をしている」
「取れる物を確認しています」
監督が、勇者の肩へ手を置こうとした。
滑った。
自分の手を見る。
もう一度、試す。
やはり、つかめない。
「なるほど」
納得するのが早かった。
俺は説明した。
「会話が続いている間、勇者に触れられないようです。魔王様の方は、動けません」
「本人に終わらせろ」
「まだ宝箱を見たいそうです」
監督が勇者を見た。
勇者は少し目をそらした。
金貨は、持ったままだった。
会話の最中に攻撃され、操作できないまま倒される。
それを防ぐため、話しかけた側を無敵にする。
前の仕事で、似た仕組みを見たことがあった。
ただ、普通は会話中に歩き回れない。
相手だけを待たせ、自分は宝箱を開けられる仕様なら、直してほしいという報告を書く。
今は、その相手が目の前で金貨を握っていた。
*
勇者が広間の奥へ移動した。
柱の陰へ入る。
魔王様の肩が、小さく動いた。
俺は玉座を見た。
「勇者さん。そこで止まってください」
勇者が顔を出す。
魔王様の肩が止まった。
俺は監督を見た。
監督も、今のを見ていた。
「隠せばいいのか」
「視線が切れると、拘束が緩むのかもしれません」
もう一度、柱の裏へ入ってもらう。
魔王様の指が、少し開いた。
ただ、すぐにまた固まる。
柱だけでは、隠れきらないらしい。
監督が入口を振り返った。
「衝立を持ってくる」
*
廊下の工事に使っていた衝立を、台車に載せた。
大きな木枠に、厚い布を張った物だ。
木屑や埃が通路へ飛ばないよう、職人たちが置いていた。
トトが台車を押し、監督が上を支える。
俺は進路を空けた。
「何をするんです?」
勇者が尋ねた。
「会話の確認です。そのままで」
「金貨は?」
「置いてください」
「まだ確認が」
「置いてください」
台車が広間の中央へ進んだ。
魔王様と勇者の間へ、布の壁が入る。
俺は玉座を見た。
魔王様の目が動く。
指が開く。
次の瞬間、深く息が吐き出された。
「――返せ」
監督の手が、勇者の襟首をつかんだ。
今度は、滑らなかった。
*
勇者は、広間の隅の椅子に座った。
前には、小瓶が一本。
金貨の袋が二つ。
装飾用の短剣が一本。
俺が衝立を運んでいる間に、増えていた。
リゼさんが目録と照らし合わせる。
監督は勇者の横に立っていた。
「何をしていた」
「取れる物の確認を」
「盗みだ」
勇者が顔を上げた。
「……こちらでは、そういう扱いですか」
「どちらでもだ」
勇者は机の上を見た。
それから、宝箱を見た。
「開く宝箱に入っていたので」
「他人の家にある箱は、開けても他人の物です」
俺が言うと、彼は黙った。
本当に考えている様子だった。
やがて、頭が下がる。
「すみませんでした」
魔王様は向かいに座っていた。
今は、普通に動けている。
小瓶を手に取り、蓋を確かめた。
「これは、余の喉薬だ」
勇者が、もう一度頭を下げた。
「長く話すと、喉を傷めるのでな」
俺は魔王様を見た。
魔王様も俺を見た。
リゼさんが、小瓶を預かった。
*
通行証については、担当部署へ問い合わせることになった。
勇者は用紙に必要事項を書いている。
最初から、ここへ案内すればよかったのかもしれない。
「次から、話をするために来たのなら、話をせよ」
魔王様が言った。
「はい」
「余が話している間もだ」
「……はい」
勇者は両手を膝に置いた。
リゼさんが記入済みの用紙を受け取る。
「面会の際は、宝箱も施錠するよう手配いたします」
「頼む」
魔王様はうなずいた。
それから、肘掛けに置いた手を見た。
「余も、次から挨拶を短くする」
リゼさんが顔を上げる。
「どの程度になさいますか」
魔王様は少し考えた。
宝箱を見る。
リゼさんが預かった喉薬を見る。
「……来たか」
リゼさんはうなずいた。
「それで十分かと」
*
勇者を正門へ見送る途中、俺は念を押した。
「次に来るときも、受付を通ってください」
「はい」
「宝箱は、勝手に開けないでください」
「分かりました」
「会話の途中で歩き回るのも、やめてください」
勇者はうなずいた。
その視線が、廊下の脇へ動く。
古い飾り壺が置いてあった。
俺は足を止めた。
勇者も止まった。
「……あれは?」
「壺です」
「中に何か」
「入っていても、こちらの物です」
勇者は、前を向いた。
俺たちはまた歩き始めた。
正門まで、まだ二十分ほどあった。




