第14話 黒天の覇王といろえんぴつ
魔王様が、四歩後ろをついてくる。
俺が止まると、止まる。
右へ曲がれば、右へ曲がる。
廊下の真ん中で足を止め、振り返った。
黒い礼服。
大きな角。
広い肩から落ちる、重厚な外套。
いつもの威厳ある姿だった。
その左手は、小さな女の子とつながっている。
「……ご自分では、止まれないんですか」
魔王様は苦い顔でうなずいた。
「先ほどから、試している」
女の子が父親を見上げる。
「お父様、お散歩たのしい?」
魔王様の表情が、一瞬で変わった。
「無論だとも」
俺は手帳を開いた。
*
少し前。
俺は中庭で、敷石の仕上がりを確かめていた。
噴水の脇に、一枚だけ浮いている石があった。
昨日、職人が土を詰め直している。
今日はその確認だ。
踏んでも揺れず、隣の石とも高さがそろっている。
板を当てて調べていると、背後で小さな声がした。
「なにしてるの?」
振り返る。
黒い髪の女の子が、膝へ手をついて作業をのぞいていた。
淡い紫色の服。
髪の間から、小さな角が二本。
背中には、丸みのある黒い翼。
その後ろに、魔王様が立っていた。
「邪魔をしてはならぬ」
そう言いながら、娘が前へ屈むと、すぐに背中へ手を添える。
俺は立ち上がり、頭を下げた。
「余の娘だ。リリアという」
「リリアです」
女の子が服の裾をつまみ、小さく膝を曲げた。
少しよろける。
魔王様が支える。
何事もなかったように、挨拶が終わった。
俺も、そのつもりで答えた。
「施工班のシュウです」
「しゅう」
リリア様が繰り返す。
「お城をなおす人?」
「はい。今日は、この石を調べています」
俺が示すと、彼女はしゃがんだ。
魔王様も、しゃがんだ。
「ここ、ぐらぐらしてたの」
「知っていたんですか?」
「踏むと、かたんってなる」
魔王様が俺を見た。
「今は直っています。確認中です」
俺は慌てて答えた。
リリア様が、小さな靴で踏む。
動かない。
もう一度、踏む。
やはり動かない。
少し残念そうだった。
「遊ぶ石ではないのだぞ」
魔王様が優しく言う。
「うん」
彼女はうなずき、俺を見た。
「ありがとう、しゅう」
「どういたしまして」
そのとき、廊下からリゼさんが来た。
片腕には書類。
もう片方の手には、小さな籠。
花柄の水筒がのぞいている。
「魔王様。ご面談のお時間が近づいております」
魔王様が、ゆっくり顔を上げた。
「……もうか」
リリア様が袖をつかむ。
「温室、いっしょに行くって」
魔王様は黙った。
リゼさんが懐中時計を見る。
俺は敷石へ板を当てた。
高さは、もう分かっていた。
*
俺も、このあと温室脇の通路を確認する予定だった。
そこで、声をかけた。
「リリア様を温室までお送りしましょうか。ちょうど、そちらで仕事がありますので」
魔王様が顔を上げる。
「よいのか」
「はい」
「では、温室まで頼む」
「分かりました」
うなずいた瞬間、頭の中で音がした。
ちりん。
受付の呼び鈴のような、軽い音だった。
俺は周りを見た。
鈴はない。
リゼさんも、気づいていない様子だ。
魔王様が、娘の手を握った。
「父は仕事を済ませてから――」
言いかけて、一歩こちらへ近づいた。
俺は場所を空けようと下がった。
魔王様も進む。
俺が止まると、魔王様も止まった。
「……魔王様?」
魔王様は足元を見ていた。
「そちらへ行くつもりでは、なかったのだが」
俺は右へ二歩動いた。
魔王様がついてきた。
娘の手を握ったまま。
俺は左へ戻った。
魔王様も戻った。
リリア様が笑った。
「お父様も、いっしょ?」
魔王様は少し黙った。
「……そうなった」
*
リゼさんへ、起きたことを説明した。
案内を引き受けた瞬間、鈴の音がした。
それから、魔王様が俺のあとをついてくる。
離れようとしても、自分の足がこちらへ向くという。
「余は、娘を頼んだのだが」
「俺も、そのつもりでお受けしました」
ゲームには、人を目的地まで連れていく依頼がある。
引き受けると、その人物が一定の距離を保ってついてくる。
今の動きは、それによく似ていた。
ただし、連れていく相手を間違えている。
「案内する対象が、リリア様ではなく、魔王様になったのかもしれません」
リゼさんは魔王様を見た。
魔王様は俺を見た。
俺は確かめた。
「ここで、お待ちいただけますか」
「待とう」
二歩進む。
魔王様の足が動いた。
本人が、自分の脚を見下ろす。
「待てぬな」
「そうですね」
リリア様だけが、楽しそうについてきた。
リゼさんが予定表を開く。
「ご面談を十五分後ろへ移します」
「すまぬ」
俺は温室の方を見た。
「ひとまず、目的地まで行ってみましょう。案内が終われば、止まるかもしれません」
*
俺が先頭。
四歩後ろに、魔王様とリリア様。
その後ろから、リゼさん。
噴水脇にいたトトが顔を上げた。
俺を見る。
魔王様を見る。
もう一度、俺を見た。
「……お前、出世したな」
「違う」
「魔王様を従えて歩いてる」
「違うから」
トトが口元を押さえた。
俺は助けを求めて見たが、肩を震わせているだけだった。
そのまま曲がり角へ進む。
後ろを振り返ると、リリア様が小走りになっていた。
魔王様の歩幅は、彼女には大きすぎる。
俺は足を止めた。
魔王様も止まる。
リリア様が、父親の手を握ったまま息をついた。
魔王様はすぐに膝をつく。
「足は痛くないか」
「ちょっと、はやい」
俺は頭を下げた。
「すみません。ゆっくり歩きます」
魔王様がうなずき、娘の手を握り直した。
「急がずとも、花は逃げぬ」
リリア様が笑った。
俺は手帳を鞄へしまった。
歩き方の記録より、後ろの二人を見ている方が大事だった。
*
温室の手前には、花壇を守るための柵があった。
人が一人ずつ通れる隙間を抜ける。
後ろを振り返る。
魔王様が来た。
途中で止まった。
また一歩、進もうとする。
外套の金具が、柵に引っかかっていた。
「少々、待て」
魔王様が後ろへ下がる。
だが、すぐに足が前へ出た。
外套が張る。
俺は慌てて引き返した。
すると魔王様も、俺の方へ向き直ろうとした。
柵が、ぎしりと鳴った。
俺は足を止めた。
「俺が動かない方がいいですね」
「そうしてくれ」
リゼさんが、外套の留め具を外した。
重い布を受け止め、金具を柵から外す。
ようやく魔王様の肩が自由になった。
リリア様が父親を見上げる。
「お父様、ひっかかったの?」
「少しな」
魔王様は狭い隙間を見た。
「この道は、余には狭い」
「普段は、反対側の入口をお使いですので」
リゼさんが答える。
温室の向こうには、大きな扉があった。
最初から、そちらへ回ればよかった。
リリア様が俺を見た。
「しゅうも、おさんぽ初めて?」
「……この道は、初めてです」
彼女は少し誇らしそうにうなずいた。
「こっちはね、ちょうちょがいるの」
今度は彼女に道を教わりながら、広い入口へ回った。
*
温室には、湿った土と花の匂いが満ちていた。
リリア様が目を輝かせる。
「お父様、あっち」
黄色い花が並んでいる。
魔王様はそちらを向いた。
足は、俺の方へ動いた。
俺はすぐに花壇のそばへ移った。
魔王様も来る。
リリア様が、花へ顔を近づけた。
小さな翼が、一度ぱたんと動いた。
俺は少し離れてみた。
魔王様が動きかける。
慌てて戻った。
「到着したな」
「はい」
「まだ、ついていくのか」
「……終わっていないようです」
リゼさんが時計を見た。
俺は温室を見回した。
建物へ入るだけでは、案内が終わったことにならないらしい。
奥には、小さな卓と椅子。
色鉛筆と紙が用意されていた。
俺はリゼさんの籠を見た。
水筒。
布に包まれた菓子らしい物。
「今日は、こちらで何をなさる予定だったんですか」
「花を描くの」
リリア様が答えた。
「お父様と」
魔王様が、わずかに目を伏せた。
俺は卓を見た。
温室へ連れてくるだけでなく、予定していた場所まで案内する必要があるのかもしれない。
「奥のお席まで、ご案内します」
魔王様がうなずいた。
俺が卓へ歩くと、二人がついてくる。
大きい椅子を引いた。
「こちらへどうぞ」
魔王様が座る。
ちりん。
頭の中で、もう一度鈴が鳴った。
俺は一歩離れた。
魔王様は動かない。
もう一歩。
座ったままだった。
魔王様が自分の膝を見てから、顔を上げる。
「……終わったか」
「終わりました」
リゼさんが静かに息を吐いた。
俺も息を吐く。
どうやら、ここまで案内して初めて完了になるらしい。
魔王様は立ち上がろうとした。
小さな手が、その袖をつかんだ。
「お父様」
魔王様が止まった。
今度は、不具合ではなかった。
*
リリア様は、黄色い色鉛筆を持っていた。
「これ、かくの」
花と同じ色だった。
魔王様は娘を見た。
紙を見た。
それから、リゼさんへ目を向ける。
リゼさんは予定表を確かめ、閉じた。
「先方の到着も遅れております。あと十分ほどでしたら」
魔王様が座り直した。
「そうか」
リリア様が隣の椅子へよじ登ろうとする。
魔王様が抱き上げ、座らせた。
黄色い色鉛筆が紙を走る。
丸い花びらが、幾つも描かれていく。
「どう?」
「見事だ」
即答だった。
リリア様は笑い、黒い色鉛筆へ持ち替えた。
丸を描く。
角を二本。
大きな翼。
魔王様だった。
俺は少し離れた所で、作業記録をまとめた。
リゼさんが隣へ来る。
「お疲れさまでした」
「いえ。リリア様には、たくさん歩かせてしまいました」
「お父様と一緒だと、いつもより張り切られますので」
二人で卓を見た。
魔王様が色鉛筆を渡されていた。
太い指で、慎重につまむ。
「何を描けばよい」
「お父様のすきなもの」
魔王様は少し考えた。
小さな丸。
髪。
角を二本。
丸い翼。
リリア様が自分を指す。
「わたし?」
「うむ」
彼女は笑い、父親の腕へ抱きついた。
魔王様は色鉛筆を置き、娘の背中へ手を回した。
俺は書く手を止めた。
この場面まで、記録する必要はなかった。
*
仕事へ戻る前に、リリア様が俺を呼んだ。
紙を一枚、両手で差し出す。
俺と魔王様と、リリア様が描かれていた。
三人で手をつないでいる。
「しゅう、ありがとう」
俺は紙を受け取った。
「こちらこそ。道を教えていただいて、助かりました」
「また、いっしょに行こうね」
魔王様が、静かにこちらを見た。
俺は言葉を選んだ。
「次は、皆さんのお時間があるときに」
魔王様がうなずく。
リゼさんも、うなずいた。
俺は絵が折れないよう、書類の間へ挟んだ。
*
温室の外で、トトに会った。
花壇の縁を直していたらしい。
俺の後ろをのぞき込む。
「お付きの人は?」
「魔王様だぞ」
「もう、ついてこねえの?」
「解決した」
トトは、少し残念そうだった。
俺は無視して歩き出した。
そのとき、温室から声が聞こえた。
「リリア。そろそろ、父は仕事へ」
「まって。あと、おひげ」
窓の向こうで、リリア様が絵に線を足していた。
魔王様の顔に、立派な髭が生えていく。
本人は椅子へ座り直した。
トトが俺を見る。
「まだ、終わってねえみたいだけど」
俺は首を振った。
「あれは、本人の意思だ」
窓の向こうで、黒天の覇王が娘の差し出した色鉛筆を受け取っていた。




