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嘘をつくと精霊の罰が下るそうですよ? ~義妹に婚約者を奪われたので、搾取する家族を見限ります~

作者: 杓子ねこ
掲載日:2026/07/21

「ライサお姉様。トーマス様はね、お姉様とは結婚したくないって。お姉様との婚約は破棄して、あたしと結婚するそうよ」

 

 王宮の広間で、私に向かい歪んだ笑顔を向けているのは、私の異母妹いもうと、ヘルミナ・ティアニー。ティアニー伯爵家の次女。

 そのヘルミナを抱きよせ、興奮に顔を赤らめているのは、私の婚約者だったはずの人、トーマス・ダストン。ダストン伯爵家の三男だ。

 

「そうだ。ライサ、ぼくはお前との婚約を破棄し、ヘルミナと結婚する!」

「わかったかしら。お姉様、いままでご苦労様」

 

 信じられないような台詞が耳に届く。

 けれど、私――ライサ・ティアニーは、背すじをのばし、まっすぐに彼らを見据えていた。

 せめて表情を変えないことが、私のプライドだ。

 

 ようやく自由になれると思ったのに。

 

 よぎったのはそんな言葉。

 いえ、でも、心のどこかで私はわかっていた。ジヴェルの言うことは正しいのかもしれない、と。

 

 だから私は落ち着いて、嘲笑う彼らに言うことができる。

 

「わかりました。婚約破棄をお受けします。そのかわり、誓約書を返してください」

 

 と。



***



 依頼品の櫛に、艶を出すためのヤスリをかける。櫛を持ち上げ、わずかに差し込む日の光にすかしてみると、良い香りの木材でできた櫛は滑らかな表面をキラキラと輝かせ、木目も美しい。

 柄の中央には小さな赤い魔石が、こちらも日の光を跳ね返して光っていた。

 

「うん、これなら精霊たちも気に入ってくれるに違いないわ」

 

 私がそう頷いて、クッションを敷いた小箱に櫛を収めた時だった。

 

 まるで見計らったかのように、ヘルミナが現れる。

 ヘルミナはノックもせずにいきなり私の部屋のドアを開け、ズカズカと踏み入ってきた。

 

「ライサお姉様。ベルモット公爵夫人に頼まれた櫛はできた? あの方は長い黒髪が自慢だから、ティアニー家の印の入った櫛が喉から手が出るほど欲しいのよ」

「……ええ、できたわ」

「お姉さまの作った魔道具は妙に高値で売れるものね。国王陛下からもお褒めの言葉をいただくほどだもの」

 

 私は小箱の蓋を閉めたけれど、ヘルミナには渡さなかった。

 

 この櫛はベルモット公爵夫人に売られるが、私にはなんの報酬も与えられない。

 そのかわり、私はヘルミナとひとつの約束をしている。

 

「わかっているわよ」

 

 視線を送る私の言いたいことを察したのか、ヘルミナが面倒くさそうに舌打ちをした。

 

「お金が十分に貯まったら、お姉様が当主となることに同意するわ」

 

 まるで幼い子どものワガママをたしなめるように、ヘルミナは肩をすくめてみせる。

 ヘルミナの言い分では、私が当主になれば継母おかあさま異母妹ヘルミナを冷遇するだろうから、もし屋敷を追いだされても生きていけるように、お金が欲しい、ということだった。

 

「ちゃんと誓約書も書いたでしょ? お姉様の大好きな精霊の名に誓って」

「……そうね」

 

 私はヘルミナに小箱を渡し、うつむいた。言いたいことは色々あるけれど、言葉にしたところでどうしようもないこともわかっている。

 この約束が私をただ働きさせるための方便だとはわかっていても、精霊に誓う書面を認めた時点で、これは正式な契約だ。だから私にできるのは、粛々と従うことだけ。

 

 小箱を手に持ち、ドアを出ようとしたところで、ヘルミナがぼそりとつぶやいた。

 

「なにが精霊よ。気持ち悪い」

 

 吐き捨てるような声色とともに、ドアはバタンと大きな音を立てて閉まった。

 

「……」

 

 私はため息をついて、クローゼットからある物を取り出した。

 

 それは、小さな箱型のオルゴール。

 

 開いた手に乗るくらいの大きさで、宝石箱のような見た目をしている。蓋を開けると中の歯車が回転を始め、子守歌を奏でる――はずだったもの。

 

 過去形なのは、壊れてしまっているからだ。

 

 先ほどまで櫛を作っていたテーブルに今度はオルゴールをのせる。

 

 蓋を開け、底板を外して歯車を覗き込む。

 錆は取り除き、歯車どうしが噛み合うようにもした。メロディの刻まれた金属板も欠けてはいない。

 なのに鳴らないのは、これが魔道具だから。

 

 嵌め込まれた魔石には傷がついている。その傷を撫で、私は眉を寄せた。

 この傷は、ヘルミナにつけられたもの。

 

 母が亡くなったのは、私が六歳の時だった。

 病弱だった母は、自分が長くないことを察していたのだろう。私が少しでも寂しさを紛らわせるようにと、このオルゴールを贈ってくれた。

 

 そして――お母様が亡くなって一年もたたずに、新しいお母様と半分だけ血のつながった妹がやってきた。

 気持ちの整理がつかず、部屋に閉じこもってオルゴールばかり聞いている私に、ヘルミナは苛立った。

 

『それがほしいの!』

『だめよ、ヘルミナ! 返して! ――ああっ!』

 

 オルゴールを欲しがったヘルミナは、私が拒絶するとかんしゃくを起こし、私の手から奪い取ったオルゴールを床へ叩きつけた――。

 

「またオルゴールを直しているのか、ライサ」

 

 背後からかけられた声に、私は顔をあげて振り向いた。

 

 いつの間にか夜の闇が、窓辺に忍び寄っている。

 その闇が薄く開けた窓からするりと入り込んできた、と思う間に、それは猫の形になる。

 

 左右それぞれ金と紫というめずらしい組み合わせの瞳を持つ黒猫。

 彼の名を、ジヴェルという。

 

 そしていま私に話しかけたのも、このジヴェルだ。

 

「もう直せるところはすべて直したのよ。あとは魔石を入れ替えるしか……」

 

 けれど魔石を入れ替えれば、お母様が込めてくれた魔力の痕跡もなくなる。魔道具にとって魔石の交換というのは、まっさらに生まれ変わることに等しい。 

 

「やめておけ。その魔石は弱っているが、まだ生きている。結論を出すのは早い」

 

 ジヴェルの言葉に私はほほえんだ。

 

「そうよね。精霊が言うんだから間違いないわ」

「ああ。精霊は嘘を嫌う。私も嘘はつかぬ。ところで、ライサ。まだ私の妻にはならぬのか」

 

 四本の足をそろえて優雅に座る黒猫の、まるで大貴族のように鷹揚な口調に、私は思わず笑ってしまいそうになるのをこらえる。

 

「ええ、婚約者がいますから」

 

 そう答えると、ジヴェルは不満げに尻尾で窓を叩いた。

 

「その婚約者とやらは、私よりライサを幸せにできるとは思えんがな」

 

 ジヴェルは呆れたように室内を見回した。

 

 私が住まわされているのは使用人用の区画の、それも一番日当たりの悪い部屋だ。

 それに、オルゴールに集中していて気づかなかったけれど、とっくに夕食の時間は過ぎている。

 

 素直に櫛を渡さずヘルミナの気分を害したから、今夜は食事抜きということらしい。

 それでも叩かれたり足蹴にされたりしなかったぶん、今日はましなほう。

 

 お義母様とヘルミナがやってきてから、私は使用人以下の扱いを受けている。お父様は家政が忙しいと見て見ぬふりで、ふたりを止めてくださらない。

 

「トーマスはこのことを知らないの」

 

 ティアニー伯爵家には娘がふたりしかいない。

 私の婚約者であるトーマス・ダストンは、ダストン伯爵家の三男。うちへ婿養子に来てくれることで話が決まっている。

 

 いくらお義母様やヘルミナが文句を言ったところで、貴族のしきたりはそれよりも強い。

 

「私がティアニー家を継げば、この扱いは収まるわ」

 

 窓から降りて私の足元へきたジヴェルを抱きあげ、艶のある毛並みを堪能させてもらう。

 夜しか現れないのに、ジヴェルはあたたかくてお日様の香りがする。

 

「ライサは……出会った時からそうだったな。周囲に惑わされず、正しさを知っている。だから私を助けてくれた」

 

 自分から私の手のひらに頭を擦りつけて、ジヴェルは言う。

 

 ジヴェルは家の庭に捨てられていた黒猫だった。

 酷い傷を負い、息も絶え絶えだった彼を、私は寝ずに看病した。

 

『いやだ、汚い黒猫』

『病気が移るわ』

 

 お義母様やヘルミナは顔をしかめて嫌がった。ヘルミナなどは、わざわざ私の部屋まで来て石を投げた。

 結局その石は私にあたって、ジヴェルには当たらずにすんだけれど。

 

 ガツンと鈍い音と私の悲鳴を聞いて、ジヴェルはうっすらと目を開けた。

 私はその時初めて、ジヴェルの美しいオッドアイを見た。痛みも忘れて見惚れたのを覚えている。

 

『……なぜ、私を助けた?』

 

 ジヴェルに話しかけられた時も、驚きはなかった。

 こんなに美しくて神秘的な猫なのだから、ただの野良猫ではないような気がしていたのだ。

 

『あなたが傷ついていたから』

 

 それだけよ、と告げれば、黒猫は納得したように目を閉じ、私の手に頭を擦りつけた。

 いまジヴェルがそうしているように。

 

 ジヴェルを助けたあと、私は彼が精霊であることを知り、いろいろなことを教えてもらった。

 魔道具は魔力だけでなく、見えない小さな精霊の助けを借りて動いていること。だから精霊に気に入ってもらえるよう心を込めて作ることが、魔道具の質の向上にもつながる。

 

 私は特別なことをしているわけではない。

 ただ、手を抜かずにいいものを作り、どんな精霊がいっしょにこの魔道具を使ってくれるのかと想像しているだけだ。

 

 けれど、お義母様やヘルミナは私の言葉を信じなかった。

 

『精霊と話すことができる? ……やだ、お姉様ったら。ついにおかしくなってしまったの?』

『そこまでして人の気を引きたいのかしら。嫌な子ね』

『子どもでも信じないお伽話を騙って、聖女にでもなったつもり?』

 

 嘘じゃない、と訴える私の髪をつかんで引っ張り、ヘルミナは私の顔を覗き込んだ。

 

『嘘をつくと精霊の罰が下るそうよ?』

 

 そして、私の扱いは使用人よりももっと悪くなってしまったのだった。

 

「あの時はライサを助けるための力がなく、力を取り戻したいまとなってはライサには別の誓約が……やれやれ」

 

 ぼそりと呟いたジヴェルは、人間臭い仕草で猫の頭を左右に振った。私はまた笑いを堪えなければならなかった。

 ジヴェルがいてくれるから、この厳しい生活にも耐えることができている。

 

「私が出れば話も早かろうが……精霊は掟でがんじがらめでな、気軽に人間とは語り合えぬのだ。すまぬ」

 

 ジヴェルの耳がへたりと伏せる。責任を感じているらしい。

 

「いいえ、その気持ちだけで十分よ」

 

 伏せた耳を励ますように、根本から尖った耳の先へと撫でると、ジヴェルは気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 

「そのひたむきさ、強さが、精霊を惹きつけるのだ。私も含めてな」

「ふふ、ありがとう」

 

 私のことを認めてくれる味方がいる。

 もし私の心が強いのだとしたら、それはジヴェルや――それからトーマスがいてくれるからだ。

 このときの私はそう信じていた。

 

「私の婚約者……トーマスはね、精霊を信じているの。私があなたの話をすると、すばらしいってよろこぶのよ。ぜひ会いたいって」

「それにしては会いにこないな」

「いくら婚約者だからって、夜に部屋にはこられないわ。それにこんな部屋だし……」

 

 日中にトーマスに会うときだけ、私はもともとの自分の部屋を使うことが許される。

 実はその部屋は、普段ヘルミナが使っていて、私のものではない派手な家具にあふれているのだけれど……。

 

 さすがのお義母様やヘルミナも、トーマスには体裁をとりつくろっている。

 それでも悪い話は伝えられているだろうに、トーマスは私に紳士的に接してくれ、精霊のことも信じると言ってくれた。

 

「ティアニー家の一員になるなら魔道具作りも勉強しなくちゃって。私も教えているの」

「それで精霊の話になったのだな」

「ええ。丁寧に作って、そばにいる精霊たちに好かれること……それ以外の近道はないって、ジヴェルが教えてくれたとおりに伝えたの」

 

 だからきっと、ジヴェルとトーマスが顔を合わせたら、ジヴェルはトーマスを気に入るはずだ。

 私はそんなふうにも信じていた。



 ――それが。

 

「ライサ、ぼくはお前との婚約を破棄し、ヘルミナと結婚する!」

 

 トーマスの言葉に動揺を見せずにすんだのは、ジヴェルの忠告があったからかもしれない。

 私はきっと、心のどこかで備えていたのだろう。

 自分の言うべき言葉はすぐに見つかった。

 

「わかりました。婚約破棄をお受けします。そのかわり、誓約書を返してください」

 

 けれど、ヘルミナは慌てなかった。それどころかますます小馬鹿にした笑みを深める。

 

 婚約破棄が告げられたのは、王宮の広間。

 今日はここで、国王陛下に婚約の報告をする予定だった。

 

 ティアニー伯爵家は領地こそ小さいものの、魔道具作りで一目置かれる家。その家が娘しかおらず婿をとるというので、わざわざ婚約の誓いに陛下が立ち会ってくださるのだ。

 

 なのに、現れたトーマスは私ではなくヘルミナの手をとり――そしてふたりは、私に裏切りを表した。

 気まずそうに視線を逸らすお父様も、勝ち誇った笑みを浮かべるお母様も、このことは知っていたのだろう。

 

 まさか、国王陛下も?

 視線を向ければ、玉座に腰かけた陛下は重々しく口を開いた。

 

「ライサ、お前は不当に魔道具の価格をつりあげたそうじゃな。自分を聖女だと信じ込み、『聖女の私にふさわしいから』とティアニー家の金を宝石やドレスに浪費した。それに飽きたらず魔道具を高値で貴族たちに売り捌き、暴利を貪ったと聞いておる」

「!?」

 

 国王陛下のお言葉に私は息を呑んだ。仕組まれたとは気づいても、まさかここまでのことを言われるとは思わなかった。

 浪費をしたというのなら、それはヘルミナだ。

 

「詳しい調査を求めます、国王陛下!」

「調査ならぼくがもうしたさ。君の魔道具作りには、なにも変わったところはなかった。やっぱり君は嘘をついている。精霊もいない。ただ君が勝手にいると言い張って、空想話に興じていただけ」

「お約束しますわ、国王陛下。お姉様がいなくても、ティアニー家の魔道具の質はかわりません。トーマス様が再現してくださいます」

 

 答えたのはトーマス、そしてヘルミナだった。

 

「……!」

 

 私は絶句した。私の話を聞いてくれたのも、魔道具作りを教えてほしいと言ったのも、すべてはヘルミナのためだったのだ。

 本当に、トーマスに精霊が気に入るような魔道具が作れるのだろうか……。

 

「私は家の金を浪費などしておりません。魔道具の値段だって、お義母様とヘルミナが決めていたのです」

「ええい、うるさい。民の手本たるべき貴族がなんと無様な。反省の色がない。お前のようなものを当主にはできぬぞ」

 

 もう一度国王陛下に訴えようとしたが、無駄だった。

 聞く耳を持たないとは、こういうことを言うのだろう。

 

「まさか……魔道具で稼いだお金は、陛下にも? その罪を私にかぶせようと?」

 

 ヘルミナ、トーマス、お父様、お義母様、そして国王陛下――彼らの態度が示すのは、もう私にこの国での居場所はないという事実。

 

「そうそう、誓約書だったわね」

 

 ヘルミナが場に似合わない明るい声で言った。

 

「嘘つきのくせに精霊に誓わせるなんて変よね。だから罰が下ったんじゃない?」

 

 とりだされたのは、二枚の誓約書。

 

 一枚は、ヘルミナとの約束。彼女の言う額が貯まれば、私がティアニー伯爵となることに同意する、というもの。

 もう一枚は、トーマスとの約束。私と婚約し、いずれはティアニー家の婿に入るというものだ。

 

 この国では、契約を交わす際、精霊の名において誓約書を交わす。

 それほどに精霊とは大切な存在のはずだったのに。

 

 私はヘルミナの持つ誓約書を指さした。

 

「陛下、その誓約書が動かぬ証拠です! 魔道具を売ったお金が、ヘルミナのものになっているという――」

 

 私の声を遮るように。

 私が指さす先で、ビイイイイッ! と紙を裂く音が響いた。

 

「ヘルミナ……あなた」

 

 音は何度も続き、ヘルミナが破った誓約書がたくさんの破片となって床へとばらまかれていく。

 

「あら……わからなくなってしまったわね。何が書いてあったのか」

 

 うつむく私の耳に、ヘルミナの嘲笑う声が聞こえた。

 

 でも。

 

「そうね。……よかった」

 

 私は小さな声で言った。

 

「え? なあに?」

 

 ヘルミナが笑顔のまま尋ねる。聞き間違いか、私の強がりだと思っているのだろう。

 

 でも、私は虚勢を張っているわけではない。

 

 誓約書を無効にすること。

 それが、私が誓約書を求めた理由だった。ヘルミナは私がやるべきことをかわりにやってくれたのだ。

 

「――やつらが底なしの愚か者で助かったな」

 

 足元で声がした。

 視線を向ければ、いつの間に入り込んだのか、ジヴェルが私のスカートに長い尻尾を添わせるようにして座っている。

 

「キャアッ!」とヘルミナが悲鳴をあげた。周りの人々も驚きに目を丸くしている。

 

「黒猫がしゃべった!?」

「嫌だ、怖い……悪魔の使いじゃないかしら」

「不吉な……」

 

「やれやれ、せっかく姿を現してやったというのに、悪魔呼ばわりか」

 

 ざわめく広間を一瞥し、ジヴェルは小さくため息をついた。

 と思えば、ジヴェルの体は光に包まれ――。

 

「ジヴェル……!?」

 

「精霊に誓った婚約は破棄され、ようやくお前を縛るものはなくなった。さあ、私の妻になれ」

 

 光が収まった時、私の手をとったのは猫の手ではなく、すらりと美しい人間の手だった。

 

 たたずんでいたのは、造り物めいて美しい容姿を持つ男の人。

 高い背を覆う銀髪はシャンデリアの光を跳ね返して輝き、黒い毛並みとは正反対だ。

 けれど、切れ長の目には、金と紫の瞳が宿る。

 それはまぎれもなくジヴェルのもの。

 

「私に誓われた婚約に、私が横槍を入れるわけにはいかんからな。この時を待ちわびたぞ……精霊王ジヴェル=ベルグロウフェン。それが私の名だ」

 

 持ち上げた私の手に口づけを落とし、ジヴェルは言った。

 

 私はぽかんとジヴェルを見つめてしまった。

 私だけでなく、広間にいたすべての人間が、突然現れた存在に見惚れていた。

 

 人間にはありえない、荘厳で高貴なオーラ。

 ジヴェルが精霊――それも精霊王だということを疑う者は、誰もいない。

 

「これでわかっただろう」

 

 精霊の姿で広間を見回し、ジヴェルは静かに告げる。

 

「ライサは嘘をついていない。彼女は精霊の愛し子、清き心の持ち主だ」

 

「わ、わかりました」

 

 震える声で返したのは陛下だった。

 引きつりそうになる表情に、陛下は媚びるような笑みを浮かべる。

 

「彼女はほんものの聖女です。わが国に精霊王を降臨させてくれた……ティアニー伯爵家は彼女のものです。さあどうか、わしに精霊の加護を!」

 

「そんな! ティアニー家はあたしのものだと!」

「陛下、ぼくはどうなるのです……!」

「ええい、うるさい――」

 

 ヘルミナとトーマスが声をあげる。

 しかし陛下がふたりに答える前に、ジヴェルの不思議そうな声がそれを遮った。

 

「なぜ私がお前に加護を与えねばならぬ? お前は愛し子を罠に嵌めた愚か者どもに加担した」

「……!!」

「貴様が王とはこの国も末だな。そもそもが勘違いをしているようだから正してやろう。精霊の掟とはなかなか煩くてな、人間に語りかけることができるのは――」

 

 ジヴェルが二本の指を立ててみせた。

 

「愛し子の前か、裁きの時。……このどちらかだけだ」

 

 ヘルミナの顔から血の気が引いた。白くなった顔で、ヘルミナは床に散らばった誓約書を見た。

 

 精霊の名を借りた誓い。

 それを、ヘルミナは破り捨てたのだ。

 ひしひしと伝わるジヴェルの怒りは、ヘルミナの血を凍らせるように冷たかった。

 

「精霊は嘘を嫌う。それも、誓約の破棄は最も罪が重い」

「……だって、知らなかったんだもの……本当に精霊がいるなんて……あたし」

「嘘をつくと精霊の罰が下る――子どもの頃に教わらなかったか? どうやら悪い親の元に生まれたようだな」

「ひ……わ、わかったわ、お姉様を当主と認めるわ! 約束を守る!」

「ライサを傷つけたすべての者――」

 

 ヘルミナの言葉を無視して、ジヴェルの視線がゆっくりとめぐっていく。

 ヘルミナ、トーマス、お父様、お義母様、そして国王陛下。

 

 

「そなたらから精霊の加護を剥奪する」

 

 

 広間は静まり返っていた。

 息をすることすら憚られるような沈黙のなかに、ジヴェルの裁きの声だけが重く響く。

 

 ただ、恐ろしいことが起こるだろう、そのことだけが皆にわかった。

 

 私はごくりと息を呑んだ。

 この静寂に声を発するのは勇気がいる。でもこれは、私が言わなければならないことだ。

 

「私……私は、聖女の肩書などいりません。ティアニー伯爵家の当主の座も、いりません」

 

 先ほどわかったこと。

 この国にはもう私の居場所はない。

 

 私は聖女になりたいわけでも伯爵になりたいわけでも、人の気を引きたいわけでもなかった。

 ただ、精霊のよろこんでくれる魔道具を作って、それを使った人もよろこばせることができたら。

 人と精霊の橋渡しができればと思っていた。

 

 望んでいたのはただ、平穏な生活。

 

 それはもう望めない。

 

「私はジヴェルと、この国を出ます。――さようなら」

 

「待って!! 待ってお姉様!! 謝るから、許して!!」

「そんな! 行かないでくれ……!!」

 

 ヘルミナとトーマスの縋る声がする。

 精霊から加護を剥奪すると言われたのだ、貴族にとっては地位の崩壊を意味するだろう。

 

 でも、精霊との約束を破ったのは彼らで、私にはどうすることもできない。

 

「いやあ……! どうなるの、あたしたち……」

「お前のせいだぞヘルミナ、お前がライサは嘘つきだと……!」

「あんただって得意げに、魔道具作りなら任せろなんて言ってたじゃない!!」

 

 嘆きの声は徐々に、互いを罵倒する叫びに変わる。

 

 けれども私は振り返らず、ジヴェルに手を取られたままざわめく人々のあいだを抜けると、広間を出た。

 

 *

 

「ありがとう。それから……ごめんなさい、ジヴェル」

 

 王都を出て街道を歩きながら、私はジヴェルに言った。

 わかっているくせに、黒猫の姿に戻ったジヴェルは私を見上げ、

 

「なんのことだ」

 

 と首をかしげる。

 

「私も、嘘をついていたの。大丈夫だって自分に言い聞かせてた。助けてほしいって言えなかった」

「そうだな。半分は無意識だっただろうが……私の妻となったからには、今後は素直に甘えろ」

「……それ、本気だったの? 妻って……」

 

 私は顔を赤くしてしまう。

 ジヴェルが黒猫の精霊だと信じていた私は、これまでの求婚もあまり本気にしていなかった。言うなれば精霊ジョーク……私を元気づけるための冗談かと思っていたのだ。

 

 今日、精霊の姿になったジヴェルに手をとられ、その手に口づけを落とされて――。

 彼の色違いの瞳に宿る想いを知ってしまったら、もう冗談だとは思えない。

 

「ちょっと、その話は保留でもいいかしら……心の準備が」

 

 もそもそと言い訳をしながら、私はバッグに手をやった。

 

 バッグから取り出したのは、お母様のオルゴールだ。これだけは、と屋敷から持ち出してきた。

 

「お母様は、隣国の生まれだったそうなの……だからお母様の生まれ故郷に行ってみようかなって」

 

 話しながら、私は何気なく蓋を開けた。毎晩オルゴールに向かいあって修理できないかと見ていたから、癖になっている動作だった。

 

 オルゴールは沈黙を守る――はずだった。でも、今日は違った。

 

 ポロン、とかわいらしい音が鳴る。

 

「……!!」

 

 私は目を見開いてオルゴールを見つめた。

 そのあいだにも、ポロン、ポロンとオルゴールは音を紡ぎ、やがてなめらかに旋律を奏で始めた。

 

「お母様の……オルゴールが……」

「やはり魔石は生きていたな。その中の魔力も……ああ、やさしい音色だ」

 

 つんと鼻の奥が熱くなった。止める間もなく次々とあふれだす涙を、隣からのびてきた指先が拭った。

 気づけばまた人の姿になったジヴェルが、私の隣に立っている。

 

「精霊たちに言って我々の姿は隠させた。好きなだけ泣くがいい」

 

 そう言ってジヴェルは私を抱きしめてくれる。

 

 ふんわりと、お日様の香りがした。黒猫のジヴェルと同じだ。あたたかくて、やわらかな気配。

 

 お日様の香りとオルゴールの音色に包まれて、私は何年かぶりの涙を流した。


 

***

 

 

 さて、いまから語るのは、ジヴェルだけが知っている、ライサは知らないこと。

 

 精霊を忘れつつあるこの国の人々は知らないが、ジヴェルがライサに教えたように、魔道具は精霊の力を借りて動いている。

 

 精霊の加護を剥奪された人間は、魔道具を使うことができなくなる。

 

 ライサが櫛を作っていたように、魔道具は人々の生活に浸透しているものだ。

 

 ジヴェルの怒りを買った五人は今後、

 部屋に灯りをともせず、

 水差しから清らかな水を出せず、

 身を守ろうとしても護符も使えず、

 魔道具から暖を取ることも、逆に暑さを和らげることもできない。

 

 魔道具で名を馳せたティアニー家や、国王の地位にいる人間が『魔道具が使えない』ということが、周囲の貴族の目にどう映り、どう扱われるのか――。

 

 広間での嘆きは、破滅の序章にすぎなかったと。

 彼らがそのことを知るのは、しばらく先のこと。

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― 新着の感想 ―
> 部屋に灯りをともせず、 > 水差しから清らかな水を出せず、 > 身を守ろうとしても護符も使えず、 > 魔道具から暖を取ることも、逆に暑さを和らげることもできない。 下位貴族なら即「恥」になるだろう…
王様もかぁ。 企むにしても、もう少し上手に、本人をいい気分にさせて利用した方が旨みがあるとか思わなかったのかなぁ。
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