第五話・第三王子殿下
隣で眠っているナナのことを気にして、私は廊下へと顔を出すつもりでベッドから下りる。
部屋の前でこれ以上騒がれたら私の大事な侍女が目を覚ましてしまう。騒ぎを止めるには直接文句を言ってやるしかない。
そう思って私がノブへ手を伸ばすよりも早く、バンッと勢いよく廊下側から扉が開かれ、私は木製の分厚い扉に顔面を打ち付けた。
「……っ⁉」
昨日からこれで二度目だ。
頭と顔と、このままいけば次はどこが何にぶつかることになるんだろう、こんな災難続きの男爵令嬢が聖女なわけがない。
やっぱり何かの間違いだという気がフツフツを湧き上がる。
「あ、すまない……」
私に扉で殴り掛かってきた人物は、ちょっと笑いを堪えた顔をしながら謝罪を口にしていた。
クククと喉を鳴らして笑っているのが聞こえていたが、私が床にうずくまり顔を押さえて動かなかったから焦ってきたらしく、慌てて床に跪いて顔を覗き込んでくる。
「いや、ワザとではなかったんだ。まさか反対側に人がいるとは思わなくてさ」
彼がすぐ真横でオロオロしているのを私は指の間から覗き見する。
周りの大人達が「ですからパトリック様、今日のところは……」と彼を引き戻そうとしているから、このガサツで礼儀知らずがこの国の第三王子本人だということだけは分かった。
——ああ、問題児だっていう第三王子ってこの人なんだ。
剣術の腕は高いがそれだけの脳筋王子。それが市井で出回っている彼の評価だ。
病弱な第一王子はとっくの昔に王位継承権は放棄しているらしいから、順当にいけば王太子になるのは第二王子のアロン様だと言われている。
だってもう一人の候補がこれだから……
本来は王都にいるはずの彼がここにいるのも、きっと何かやらかしたからに違いない。
そう私と同じように、ほとぼりが冷めるまで城を追い出されでもしたんだろう。
「おい、本当に大丈夫か? 誰かに診てもらった方が……」
「いえ、人をお呼びいただくほどではありません。ただ、打ったせいで赤くなっているかと思いますので、このままでお許し下さい」
どんなに問題児だろうが相手は王族。私は顔を半分隠したままでいることを詫びる。その言葉にパトリック様はちょっと安心したようで、「そうか、すまなかった」ともう一度謝ってくれた。
そこまで悪い人でもないのかもしれない。単にガサツなだけで。
「で、こんな時間にどうされたのでしょうか? ここは医務室。何かお体の調子でも?」
「いや、聖女が現れたと聞いて、興味が湧いただけなんだが……意外と普通なんだな」
最後の方は小声だったが、この至近距離では聞こえないわけがない。バッチリと耳に届いた失礼な言葉に、私のこめかみがピクピクと引きつる。
「まあ、今日のところは皆の言う通り、出直した方が良さそうだ。また改めて顔を見に来させてもらう」
「……かしこまりました」
「じゃあ、お大事に」
そう言って部屋を出て行く時はさすがにゆっくりと扉を閉じて、第三王子は嵐のように去っていった。
一体何がしたかったのだろうか、こんな早朝に……
この身勝手な王子のおかげで寝付けなくなった私は、ナナが起床するまでを医務室のソファーで本を読んで過ごした。
といっても、ここでは医学や薬学書の類いしか見つけられなかったから薬草図鑑を眺めていただけだ。
「王族の方々は一般の参拝とは時間をズラされるとお聞きしましたから、そのせいですよね、きっと」
「ああ、だからあんな時間に」
目を覚ましたナナに第三王子の襲撃にあったと伝えると、そこまで驚いた様子でもなかった。
他の参拝客達から王子が来ているという噂はとっくに耳にしていたらしい。
神官医から部屋へ戻る許可が出たが、私達は昨日までとは全く違う部屋へと案内された。一般の参拝客が泊まる部屋からは離れ、高位の神官達の部屋があるのと同じ階で、かなり奥まった場所にある部屋。
多分、本殿から来た偉い神官達が宿泊するための特別室なのだろう。
「わっ、私の部屋、こないだのアイラ様のと同じくらいの広さがありますよー」
内扉で仕切られた侍女用の控室の広さにナナが嬉しそうな声を上げる。
調度品などにも派手さはないけれど、落ち着いた質の良い建具。急に扱いがガラリと変わって困惑する私達の横を、一緒についてきた黒猫がするりと横切っていく。
猫は一通り部屋の中を嗅いで回った後、ソファーに飛び乗ってその上で毛繕いを始める。
私も猫の隣に腰掛けて、その黒毛にそっと指先を伸ばす。猫の毛はしっとりと濡れていたがとても柔らかかった。
と、新しい部屋にようやく慣れてきた頃、部屋の扉がノックされる音が響く。
ナナが先立って様子を見に立つと、扉の向こうから今朝も聞いた覚えのある声が。
「やあ、ロックウェル嬢。今朝は失礼を」
「ごきげんよう、第三王子パトリック殿下」
朝は互いにまともに挨拶すらしていないことに気付き、取って付けたように微笑み合う。
朝の騒動を詳しくは知らないナナは王子様の訪問に張り切ってお茶の用意をし始めていた。
「で、いかがされたのでしょうか?」
「ああ、聖女でもある君に、求婚に来たんだ。確か、今は特定の相手はいないと聞いたからね」
王子の戯言に、私は思わず「ハァ⁉」と声を上げそうになって、慌てて口元を手で抑えた。私の耳がおかしくなってなければ、「求婚に来た」と言われたような気がするが……
咄嗟にナナの方を振り向くと、侍女も惚けた顔でひたすらパチパチと瞬きを繰り返していた。
——え、え、ええええっ⁉




