第四十一話・夜会2
「……⁉」
遠くで扉が叩かれる音が耳に届いた気がして、私はハッとした。すぐ傍でパトリック様が声を潜めながら誰かと話しているのが聞こえている。その静かな声は本当にすぐ近くで、まるで真隣にいるかのように……
「ん、起きたのか?」
私はソファーに座ったまま、真横の第三王子の顔を見上げる。息がかかるほど近い距離から私のことを心配そうに見下ろしているパトリック様。どうしてこんな至近距離にいらっしゃるんだろう? と私はこの状況が分からずに茫然としていた。
「やはりもう少し日数を開けてやれば良かった。すまない、俺の方の都合で……神事を終えたばかりでまだ疲れが残っていたのだろう」
私の頬を指先でふんわりと触れてから、顔色を確かめるよう覗き込んでくる。隣合う互いの腕は思い切り触れている上、ますます近くなった距離に私はアワアワしながら身体を殿下から少しでも離れるようにと引く。部屋の隅で待機している侍女達は気を利かせているつもりか私達から視線を反らしている。
「えっと……パトリック様? 一体、何が起こったのでしょう……?」
真向いの席にいたはずの殿下はいつ隣に移動して来たのだろうか? 全く記憶になく、まずはそこから私の頭が混乱していた。パトリック様から甘い声で名前を呼び掛けられ、恥ずかしさで頭がポーッとしたところまでは覚えている。その後どうして私は殿下に寄り添うように身体を預けることになったんだろう? 頭の中は「???」で一杯だった。
私の反応にパトリック様はやや安堵した表情になる。「顔色は大丈夫そうだな」と小さく呟いて頷き、私に果実水の入った冷たいグラスを差し出してくれた。自分では気付いていなかったが喉がとても乾いていたみたいで、私はそれを唇にひいた紅が落ちないよう気を付けながら口を付けた。
「話している途中で急に意識を失って驚いた。医者に診させたら疲れが出て眠っているだけだと言われたんだが、ドレスに余計なシワがついてはとベッドへ移動させることもできず」
「も、申し訳ございません……」
「いや、構わない。顔色も随分良くなったようだし安心した」
パトリック様の説明に、私は今すぐどこかへ穴を掘って潜り込みたい心境だ。堀った穴にはしっかり盛土してもらい、上からガンガンと足で踏み固めて欲しいと思うくらいの恥ずかしさ。
——王城で、しかも夜会前に、王子殿下を前にして座りながら爆睡してたってこと⁉
何かいろいろ複雑なことを考え過ぎたせいでオーバーヒートした頭が、睡眠不足との相乗効果で限界を超えてしまったらしい。パトリック様は私の身体が倒れてしまわないよう隣の席でずっと支え続けてくれていたみたいだった。
平謝りする私のことを、パトリック様は声を殺しながら肩を震わせて笑っていた。その顔は森の神殿で私が医務室の扉で顔面殴打して堪えているのを見ていた時と全く同じ。完全に面白がっている時の笑い方だ。
「こんなに早くアイラの寝顔を見せてもらえるとは思わなかったな」
「なっ⁉」
伴侶となれば毎晩のベッドを共にするのは当然のこと。そんなことは分かっていたけれど、あえて口にされると恥ずかしい。私は顔を真っ赤にして頬を膨らませる。もう淑女らしさとかそんなのは構ってられない。
「あはは。せっかく楽しくなってきたところで残念だけど、そろそろ夜会が始まる頃合いだ」
「あっ、もうそんな時刻ですか⁉」
パトリック様が目配せすると、侍女二人が私の髪とドレスを整えに駆け寄ってくる。シワの付きにくい素材だったからドレスの方は問題ないけれど、王子殿下の肩へ凭れるように眠っていたおかげで髪留めが少し緩みかけていたみたいだ。王城付きの侍女の手際良さのおかげで完璧な姿に戻ると、私はパトリック様の腕に手を伸ばし、夜会が催される大広間へと並んで向かう。
楽団による生演奏が流れる大広間には煌びやかな装いの上位貴族達が集っていた。サーパス卿のような年配の方が多いのかと思いきや、その子息女も同伴しているのか社交会デビューを済ませたばかりの未婚の参加者の姿もあった。
私達が会場に到着すると、人々の視線が一斉にこちらへと集まってくる。第三王子の婚約の話はすでに一部の人間の間では周知されているようで、しかもその相手が神殿に属する聖女だというのだから注目を浴びて当然なのだろう。物珍しいものでも見るような目に耐えられず、私はパトリック様の腕に触れている手にキュッと力を入れる。
「心配するな。こんなところでアイラを一人にはしない」
「……はい」
耳元で囁かれた力強い言葉。自宅からのエスコートすら拒否した元婚約者とは比べ物にならないなと考えながら、私はパトリック様の隣で聖女らしいお淑やかな笑みを浮かべる。
私達がまずは主賓でもある国王陛下の元へ挨拶に伺うと、陛下を取り囲んでいた貴族達がさっと道を開けてくれる。王妃様はすでに鬼籍に入っておられるから、サーパス宰相とその夫人を相手に話し込んでいたらしい陛下。私達のことに気付いて、親し気に片手を上げてくる。
「ご無沙汰いたしております、国王陛下」
「おお、アイラ嬢か。披露目の儀も無事に済んだと聞く。疲れてはいないか?」
陛下の気遣いの言葉へ私が「はい」と小声で頷き返していると、隣にいる第三王子が小さく肩を震わせていた。さっきまで私が座ったまま爆睡していたことを思い出させてしまったらしい。私は陛下に見えないよう、パトリック様の腕をこっそりとツネった。




