第四十話・夜会
ワインレッドの少し大人びたドレスの胸元には深い青のアヴェン石のブローチが輝いている。神殿の紋章を掲げた馬車は王城の門を抜け、正面ではなく建物の横をぐるりと回ったところにある別棟の入り口前に停まった。私は騎士服姿のユーベル様のエスコートで馬車を降り、あらかじめ打ち合わせていた通りに城内を進んでいく。毛足の長いカーペットで足音はほとんど立たないが、ユーベル様の腰に携えられた剣がカチャカチャと鳴る音が通路に小さく響いていた。
「この先にアイラ様専用の控室がご用意してあります。私は今日は護衛として部屋の外で待機しております。何かありましたらすぐお知らせください」
黒の騎士服は女性の体型に合わせたシルエットになっているようで、パトリック様が着ておられたものより上着の腰回りが若干絞られて丈は短い。それが逆にユーベル様のスタイルの良さを引き立てていて想像していた以上に麗しかった。
部屋の前で私に向けて説明してから、ユーベル様は先に扉横に立っていた男性騎士へ敬礼し、その隣へと並んだ。私は木製の扉を二度ノックしてからノブへと手を掛ける。
普段は客室として使われているというその部屋は、入った瞬間に甘い花の香りに包まれる。扉を挟むように二つの大きな花瓶が置かれていて、そこには色とりどりの生花が活けられていた。まだ誰もいない部屋の中をキョロキョロと見回していると、閉じたばかりの扉が叩かれる音が聞こえてきて、私は「はい」と返事する。すると、王城付きの侍女二人が順に入って来て、揃って私へ向かい深々と頭を下げてくる。
「本日は私どもが聖女様のお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「まあ、こちらこそよろしくお願いいたします」
当日は侍女はこちらで用意すると言われていたからナナは連れて来ていない。まさか二人も付けて貰えると思ってなかったし、すでに着替えも髪結いも済ませて来てしまった。正直、ここで彼女達にお手伝いしてもらうことなんて思いつかない……
ソファーに腰掛けた後も私が何の指示も出さないでいると、二人は目配せし合ってからティーセットを運んできてお茶を淹れ始める。さすがに王城の従者というだけあり、指示がなくても動けるなんてとても優秀だ。
淹れて貰ったフルーツティーの甘い香りに少し緊張が和らいだ気がする。今夜は主要な貴族が集まると聞いていたから昨日は緊張でろくに眠れなかった。さらに昼過ぎから湯浴みなどの念入りな身支度が始まり、実はもうすでに心身ともにクタクタだったりする。私が無意識に大きく溜め息を吐いた時、扉がまた叩かれる音が聞こえてくる。侍女の一人が素早く向かい、扉を開けて訪問者を確かめる。
「第三王子パトリック殿下がお越しになられました」
対応に出た侍女の声に私が振り返ると、光沢と深みのある紺の礼服に身を包み、金髪を丁寧に後ろへ流したパトリック様がいつもの王子スマイルを浮かべて控室へと入ってくる。装いも相まっていつも以上に王子様度が増している。私は慌てて立ち上がり、ドレスを摘み上げながら頭を下げた。
「ごきげんよう、パトリック殿下」
「やあ、アイラ。少しぶりだね」
パトリック様はソファーの向かいの席に腰を下ろし、侍女がお茶を淹れてから離れるのをニコニコと笑顔を浮かべて待っていた。湯気の立つお茶には手を付けず、なぜかパトリック様は何も言わずにじっと私のことを見つめてくる。こんなに畏まった格好の殿下と対面するのは国王との謁見以来で、何だかちょっと照れくさい。パトリック様も鼻を指先で搔いているから、同じ気持ちなのだろうか。
「そのドレスもよく似合ってる」
「ありがとうございます……」
お礼を言いながら恥ずかしくなって俯いてしまったけれど、「殿下も素敵です」と率直な気持ちを伝えようと私は顔を上げる。けれど、言おうとしていたことがすぐに出て来なかったのは、目の前のパトリック様の瞳がとても熱を帯びているように見えてしまったからだ。
今までも何度か感じたことはあったけれど、それらは全て思い違いだと思っていた。けれど今夜のパトリック様の眼は勘違いなんかじゃないと静かに訴えてくるようだった。どんなに目を逸らしても視線がとても必死に伝えてくるのだ。
——ダメだわ……寝不足で、頭が回らない……
どうしてパトリック様がそんな目をしてくるのか、今の私には理由が分からない。私達は今日の夜会で正式に婚約を公表することになる。そして私は近い内に神殿から王宮へと居を移し、正式な王子妃候補として扱われる。
私達は互いにどう思っていようが関係なく、いずれは伴侶になる。パトリック様は聖女である私に利用価値を見出して求婚して来ただけのはずだ。
なのにどうして、そんなに愛おしいとでもいうかのような眼をするのだろう?
「パトリック、様……?」
彼の名を呼んでいる私は今、どんな顔をしているのだろう?
早鳴る鼓動がうるさくて、私の名を呼び返す彼の声しか聞こえてこない。その声があまりにも優しくて、私は気を失いそうだった。




